もう少し「カンバセーション・イン・ジャズ」という本のこと.
評論家ラルフ・グリーソンと 12 人のジャズメンとの 1960 年前後の対話集.グリーソンがほぼ全員に「ジャズ演奏中に最高 ! と感じた瞬間は ?」と問いかけた回答には,たいていチャーリー・パーカーが登場する.しかしパーカーにはバンドリーダーとしての面影はなく,そこを補ったのがディジー・ガレスピーだったのだろう.
マイルズ・ディヴィスについて,ジョン・ルイスとフィーリー・ジョー・ジョーンズはメンバーの自由を許さなかったと言っている :
Ph ジョーンズ「マイルズは違ったことをやらないようにいつも厳しく私を管理していた.私を制限して特定のことをやらせようとした.縛り付けられていたので進歩できなかった」...しかしいっぽうでは「私の人生で最高の経験は (パーカーを別にすれば) マイルズと共演したこと」とも語っている.
J ルイス「ビアの奏者全員誰も彼もが感じることは,マイルズとの共演が大変だということ.彼は一緒にやるのがきわめて難しい人.ミンガスもそうです」.この言に続き,「我々 (モダン・ジャズ・カルテット MJQ) にはたいした統制はありません」とも語っている. 建前では MJQ はリーダー不在,ルイスは作曲担当である.でもメンバーは MJQ メンバーとしての顔とそうでないときの顔を自然と使い分けていたようだ.
上記ふたりから約 10 年後にマイルスのサイドマンとなったビル・エヴァンスは,だいぶニュアンスが違うことを言っている.「最初にマイルス・バンドに加わることになったときはすごくびびったが,リハーサルはなかった.私が知らなかった細かなことはマイルスが仕事をしながら教えてくれた,何曲かについては録音の直前とか録音中にとかに集まったが,マイルスが自分の音楽について話すことはなかった」.
エヴァンスとの対話はスコット・ラファロ,ポール・モチアンとのトリオで録音を行った時期だったが,彼はこのトリオについては言及していない.
ミルト・ジャクソンはジョージ・シアリングの最初のクインテットに誘われたが,シアリングがヴァイブのビブラートを使わせないと知って断った.曰く「私にとってビブラートなしではこの楽器の意味がなくなってしまう」.本書の記述にはないが,1962 年シアリング5に加わったゲイリー・バートンは当時からずっとビブラートを使っていない*.
関係ない見出し画像は,マイルズによる油彩画.
* この文は 4/28 に修正済み.
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます