【宗教二世問題】:「ベルトでお尻を叩かれた」「大学進学は罪」──1131人に聞く宗教的虐待の実態
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【宗教二世問題】:「ベルトでお尻を叩かれた」「大学進学は罪」──1131人に聞く宗教的虐待の実態
◆荻上チキ(評論家、社会調査支援機構「チキラボ」代表)
<宗教的虐待とは何か。宗教2世に対する虐待行為に対処するには、教育ネグレクトや経済的虐待を含め、幅広い議論が必要になると「社会調査支援機構チキラボ」の代表・荻上チキ氏は言う。同団体が当事者1131名を対象に行った調査から、集団的な虐待推奨の実態が浮かび上がった>
国会でのヒアリングで被害体験を話す宗教団体「エホバの証人」3世の夏野ななさん(仮名、左端)と、調査報告を行うチキラボメンバーら(写真提供:社会調査支援機構チキラボ)
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題を中心に、今、さまざまな「宗教2世」当事者が声を上げている。いや、もともとあげられていた声に、世の中が耳を傾け始めている。だが、政府はどこまで、「聞く力」を持っているのだろうか。
11月18日、政府は消費者契約法の改正案や、被害者救済法などの概要を示した。それらを見て受けた印象は、「できる限り最小の一歩しか、進めるつもりがないのか」「可能な限り骨抜きにするのだろうか」というものだった。もしかして政府は、この期に及んで、問題の根深さを直視できていないのではないか。
例えば「寄付上限」の線引きが、「居住する建物を売却したり借金をするよう求める行為」である点は問題だ。これでは、「口座満額寄付」は「過度な献金ではない」などと解釈されうる懸念がある。
また、マインドコントロールの問題については、概要にすら盛り込まれてすらいない。「今国会には間に合わない」という言い分が行われるのであれば、理解はできなくはない。その場合は最低限、「今国会ではこれを、次の国会ではこれをやります」というロードマップを示すことが必要となるはずだ。
初手段階で、政府の消極性が見えてしまう状況に絶望しそうではある。だが、議論が不十分な点は他にも多くある。
例えば、宗教的虐待について、通達のみで済ませるのではなく、児童虐待防止法に明記できないのか。旧統一教会以外にも、たとえば継続的・集団的に虐待推奨を行なってきたような宗教団体など、問題のある宗教法人はいくつかあるが、そうした団体の2世らも救済の視野に入っているのか、などだ。
筆者が代表を務める社団法人「社会調査支援機構チキラボ」では2022年9月、宗教2世の実態調査を行った。有効回答数は、1,131名。調査内容は報告書にまとめ、ウェブ上で無償で公開している。また、11月25日には、調査のまとめも掲載された書籍『宗教2世』(太田出版)が発売となる。『宗教2世』(太田出版)が発売となる。
調査結果については記者会見も行い、国会のヒアリングでも説明した。現在は、各党議員に、調査でわかった知見を伝える活動を行っている。
この実態調査から分かったことは、いまメディア等で声を上げている宗教2世の体験は決して特殊なケースでもなければ、個別家庭の問題にとどまるものでもなく、多くの2世が共有しているものであるということだ。また、そこで求められている対策(虐待対策や自立支援他)は、多くの当事者が求めているものと重なっていることが確認できた。
被害者は具体的に何を求めているのか。まずはそれを可視化するため、この記事では、ラボの調査のなかで見えてきたもののうち、まだあまり論点化されていないものについて整理していこうと思う。
宗教2世の実態調査を行った「社会調査支援機構チキラボ」代表で筆者の荻上チキ(写真提供:社会調査支援機構チキラボ)
◆「親子問題」では済まされない
まず、「2世問題」の前提を確認しておくと、いわゆる「宗教2世問題」や「カルト2世問題」とされるものは、これまで問題視されてきた「親子問題(親ガチャ問題や毒親問題とされるもの)」とは、少し異なる性質を持っている。
2世問題の場合、家族の外側に信者集団があり、さらには教団、教祖、経典などがある。たまたま、特定の親が変わった要求をしてくるというのではなく、教団や信者集団が、特定の世界観や信念を、意図的・継続的・集団的に、子ども=2世以降に伝達しようとするのである。
多くの2世(ラボ調査では9割以上の2世)が、幼い頃から、「家の宗教」を信仰することを求められる。それは大抵の場合、特定の信者ネットワークの中で育つということを意味する。そのため、親の教育方針に疑念を抱いても、「他の子は熱心に活動しているよ」「お母さんのいうことを聞かないと地獄に落ちるよ」といった仕方で、他の信者から諭されたりすることが起こり得る。
親子の外側に信者集団があり、そこにはそれぞれの「信者風土」がある。この「集団性」というのが、2世問題を根深くする一つの要因であると言える。「集団性」があるため、2世は脱会を検討する際、生まれ育ったコミュニティを裏切るような感覚を味わい、葛藤や自罰感を覚える人が少なくない。
この「集団性」や「信者風土」がややこしいのは、「教義」や「教団の方針」「開祖は会長らの思想」とは別に、独自の動きを示すことがあるということだ。例えば、教義としても、教団の方針としても、男女の区別を全面に押し出していない宗教の場合でさえ、「集会の時には、女性は長いスカートを履いてくることが望ましい」といった具合に、独自ルールを「信者風土」として共有することがある。
だからこそ宗教2世の問題を考える場合、ただ「教義」「教団」の問題に着目するだけでは不十分な点が出てくる。また、教団などが外から問題を指摘された際、「一部の信者がそのようなこと解釈を行なったにすぎない」といった仕方で、「信者風土」のせいにして責任追求を逃れるようなことも起きている。
幅広く2世被害について対応するのであれば、「教団」だけを対象にするのではなく、「集団性」「信者風土」に着目した対応も必要となるだろう。具体的には、集団的な虐待推奨行為の規制、集団的な過剰献金の推奨行為に注目し、さらには教団による監督不行き届きや是正義務についても論じる必要がある。
一般的な法人でも、社内でパワハラなどの各種ハラスメントが横行していたり、社員の不正会計などが問題視されれば、法人として調査し、時には第三者委員会を設けるなどして、再発防止策を模索する。そうした対応は、宗教法人であっても、同様に行われる必要があるだろう。
◆「集団的な虐待推奨行為」の規制を
そこでまずこの記事で特に投げかけたいのは、「集団的な虐待推奨行為」への対処である。
宗教実践の中には、あきらかに子どもに有害なものも含まれる。調査の中で目立ったのは、「エホバの証人」の2世回答者の、身体的虐待(体罰)経験率だった。調査では、エホバ2世回答者の8割以上が、家族等からの身体的虐待を経験していた。具体的にどのようなものであったのか。ここに自由記述の一部を紹介する。
(※具体的な記述が含まれるので、ストレスやフラッシュバックなどに注意してください)
●小さい子供の頃、集会で大人しく座っていられない等の理由で皮のベルトでお尻を叩かれた。会館と呼ばれる集会所には懲らしめの部屋があり、誰でも使える皮でできた鞭が複数置かれていた。
●木の棒やゴムホースでお尻を直接(何も履かない状態で)叩かれた。しょっちゅう赤いみみず腫れができていた。自分から服を脱いでお尻を出さなければならず、怖いので出せないでいると何時間も母親とにらみ合いの状態が続いた。お尻を出せるまで納戸に閉じ込められることもあった。とにかく痛くて怖くて嫌だった。
●集会や布教に行きたくないと言うとお尻を出して電気コードで何十回も叩かれました。皮膚がさけました。悲しくて辛くて苦しくて怖かったけど私が悪いからだと言いました。親は宗教活動をしないと本当に世界の終わりに滅ぼされると教団の教えを信じていたので、これも親の愛なんだと思うようにしむけられていました。お祭りや友達の誕生日パーティーも行きたいと言うと鞭で叩かれます。祭り事や楽しいことは全て禁止で破ったら鞭です。
2世や脱会者へのインタビューを聞くと、信者たちはしばしば、「鞭」に代わるものの情報交換などを行なっていたようだ。そして子どもへの「鞭」を行なった親に対し、ねぎらいや励ましの言葉を掛け合うという。
毎日新聞の取材に対し、エホバの証人の広報担当者は、「方法は各家庭で決めることだが、体罰をしていた親がいたとすれば残念なことだ。教えを強制することもしていない」と回答したという。このような回答に対し、エホバの元2世たちによるウェブコミュニティでは、憤りの声が多くあがっていた。
虐待を推奨する行為は、エホバの証人だけではない。例えば調査には、次のような体験談も寄せられた。
●意に反して裸足で焚き火の上を渡らされたり、早朝に起こされ冷水を浴びせられたりした。
●「参加しないのは不信心だ、家がダメになる」と言って、火渡りや登山、滝行、神社への参拝などに行事に連れて行かれた。
集団としてなされていた行為に対し、教団が「信者の暴走論」で済ませようとする動きは、これからも行われるだろう。こうした実態を考えると、「集団的な虐待推奨行為」に対する規制や、法人格としての安全配慮義務を実行させることなどが必要であると考えられる。
また、他の犯罪であれば、教唆(そそのかすこと)や幇助(手助けすること)が罰せられることがある。筆者は、虐待についても、教唆や幇助について対応する必要があるのではないかと考える。
これまで虐待は、家庭で独自に行われるものが想定されて議論されてきた。実際「児童虐待防止法」でも、「児童虐待とは、保護者がその監護する児童についておこなう行為」とされている。ここでは、親同士の教唆や幇助、そしてその集団への指導などは想定されてこなかった。
宗教2世への幅広い身体的虐待が明らかになった今、「集団的な虐待推奨行為」についても、議論をすることが必要だと考える。
◆ネグレクト推奨行為をどうするか
さて、「虐待」という行為は、暴力などの「身体的虐待」に限らない。心理的虐待、性的虐待、経済的虐待、そしてネグレクトなど、いくつかの種類がある。
教団ごとの比較をした場合、「エホバの証人」の2世回答者は、他の宗教団体の回答者と比べて、最終学歴が低くなる傾向があった。自由記述を読むと、多くのエホバ2世回答者が、「進学や就職をするのではなく、宗教活動に専念すること」を推奨されてきたのが分かる。
●高卒以上の学歴は不要、フルタイムの仕事に就くべきではない(と言われた)。
●ハルマゲドンが近いのに大学に行ったり正社員で働いている場合じゃない。出来るだけ奉仕に時間をさけといわれた。
●高校を卒業すると大学に進学するのが罪のような言われ方だった パートや契約社員などして実家暮らしで伝道活動に時間を割きなさいの考え方だった。
●高等教育、特に大学進学に関しては教義によって否定されていた。また布教を第一にした生活設計をするよう組織から指導されていたので、フルタイムの正社員で働くことは信仰心が無いこと、とみなされた。基本的に非正規、パート、アルバイトが推奨されていた。(布教に一番時間が割けるので)
宗教的虐待について議論する場合、教育ネグレクトや経済的虐待を含め、幅広い議論が必要となる。そして、これもやはり、「集団的なネグレクト推奨行為」についても、法的な、あるいは社会的な対応を考えることが必要だろう。
ただこのとき、必ず出てくるのが「線引きが難しい」「グレーゾーンはどうするのか」という指摘だ。「親に無理やり習い事をさせられるのも虐待か?」「大学に行かずに働いてほしい、と頼むのも虐待か」といった具合に。
線引きは難しい。それはその通りである。ただそれは、この問題に限ったことではない。そして、線引きが難しくても、できることが二つある。この二つは、他の立法においてもとられてきた手段である。
一つは、「明らかにアウトなものから手を付けること」だ。宗教的理由であろうが、「鞭打ち」などはアウト。未成年に、火渡りや滝行などを強要することもアウト。子供の小遣いや財産を、勝手に献金するような行為はアウト。こうした、「親の信仰の自由はあれど、社会通念上、児童福祉を著しく抑圧しているとみなされる行為」から線引きをしていくことはできるはずだ。
「線引きは難しい」と言われるとき、その多くは、いきなり「信仰の自由」と「子供の福祉」とのセンターラインを探そうとしてしまっている。それは到底不可能である。だからこそ、「ここからは明らかにアウト」という線をまずは明言すべきとなる。その後さらに、線引きのあり方を、不断に問い直すことが必要となる。
もう一つは、「規制以外の社会的オプションを複数用意すること」だ。例えば子どもが不服に思うような行為であったとしても、一般的には「虐待」とされにくいような行為はたくさんある。そのような境界事案であっても、なにも社会的に介入できないというわけではない。
例えば、子どもの相談に乗り、親と調整するサポートをしてくれる「子どもコミッショナー」制度。子どもが自分の意思で独立し、学費を確保できるような自立支援制度や奨学金制度。家庭以外の「第3の場所」にアクセスしやすいような地域社会づくり。さまざまなオプションによって、子どもの生存をサポートすることもできるだろう。
他の虐待問題同様、宗教的虐待もまた、「これさえあればゼロになる」という妙案はない。被害の実態を共有したうえで、ひとつひとつ、一歩一歩、対策を進めていくこと。その歩みを止めないためにも、実態調査などで明らかとなった「2世の声」を、広く共有することが重要となるであろう。
元稿:NewsWeek 日本版 主要ニュース 社会 【旧統一教会を巡る様々な問題から注目された宗教2世の問題改善に欠かせない「宗教的虐待」問題 】 2022年11月22日 11:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。