【社説①】:週のはじめに考える プロクルステスの寝台
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①】:週のはじめに考える プロクルステスの寝台
ギリシャ神話には、旅人を襲うおっかない盗賊が何人も出てきます。怪力で松の木を曲げ、反動で人を八つ裂きにしたりするシニスなど、もう猟奇的。でも、残虐さではプロクルステスも負けていません。旅人に「休んでいけ」といって隠れ家に連れ込み、寝台に寝かせる。旅人の体が寝台より大きければはみ出た分を切り落とし、小さければ無理やり引っ張って寝台に合うよう伸ばす、というのですから身の毛がよだちます。
「身の丈に合った」といえば、日本語では分不相応な贅沢(ぜいたく)などを戒める時の決まり文句ですが、こちらは「身の丈」の方を合わせる…。そんなわけで英語では「プロクルステスの寝台(Procrustean Bed)」は「無理やり押しつける体制や主義」といった意味の成句になっています。
◆ロシア指導者の妄想
この盗賊のことを思い出したのは、なおも続くロシアのウクライナ侵攻について考えている時でした。あのロシアの指導者がこんな愚挙に走ったのは、現実を自分の妄想の中にあるロシアのサイズに無理やり合わせようとしているからではないか、と思ったのです。いわば「プーチンの寝台」だと。
この大統領は、侵攻開始の際、ロシア革命を主導したレーニンがソ連誕生の一九二二年、ドンバスなど現在の東南部地域をウクライナに組み入れたことを批判しました。五四年に、当時の指導者フルシチョフがウクライナに組み入れたクリミア(二〇一四年に併合宣言)は無論のこと、同国東南部も本来はロシアのもの、少なくともそこまではサイズを広げて当然だとでも思い込んでいるようです。
もちろん暴論です。ウクライナがソ連消滅でその軛(くびき)を離れてから三十年以上。親ロシアと親欧米に振れつつ独立した主権国家の道を歩んできました。現政権も民主的な選挙で誕生しています。その領土を奪おうというのですから、ただの盗賊の所業に他なりません。
ここに来て、ロシア軍の苦戦も伝えられますが、例のむちゃな動員令で戦場に駆り出されたロシアの若者たちも気の毒です。彼らもまた「プーチンの寝台」に寝かされた被害者というべきでしょう。
さて、ここで話はがらりと変わるのですが、無理やりサイズに合わせる、ということでいえば、もう一つ連想することがあります。
◆前の一億人、次の一億人
厚生労働省の資料によれば、それは多分、一九六七(昭和四十二)年のある日、だったと思われます。一人の赤ちゃんが、列島のどこかで元気な呱々(ここ)の声を上げる。その瞬間、わが国の総人口は初めて一億人に達したのでした。
今は一億二千万人以上ですが、二〇〇八年に減少に転じて以降は一貫して右肩下がりで、将来もその傾向が続くと思われます。そして、国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、次のそれは、ほぼ三十年後、五二、三年のある日になろうかと思います。どこかで誰かが事切れた瞬間、総人口は再び一億人ちょうどに。さらにもう一人が身罷(みまか)った時、ついに一億人を割り込むのです。
八十数年を隔てるとみられる、「前の一億人」と「次の一億人」では中身がまるで違います。年齢階層別の比率をみてみると、一九六七年(旧総理府推計)は十四歳以下が24%超を占めたのに、二〇五三年の推計値だと10・5%に過ぎません。六十五歳以上は一九六七年には6・6%だったのに、二〇五三年は38%にも達します。わが国は、ただ縮むだけでなく、恐ろしく老いてもいくのです。
経済成長を決める最も大きな要素の一つは「労働投入」です。つまり労働力人口の増加がキーですが、逆に減り続けていくのですから、たとえ技術革新で生産性が上がったとしても、高成長はどんどん困難になる。子供や高齢者に比べて、労働力人口が少ない状態を「人口オーナス(onus)」と呼ぶようですが、まさにわが国にのしかかるオーナス(重荷)は、重くなる一方というわけです。
◆縮みながら、成熟する
それなのに、わが国の政権は、「まず成長」一辺倒。それは、人口増と高成長を享受できた過去の日本の“サイズ”に、今と将来の日本を無理やり当てはめようとする、いささかプロクルステス的な振る舞いだとは言えないでしょうか。低成長の時代をどう生き抜いていくのか。縮みつつ、どう成熟し、どんな豊かさを求めていくのか。そうした新たな道をこそ探っていくべき時でしょう。
ウクライナのことをいえば、国際社会が何とかしてロシアを止めるほかありません。ギリシャ神話では、プロクルステスのような盗賊は、英雄テセウスがことごとく退治してくれます。でも、現世(うつしよ)にテセウスはいません。
元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2022年10月30日 07:50:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。