Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

平成日本の音楽の教科書 はじめに

2020-11-23 09:29:25 | 読書
大谷能生,新曜社(よりみちパン!セ 2109/5).

何回かに分けてこの本を紹介したいのだが,まずは前ぶりとして,自分の昭和 20-30 年代の音楽音楽体験をすこし.

昨今の私立高校の受験項目は英・数・国,公立ではこれに理・社が加わるのが一般的らしい.僕たちの時代の東京都立高校の入試は 9 科目 900 点満点で,英・数・国・理・社・職業家庭・保健体育・図工・音楽のペーパーテストの成績が一律に 100 点満点として合計された (Wikipedia によれば 1960 年代でこれは終わったらしい).音楽だって英・数・理と同じ比重である.だから楽典はほとんど暗記してしまった.このときの音楽知識には今に至るまでずっとお世話になっている.

この大谷さんの本には,義務教育には,各個人が一生自分で音楽を弾いて歌って楽しむに足りる題材が用意されていることが,繰り返し書いてある.16とんが音楽を履修したのは中学までだが,著者の言うことは60年経っても当てはまる.

この本の第1章の最初の項のタイトルは「覚えたことを忘れて,はじめて『使える』ものになる」である.はなすこと・きくことは,子どもは自然にマスターできる.しかしこうして覚えた「ことば」を文字として読み書きできるようになるには,一定期間の勉強が必要不可欠であり.ここを乗り越えれば読み書きするとき,読み書きを意識することはなくなる,と説く.

残念ながらわが高校受験のための音楽の勉強は覚えることが目的であって,覚えたことを忘れる境地には程遠かった.楽譜の読み方も書き方も原理的にはわかる.しかし音名と楽譜を対応させるには五線譜の線の数を下から数える という段階で止まってしまった.
音楽の教科書には印刷されたピアノの鍵盤が挟み込まれていた.学校のピアノに児童が触れることは厳禁だった.

高校では「芸術」と言う教科があり,音楽・美術・書道から選択する決まりで,なぜか書道を取った.前衛派の先生でとてもおもしろかった.音楽の演奏にタッチしたのは大学以降で,ウクレレからギターへと進んだ.これと並行してジャズも聞くようになったが,ギターでジャズをやろうとは思わなかった.またギターを弾くことが学校音楽の延長であると言う認識もなかった.学校音楽ではコードを教わらなかったが,あれを試験に出すことにしてくれたら,あとでさぞ役に立ったことだろう...と思う.

2声で合唱することは中学が最後と思ったら,さにあらず.大学でワンダーフォーゲルなるサークルに入ったが,焚き火を囲んで歌うのが決まりだった.このとき適当にメロディの下を低音で支えるやつがいて,まねしてみたら結構サマになるのだった.自己満足のためかもしれないが,2声でも楽譜は不要,アドリブでやっつければいいことに開眼した.これはなかなかの収穫であったと思う.

大谷本そのものについては,また後で.



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