路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

 路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

【社説・01.01】:沖縄戦終結80年 生きた足跡たどる旅を

2025-01-01 04:01:50 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【社説・01.01】:沖縄戦終結80年 生きた足跡たどる旅を

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・01.01】:沖縄戦終結80年 生きた足跡たどる旅を

 「出てきなさい。もう戦争は終わりました」 

 米兵の呼びかけに応じて投降した兵隊や民間人の中でも、とりわけ痛ましい印象を与えたのは、老人や女性、子どもの姿だった。

 不衛生な壕生活からくる、むせるような体臭。負傷した傷口からは膿(うみ)があふれ、ウジがわいていた。

 女性は赤ん坊を背中に、家財道具を頭に乗せ、その上、老人や子どもをかばうように壕から出てきた。

 投降した人々は将兵と民間人に分けられ、本島中北部の収容所に収容された。それぞれの「戦後」がここから始まる。

 早々と小学校が開校された地域もあれば、依然として交戦状態にある地域もあった。「戦場」と「占領」と「復興」が混在する混沌(こんとん)とした社会が生まれていた。

 米軍が設置した孤児院には栄養失調でやせ細った幼い子どもたちが収容されていた。家族を失った孤児にとって戦後は新たな苦難の始まりでもあった。

 あの沖縄戦が終わってから今年で80年。1945年以前に生まれた世代は、県人口の1割を切ったと推計される。

 沖縄は今、大きな転換期を迎えている。

              ■    ■

 本土決戦に向けた時間稼ぎのための「捨て石」とされた沖縄は、戦後、米軍によって「太平洋の要石」と位置付けられた。

 50年6月、朝鮮戦争が起きると、グアムや米本土から米爆撃部隊が沖縄に移動し、B29が嘉手納基地から朝鮮半島に飛び立った。

 伊是名島生まれのいれいたかしさんは著書『沖縄人にとっての戦後』(朝日新聞社刊)で書いている。

 嘉手納基地を離陸したB29が「島の上空で編隊を整え、北の方へと出撃するのを見上げる日々が続いた」。

 やがて、いれいさんは嘉手納基地を次々に離陸し、南へと出撃するB52爆撃機を目にすることになる。B29からB52へ。

 沖縄はベトナム戦争の出撃・補給・訓練を担う最も重要な拠点となっていた。

 復帰を控えた70年に再刊された『鉄の暴風』(沖縄タイムス社刊)で、著者の牧港篤三さんは「20年後のあとがき」を書いている。

 「戦車の放列(野積み)をみると、20年という時間の経過は感じられない」  沖縄では、戦争が過ぎ去った過去の出来事として完了することがない。

 生活の場が砲弾の飛び交う戦場となり、戦後は基地と隣り合わせの生活。米軍による事件事故や爆音に接するたびに、沖縄戦の記憶がよみがえる。

 惨劇を目撃したり経験したことで心に深い傷「トラウマ」を負い、長い時間がたってから晩発性のストレス症状を訴える人もいる。

 基地によって日常生活が脅かされるようなことがない当たり前の暮らしは、いつになったら実現するのだろうか。

              ■    ■

 72年5月15日の復帰は、講和条約によって米国が行使していた施政権を日本政府に返還する代わりに、基地の自由使用を確保するというものだった。

 憲法でうたわれた地方自治の原則は、しばしば骨抜きにされ、基地維持が優先されてきた。

 今や、反中感情の高まりを反映して沖縄の要塞(ようさい)化を当然視する空気が特に本土で広がっている。

 昨秋、実施された日中共同の世論調査によると、日中双方で9割近い人が相手国に対して「良くない」印象を持っていることが分かった。

 ネット上では「沖縄ヘイト」と呼ばれる差別的で排他的な投稿が絶えない。

 人は安全への脅威に敏感だ。政府が進める日米一体化による抑止力の強化は、安全への脅威を前面に掲げているため国民に受け入れやすい。

 県内の政治対立、世代間の分断も深まっている。

 だが、対話の努力を欠いた「抑止」論は、緊張を高め、軍拡を招くリスクが高い。

 直面するさまざまな隘路(あいろ)に向き合い、一歩でも二歩でも状況を前進させる年でありたい。

 歴史を掘り起こし、先人の苦労に学ぼう。そこに泉がある。

 人々の尊厳や人権が守られ、自治・自立の気風を世代を超えて共有していくような一年でありたい。

 元稿:沖縄タイムス社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年01月01日  04:01:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【大弦小弦・01.01】:新年号が大みそかに配達されるのは、沖縄だけだそうだ。

2025-01-01 04:01:40 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【大弦小弦・01.01】:新年号が大みそかに配達されるのは、沖縄だけだそうだ。

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【大弦小弦・01.01】:新年号が大みそかに配達されるのは、沖縄だけだそうだ。

 新年号が大みそかに配達されるのは、沖縄だけだそうだ。県外出身の知人に指摘され、調べてみた。始まりは1952年と想像以上に古くて驚いた

 ▼沖縄の新聞発行は、島中が灰燼(かいじん)に帰した地上戦で一度途絶える。本紙の創刊は、その3年後。、

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 元稿:沖縄タイムス社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年01月01日  03:57:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説・01.01】:2025年を迎えて 民主・自治・平和 再確認を

2025-01-01 04:00:50 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【社説・01.01】:2025年を迎えて 民主・自治・平和 再確認を

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・01.01】:2025年を迎えて 民主・自治・平和 再確認を 

 私たちの目の前にある課題を乗り越える確かな足場をつくる年でありたい。そのためにも戦後築き上げてきた民主主義や地方自治、平和の価値を再確認する必要がある。

 2025年の幕が開けた。爽やかな気持ちで新たな年を迎えたい。そして、困難から逃げず、真正面から向き合う勇気を持ちたい。

 今年は「戦後80年」の節目の年である。沖縄の島々が地上戦と猛爆にさらされ、多くの県民が犠牲となった年から今日までの歩みを振り返り、望ましい沖縄の姿を見定める年としたい。沖縄戦と戦後体験は、未来に向かって県民が歩む時の道標となる。

 戦後日本の精神的支柱をなしてきた価値が揺らいでいる。民主主義と地方自治、平和主義が危機にひんしているのだ。深刻な社会の分断も進んでいる。それは沖縄に関わる出来事に表れている。

 民主主義と地方自治の危機は、米軍普天間飛行場返還に伴う辺野古新基地建設を強行する政府の姿勢に象徴される。

 新基地建設にあらがう沖縄の民意や地方公共団体が持つ権限を無視して美ら海に土砂を投入する行為は、民主主義と地方自治を踏みにじるものに他ならない。

 沖縄の島々で急速に進む自衛隊増強は沖縄戦体験に基づく県民の平和志向に反し、沖縄を再び戦場に見立てるような動きだ。到底受け入れられるものではない。

 沖縄は戦後27年間、県民の意思とは関わりなく米統治下に置かれ、日本の施政権から分断された。米統治への抵抗の中で県民は基本的人権と平等、平和主義を規定する日本国憲法の完全適用と「自らのことは自ら決める」という権利の獲得を求めてきた。

 この歴史的体験を通じて得られた民主主義と地方自治、平和の理念は今日においても、新基地建設や米軍人による性犯罪など沖縄に横たわる問題と対峙(たいじ)する県民の闘いの中に息づいている。国策や日米同盟を厳しく問う姿勢は日本社会の中でも特異な位置を占めていよう。

 半面、政府に対する沖縄の異議申し立てはネット上で悪罵の対象にもなってきた。このような「沖縄ヘイト」によって沖縄内部の亀裂をはらみながら、沖縄と日本の新たな分断が生まれつつあることを見逃すわけにはいかない。

 昨年の衆院選や兵庫県知事選にみるように、交流サイト(SNS)が持つ影響力は時として大きな混乱を引き起こし、地域社会の分断を招く。同じような事態が沖縄でも起きかねない。それに打ち勝つためにも自らを律し、ネット上にあふれるさまざまな情報の真偽を見通す心眼が求められている。

 新たな年は、分断から融和への道筋を見定める年でもありたい。戦後80年の歩みに学びながら、柔軟な発想と世代を超えた活発な論議で分断を克服しよう。私たちにはその力があると信じる。

 元稿:琉球新報社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年01月01日  04:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【金口木舌・01.01】:戦後80年の初めの日に

2025-01-01 04:00:40 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【金口木舌・01.01】:戦後80年の初めの日に

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【金口木舌・01.01】:戦後80年の初めの日に

 戦火が続くウクライナやパレスチナ自治区ガザから届く悲しい知らせを聞きながら年の瀬を送った。ガザでは乳児が凍死したという。幼い命は年を越すことができなかった

 ▼2人の戦争体験者を思い出す。1人は元学徒隊員。南部の戦場をさまよい大けがを負った級友を置いて逃げた。80代になっても、助けられなかった自分を責め続けた。「年を取って同級生が夢に出るようになった」

 ▼両親を失った女性は「銃声が聞こえるから」とラジオを大音量で流す日々を送っていた。時を経て耳に響く銃声に女性はさいなまれていた。2人は心の中に戦場を抱え、長い戦後を送ってきたのである

 ▼「戦後80年」の年を迎えた。時が止まった心の中の戦場と向き合い続ける体験者がいる。それなのに、この国は戦争準備に余念がない。新たな戦場へと突き進む時を一刻も早く止めなければならない

 ▼「戦争をおこすのはたしかに人間です/しかしそれ以上に戦争を許さない努力のできるのも私たち人間ではないでしょうか」。県平和祈念資料館に掲げられた言葉に希望の光を見る。そこへ向かって、しっかり歩む年でありたい。

 元稿:琉球新報社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【金口木舌】  2025年01月01日  04:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《社説①・01.01》:戦後80年 混迷する世界と日本 「人道第一」の秩序構築を

2025-01-01 02:08:50 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

《社説①・01.01》:戦後80年 混迷する世界と日本 「人道第一」の秩序構築を

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《社説①・01.01》:戦後80年 混迷する世界と日本 「人道第一」の秩序構築を

 第二次世界大戦の終結から80年となる2025年を迎えた。戦火は広がり、国際社会の分断が深まる。強者が弱者を力でねじ伏せる「ジャングルの掟(おきて)」の時代に、時計の針を巻き戻してはならない。

 「私たちが求めるのは戦争の終結だけでなく、すべての戦争の始まりを終わらせることだ」。1945年、国連の名付け親であるルーズベルト元米大統領が死去直前、演説草稿に記した言葉だ。

 惨禍への反省を踏まえて二つの柱から成る戦後秩序が生まれた。世界平和のために創設された国連と、ドル基軸と自由貿易を両輪とする国際経済の枠組みである。

 だが、80年を経て眼前に広がるのは暗たんたる状況だ。ロシアのウクライナ侵攻は3年近くに及び、中東では戦火が拡大する。トランプ次期米大統領は中国に「貿易戦争」を仕掛ける構えだ。

 ◆脅かされる「法の支配」

 グローバル化の流れにあらがい、国際秩序に背を向ける大国の振る舞いによって、「法の支配」は崩壊の危機にある。

<picture><source srcset="https://cdn.mainichi.jp/vol1/2025/01/01/20250101k0000m040005000p/9.webp?1" type="image/webp" />ウクライナ南部の前線近くで営まれたクリスマスのミサに参列するウクライナ軍兵士たち=ウクライナ軍提供・AP</picture>
ウクライナ南部の前線近くで営まれたクリスマスのミサに参列するウクライナ軍兵士たち=ウクライナ軍提供・AP

 「米国第一」のトランプ氏は高関税と移民規制を武器に、国境を越えて流入するモノやヒトに歯止めをかけようとする。自由貿易のルールは風前のともしびだ。

 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年01月01日  02:08:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《余録・01.01》:「武力はもはや国の品位を定める標準でなくなった…

2025-01-01 02:08:40 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

《余録・01.01》:「武力はもはや国の品位を定める標準でなくなった…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《余録・01.01》:「武力はもはや国の品位を定める標準でなくなった…

 「武力はもはや国の品位を定める標準でなくなった」「文化の進度を尺度として考えると世界列国の内ではるかに下にあるを免れない」。軍事より文化、民生の向上を求めるコラムが巻頭を飾ったのは100年前に創刊された大衆雑誌のキングだ

 正月の遊びは羽根つき・かるたと古い伝統のままだったが、女性の髪形は新しくなる一方。大正12年ごろマーセル・ウエーブの「耳かくし」がはやった=1923(大正12)年、「1億人の昭和史」から

 ▲英語の「マス」の訳でもある「大衆」が使われ始めた時期。「面白くて、ためになる」をうたい文句に創刊号(1925年1月1日付)は74万部も売れた。第一次大戦中、インキや紙の国内生産が増大し、出版の発展を後押しした(佐藤卓己著「『キング』の時代」)

我が国のラジオ放送は1925(大正14)年に始まった。ラジオ受信機の製造にいそがしい当時の工場

 ▲25年にはラジオ放送も始まり、ニュースや娯楽番組が人気に。普通選挙法の成立で大衆の政治参加も実現した。だが軍部の台頭で徐々に娯楽さえ規制される時代に入る。戦争へ突き進む中、キングは戦意高揚雑誌として名をはせた

 ▲「『一月ではない、十三月のような気がする』とうまいことをいった人がある」。作家の海野十三は45年元日の日記に書いた。大みそかにも米軍の空襲が相次ぎ、新年どころではなかった

 ▲「失われた20年」もあれば「激動の20年」もある。それだけの時間があれば、国家の命運や個人の運命が大きく様変わりしても不思議ではない

 ▲戦後80年の今年は昭和100年に当たる。メディアも産業も国際政治も「100年に1度」の大変革時代。トランプ次期米大統領の再登場で一層不確実性が増す。80年続いた戦後を新たな戦前にしてはならない。近代史を見つめ直し、これからの20年について考えたい。

 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【余録】  2025年01月01日  02:16:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説・12.30】:2024墓碑銘 体験者の言葉を指針に

2024-12-30 04:01:50 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【社説・12.30】:2024墓碑銘 体験者の言葉を指針に

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・12.30】:2024墓碑銘 体験者の言葉を指針に

 戦後79年の今年、沖縄戦の記憶や記録の継承に力を尽くした体験者や研究者が相次いでこの世を去った。 

 石川榮喜さん(享年95)は、県立第一中学校(現首里高校)の生徒でつくる「一中鉄血勤皇隊」として沖縄戦に動員され、戦後は語り部として活動した。

 13歳で古里の平安座島を離れ、17歳で鉄血勤皇隊に召集された。戦況が悪化する中、本島南部をさまよい、数え切れないほどの遺体を目にした。

 「日本兵も住民もただ生き延びようと、ウジやシラミにまみれて逃げ惑うだけ。飛び出した内臓を抱えて死んでいった友もいる。今の人たちが語るような勇敢さや美しさなんかどこにもない」

 戦争の醜さをそう証言した。

 「ひめゆり学徒隊」として動員され、ひめゆり平和祈念資料館開館に尽力し証言員を務めた石川幸子さん(享年99)、首都圏在住の沖縄戦体験者として全国各地で講演した同じひめゆり学徒の与那覇百子さん(享年96)、「ふじ学徒隊」として動員され両親、姉妹、祖父母を亡くし語り部となって体験を伝えた名城文子さん(享年97)も逝った。

 「かつて多くの人が気付かないうちに戦争に巻き込まれた。逆戻りさせてはいけない」。石川さんは生前、私たちにそうメッセージを送った。

 「台湾有事」を想定した沖縄・南西諸島の軍事要塞(ようさい)化が急速に進む。

 戦争体験者が残した言葉を、戦前に逆戻りしないための指針にしたい。

              ■    ■

 沖縄戦研究の第一人者の一人、吉浜忍さん(享年74)も亡くなった。

 高校教諭や沖縄国際大学の教員として沖縄戦の調査や継承に取り組んだ。新沖縄県史編集委員会会長を務め、地域に根差した平和教育を重視し県内各市町村史の編さんにも関わった。

 戦争遺跡として全国初となった沖縄陸軍病院南風原壕群の町文化財指定に尽力。「沖縄戦若手研究会」を立ち上げるなど後進の育成にも情熱を傾けた。戦争体験者から直接話を聞けなくなる時代を見据え「戦争の生き証人」としての戦争遺跡の重要性を説いた。

 沖縄戦の軍事的中枢施設だった第32軍司令部壕の文化財指定を強く訴え、壕の保存・公開に向けた基本計画検討委員会の会長に就いたばかりだった。壕は11月29日、吉浜さんが求めた県史跡に指定された。

              ■    ■

 来年、沖縄は戦後80年の節目を迎える。

 県は「平和祈念事業」(仮称)に全庁体制で取り組む計画だ。これまでの平和関連の取り組みを検証し、戦後100年を見据えた「平和ビジョン」も策定する。

 1945年以前に生まれた戦前・戦中世代の人口は全体の1割を切ったと推計される。戦争体験者がいなくなる未来がやがてやって来る。

 「新しい戦前」にしないために沖縄戦の記憶と記録をどう継いでいくか。80年の節目に立ち止まって考えたい。

 元稿:沖縄タイムス社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2024年12月30日  04:01:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【2024年12月25日 今日は?】:米軍に統治されていた奄美群島が日本に復帰

2024-12-27 00:00:50 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【2024年12月25日 今日は?】:米軍に統治されていた奄美群島が日本に復帰

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【2024年12月25日 今日は?】:米軍に統治されていた奄美群島が日本に復帰

 ◆12月25日=今日はどんな日 

  クリスマス

 ◆出来事

  ▼米軍に統治されていた奄美群島が日本に復帰(1953)▼諏訪精工舎(現セイコーエプソン)が世界初の水晶式(クオーツ)腕時計を発売(1969)▼ゴルバチョフ大統領がテレビで辞任を表明、ソ連崩壊(1991)

 

奄美群島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定 昭和28年12月25日条約第33号 「経済委員会資料に関する書類」より【R00004916B

 奄美群島の本土復帰

 ◆誕生日

  ▼角川博(53年=歌手)▼小手伸也(73年=俳優)▼哲夫(74年=笑い飯)▼橋本麗香(80年=女優)▼枡田絵理奈(85年=フリーアナウンサー)▼中山麻聖(88年=俳優)▼田中美晴(92年=タレント)▼武井咲(93年=女優)

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・今日は?】  2024年12月25日 00:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《憂楽帳・12.24》:戦後79年の証言

2024-12-25 13:11:20 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

《憂楽帳・12.24》:戦後79年の証言

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《憂楽帳・12.24》:戦後79年の証言

 小中学校の同級生の母親、日吉寿美恵さん(86)が長崎市での被爆体験を話してくれた。何度か取材のお願いを重ね、今秋実現した。

 7歳だった日吉さんはその日、爆心地から約2キロ離れた稲佐山近くの叔母の家に預けられていた。閃光(せんこう)を感じた後、倒壊した家屋の下敷きになった。奇跡的に助かったが、仕事に出ていた母親や多数の親戚の命が奪われた。

 
<picture><source srcset="https://cdn.mainichi.jp/vol1/2024/12/25/20241225dde041070002000p/9.webp?1" type="image/webp" />長崎市の平和公園にある平和祈念像=2023年11月12日、小出禎樹撮影</picture>
長崎市の平和公園にある平和祈念像=2023年11月12日、小出禎樹撮影

 父も戦争で亡くし福岡県城島町(現久留米市)の親戚に引き取られたが、待っていたのは近所からの「放射能がうつるばい」という差別。医者からも「どうせ生き残りやろ」と侮蔑的な言葉を投げつけられた。

 

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《社説②・12.24》:被爆者への補償 我慢強いる政治の無責任

2024-12-25 02:05:40 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

《社説②・12.24》:被爆者への補償 我慢強いる政治の無責任

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《社説②・12.24》:被爆者への補償 我慢強いる政治の無責任

 終戦80年の節目が近づくにもかかわらず、戦争で被害を受けた民間人への補償の問題が置き去りになっている。

 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が今年のノーベル平和賞を受賞した。代表委員の田中熙巳(てるみ)さんは授賞式での演説で、20万人を超える原爆犠牲者への補償を拒み続けている日本政府の姿勢を糾弾した。言葉を重ね「償いは全くしていない」と訴えた。

ノーベル平和賞授賞式で演説する日本被団協の田中熙巳さん=オスロで2024年12月10日、猪飼健史撮影

 政府は死亡したり負傷したりした軍人・軍属らには、これまで60兆円を超す恩給などを出してきた。一方、民間人への補償はなく、被害の実態も調べていない。

<picture><source srcset="https://cdn.mainichi.jp/vol1/2024/12/24/20241224ddm005070124000p/9.webp?2" type="image/webp" />被爆者援護法案を起立多数で可決した1994年12月の衆院本会議。被爆者が求めていた国家補償の考え方は盛り込まれなかった</picture>
被爆者援護法案を起立多数で可決した1994年12月の衆院本会議。被爆者が求めていた国家補償の考え方は盛り込まれなかった

 根底にあるのが、1960年代から繰り返されてきた「受忍論」である。「戦争による損失は国民が等しく受け入れねばならず、国家は補償の義務を負わない」という考え方だ。

 だが、被害を受けながら、民間人だという理由で耐え忍び、我慢しなければならないのは理不尽だ。

 国は受忍論を盾に、被爆者にも十分な対応を取ってこなかった。

 健康を損ねた人への医療・福祉施策はある。被爆者手帳の所持者は医療費の自己負担分が公費で賄われる。放射線に起因したがんなどを発症した場合、原爆症認定患者として特別手当も受け取れる。

 これらは被爆者自身が声を上げ、裁判で勝訴を重ねた結果、徐々に対象が広がった。国は深刻な被害の実態から目を背け、過小評価してきたと言わざるを得ない。

 「むごい生」という言葉がある。被爆者は生き永らえても、苦しみが生涯続くという意味だ。放射線による健康への影響におびえ、差別や偏見にもさらされる。家族や友人を助けられなかったことへの罪悪感を抱える人もいる。

 空襲による被害者も、被爆者と同様、国の補償を求める運動を続けている。超党派の議員連盟が障害を負った人に一律50万円を給付する救済法案をまとめているが、国会提出に至っていない。

 欧州の主要国には、軍人か民間人かを問わず犠牲者らを補償する制度がある。

 戦争の体験を語れる世代は間もなくいなくなる。過ちを繰り返さないためにも、国民が受けた被害に国は真摯(しんし)に向き合い、何ができるかを議論すべきだ。

 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2024年12月24日  02:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説・12.21】:32軍壕一部公開へ 沖縄戦の実相語らせよ

2024-12-21 04:01:50 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【社説・12.21】:32軍壕一部公開へ 沖縄戦の実相語らせよ

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・12.21】:32軍壕一部公開へ 沖縄戦の実相語らせよ

 公開の道筋が具体的に示された。この遺構を残す意義は大きい。さらなる調査・検討を進め、できるだけ広い範囲の公開を実現してほしい。

 首里城地下に眠る日本軍第32軍司令部壕を巡り、県が保存・公開基本計画の素案を示した。 

 壕は沖縄戦を指揮した32軍司令部が構築。全長約1キロに及ぶ洞窟陣地で、深い所では地下約30メートルに達する。

第32軍司令部壕
首里の司令部壕、第1坑道周辺のトーチカ
守礼門の下側にある第一坑口周辺のトーチカ

 第1~5坑口・坑道があり、そのうち第5坑口と第5坑道の一部を2030年度に公開することが示された。

 第5坑口は首里城正殿が完成予定の26年度中に遊歩道を整備して暫定公開する。

 32軍はここから南部へ撤退した。その結果、南部に避難していた住民が米軍の無差別攻撃に巻き込まれ、犠牲者が一気に増えることになったのである。

 26年度には、昨年度の試掘調査で場所が判明した第1坑口付近でも遊歩道を整備する。

 同坑口自体は現時点では埋め戻して保存し、今後、全体像が明らかになれば新たな公開方法を検討するという。

 首里城と32軍壕の関係性は深く一体的な公開が期待されてきた。

 県の保存・公開検討委員会は第5坑口を25年度、第1坑口を26年度に先行公開するロードマップを示していた。

 当初スケジュールより遅れてはいるものの、全面公開への着実な前進だ。

               ■    ■

 司令官室など中枢機能が集まっていた第2、第3坑道は、安全性や地上の建物との関係など公開に多くの課題があるとして、内部に入らず見学する方法を引き続き検討することが示された。

 壕の中枢では南部撤退をはじめ沖縄戦の方針が決められた。住民スパイ説の発信地で「沖縄語」の使用を禁止する命令が下された場所でもある。

 ほかにも崩落などでいまだに内部に立ち入ることができない箇所がある。民有地内にある第4坑口・坑道の位置の詳細は把握できていない。

 1990年代の大田昌秀県政時代には、本来の壕に沿って「公開坑道」を造り、展示場にする案もあった。

 今後も壕の全体像を明らかにする調査を進めながら、さまざまな公開方法を検討してほしい。

               ■    ■

 32軍壕の構築が始まったのは今からちょうど80年前の44年12月だ。

 工事には兵士のほか多くの学徒や住民が駆り出された。

 完成後は軍幹部を含め千人余が入ったが、それぞれが壕内でどんな役割を担っていたのか不明な部分もまだ多い。過去には壕の説明板から県が一方的に「慰安婦」や「住民虐殺」の言葉を削り批判を浴びた。

 公開に先駆け2029年度には県立芸術大学の敷地内に、壕の全体像を示す展示施設も新設される。沖縄戦の実相を若い世代に伝える展示の在り方についても議論を始めたい。

 元稿:沖縄タイムス社 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2024年12月21日  04:01:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説・12.21】:32軍壕基本計画案 平和理念立脚した公開を

2024-12-21 04:00:50 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【社説・12.21】:32軍壕基本計画案 平和理念立脚した公開を

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・12.21】:32軍壕基本計画案 平和理念立脚した公開を 

 安全性を考慮し、デジタル先端技術の活用も視野に入れた基本計画案が示された。何を継承し、発信するかという公開の理念を確立し、実行に移してほしい。

 沖縄戦当時、首里城の地下一帯に築かれた第32軍司令部壕の保存・公開に向け、県は基本計画素案とスケジュール案を示した。守礼門や園比屋武御嶽の後方付近に位置する第1坑口はデジタルジオラマの技術を使い2026年度に公開を予定し、首里金城町側にある第5坑口と第5坑道の一部を30年度に公開する。

第32軍司令部壕の保存・公開を求める会
第32軍司令部壕の保存・公開を求める会
第32軍司令部壕の保存・公開を求める会
第32軍司令部壕の保存・公開を求める会
第32軍司令部壕の保存・公開を求める会
第32軍司令部壕の保存・公開を求める会
 
 29年度には県立芸大金城キャンパスの敷地内に、32軍壕の全体像を伝える展示施設を整備する方針だ。

 県史跡指定に続く基本計画素案とスケジュール策定で32軍壕公開の道筋が見えてきた。技術的な課題を解決し、県平和行政の理念に立脚した公開を目指してほしい。

 米軍の沖縄本島上陸に備え、32軍が1944年12月に司令部壕の構築を開始して80年が経過した。坑口や坑道の劣化が進んでいることが県調査で確認されている。壕内に入ることができない箇所は、デジタルによって作成した仮想空間を視覚的に疑似体験するVR(仮想現実)技術で補うのは妥当と言える。

 今後求められるのは「なぜ32軍司令部壕を保存・公開するのか」という理念をさらに練り上げ、公開作業の中で具現化することである。

 基本計画素案が掲げる「基本理念」の中で、32軍壕は「沖縄戦の実相を知る上で極めて貴重な戦争遺跡」であり、その公開によって「沖縄戦の歴史的教訓を次世代へ正確に継承していくことにつながる」としている。さらに「平和を希求する『沖縄のこころ』を広く国内外へ発信し、本県におけるアジア・太平洋地域の平和発信拠点の形成及び沖縄戦の実相・教訓の次世代への継承が進むことが期待される」と述べている。

 これは「平和の礎」や県平和祈念資料館の整備にも共通する沖縄県の平和行政の根幹をなす理念でもあろう。32軍壕公開でもこの理念を微動だにしてはならない。

 1975年に旧平和祈念資料館が開館した際、軍事的色彩が濃い展示内容が問題となった。2000年に開館した現県平和祈念資料館も展示内容の無断変更が沖縄戦の実相をゆがめるものとして批判された。07年には高校歴史教科書における「集団自決」(強制集団死)の記述が教科書検定意見でゆがめられ、記述回復を求める県民大会が開かれた。これらの経験は32軍壕公開に生かされるべきだ。

 沖縄戦の実相をゆがめるような動きが今後も起きる可能性がある。「沖縄のこころ」を発信するため、歴史わい曲という課題とも向き合いながら32軍壕公開事業を進めなければならない。そのためにも32軍壕に関わる体験者証言と資料収集の積み重ねがこれからも不可欠である。

 元稿:琉球新報社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2024年12月21日  04:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《土記・12.21》:ナベツネさんの靖国論=伊藤智永

2024-12-21 02:03:00 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

《土記・12.21》:ナベツネさんの靖国論=伊藤智永

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《土記・12.21》:ナベツネさんの靖国論=伊藤智永 

 <do-ki>

 小泉純一郎氏は首相就任の2001年から毎年不意に靖国神社を参拝し、論争を巻き起こした。

 任期最後の06年は8月15日に決行。その前後、本紙は12回の連載記事で、A級戦犯合祀(ごうし)が戦後、誰の手により、いかなる意図と経緯で行われたのかを検証した。

 取材班長だった私の元に、思いがけない2人から反応があった。朝日新聞の若宮啓文論説主幹と、読売新聞の渡辺恒雄会長・主筆である。それまで面識はない。

 突然電話してきた若宮氏とは招かれて会食し、以来著書を頂いた。お薦めは「戦後70年 保守のアジア観」(石橋湛山賞)。

 ■この記事は有料記事です。残り761文字(全文1025文字)

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 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【土記】  2024年12月21日  02:01:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説・12.17】:[沖縄戦80年]第9師団の台湾転出 判断ミスが大混乱招く

2024-12-18 04:01:40 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

【社説・12.17】:[沖縄戦80年]第9師団の台湾転出 判断ミスが大混乱招く

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・12.17】:[沖縄戦80年]第9師団の台湾転出 判断ミスが大混乱招く

 沖縄現地から見れば、まさに朝令暮改、あり得ないような方針転換だった。 

 1944年7月、第9師団が満州から沖縄に到着した。沖縄の第32軍の中でも最精鋭とうたわれた第9師団に、台湾への転出命令が下ったのは、同年11月のことである。

 フィリピン方面での決戦に備えるための措置だったが、それにしてもわずか4カ月の沖縄配備。

 第32軍は、第9師団を含む主力部隊の配置を9月末までに終えており、大本営の命令に強い衝撃を受けた。

 作戦を起案する役割を担っていた八原博通高級参謀は、戦後に出版した著書でこう記している。

 「沖縄防衛の希望はこれを契機として永遠に消滅し」た(「沖縄決戦 高級参謀の手記」)。

 守備手薄な沖縄から精鋭部隊を引き抜いたことは住民にも不安を与えた。

 現地召集された新兵の多数が、同部隊に配属されていただけになおさらである。

 大本営は45年1月、第9師団の穴埋めとして姫路の第84師団を派遣すると伝えた。だが、この案も本土の兵力不足などを理由に派遣中止となった。

 第32軍は、作戦計画の大幅な練り直しを迫られた。

 航空作戦を重視し、県内各地に飛行場を建設することによって沖縄を「不沈空母化」する。それが大本営の考え方だった。

             ■    ■

 第32軍の新たな作戦計画は、それと全く異なる内容だった。

 読谷、嘉手納に建設された北、中飛行場の確保を断念し、洞窟陣地を利用して持久戦に持ち込む。そのような持久作戦を打ち出した。

 45年4月1日、本島に上陸した米軍は何の抵抗も受けず、その日のうちに北、中両飛行場を占領した。現地軍にとっては想定内の事態だったが、大本営は大きな衝撃を受けた。

 参謀総長の戦況説明に対し、昭和天皇はこう語ったという(「沖縄県史 各論編6」)。

 「現地軍ハ何故攻勢ニ出ヌカ 兵力足ラザレバ逆上陸モヤッテハドウカ」

 大本営や上級司令部などから飛行場奪回を求める声が相次いだことから、第32軍は2度にわたって攻勢をかけたが、いずれも無残な失敗に終わった。

                ■    ■

 第9師団転出に伴う兵力不足を補うため第32軍は、さまざまな職業の人々を文字通り根こそぎ動員し、戦力化した。

 正規兵は壕の奥深くに潜み、彼らが命じるままに学徒らが爆雷を担いで斬り込みに駆り出されるという事態も起きた。

 沖縄戦で住民の犠牲が飛び抜けて多かったのはなぜなのか。

 ミサイルの時代に抑止に失敗すれば、ミサイルの発射基地が狙われる。

 戦争の危機が叫ばれている今、その問いの切実さは増すばかりである。

 元稿:沖縄タイムス社 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2024年12月17日  04:01:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《月議・12.16》:被爆者が背負ったもの=下桐実雅子

2024-12-17 02:05:20 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍・広島、長崎原爆投下・国策犠牲・戦後補償

《月議・12.16》:被爆者が背負ったもの=下桐実雅子

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《月議・12.16》:被爆者が背負ったもの=下桐実雅子

 <getsu-gi>

 群馬の大学病院に勤めながら農村部の地域医療に取り組んでいた精神科医の中澤正夫さん(87)は、42歳で東京の病院に移った。そこには「被爆者外来」があり、都内の被爆者の治療や健康管理を担っていた。外部の専門家を交えた症例検討会も盛んで、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のメンバーも加わっていた。

 そんな縁で、被団協の相談所のスタッフとなり、被爆者の悩みに耳を傾けた。各地の学習会にも足を運んだ。中澤さんの脳裏には、10日のノーベル平和賞受賞を知らせたい、たくさんの顔が浮かぶ。

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 元稿:毎日新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【月議】  2024年12月16日  02:02:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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