BS で「開運 ! なんでも鑑定団」の再々放映?を見ていたらラグーザ玉の油彩画が出てきた.よく分からないが 10 号はありそう.下はポートの部分の拡大.
ラグーザ・玉は明治 10 年代に工部美術学校で彫刻家のヴィンチェンツォ・ラグーザと出会い,指導を受け,彼と結婚しイタリアに渡った.イタリアでも画業に研鑽を積み,国際的に評価された.若桑みどりは岩波新書「女性画家列伝」1985) では,彼女はイタリア・ルネッサンスの流れを汲む正統派であって,その絵は印象派以前の西欧リアリズムと象徴派の結晶であると評価している.
お玉さんの生年 1861 は浅井忠 1856 と黒田清輝 1866 のちょうど中間.
夫の死後帰国したが,この絵はその後軽井沢の雲場の池を描いたものらしい.教科書に載っている彼女の絵はどこか少女趣味的だが,この風景画は穏やかで,画家が到達した境地のようなものが感じられる.
番組での鑑定額 250 万円は安すぎると思うが,市場価値はその程度なんだろうか?買って壁に飾りたいところだが,J 子の絵ばかりでわが家にはスペースがない.
公共の美術館で買い上げて,誰でも鑑賞できるようにしてもらいたいところ.
ラグーザ・玉は明治 10 年代に工部美術学校で彫刻家のヴィンチェンツォ・ラグーザと出会い,指導を受け,彼と結婚しイタリアに渡った.イタリアでも画業に研鑽を積み,国際的に評価された.若桑みどりは岩波新書「女性画家列伝」1985) では,彼女はイタリア・ルネッサンスの流れを汲む正統派であって,その絵は印象派以前の西欧リアリズムと象徴派の結晶であると評価している.
お玉さんの生年 1861 は浅井忠 1856 と黒田清輝 1866 のちょうど中間.
夫の死後帰国したが,この絵はその後軽井沢の雲場の池を描いたものらしい.教科書に載っている彼女の絵はどこか少女趣味的だが,この風景画は穏やかで,画家が到達した境地のようなものが感じられる.
番組での鑑定額 250 万円は安すぎると思うが,市場価値はその程度なんだろうか?買って壁に飾りたいところだが,J 子の絵ばかりでわが家にはスペースがない.
公共の美術館で買い上げて,誰でも鑑賞できるようにしてもらいたいところ.
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます