《今日も惑いて日が暮れる・12.18》:「東京事件」は起きないか=吉井理記
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《今日も惑いて日が暮れる・12.18》:「東京事件」は起きないか=吉井理記
あれは地方紙の記者をしていた2001年春だった。
サッカーの日韓ワールドカップ(W杯)を翌年に控え、韓国政府の招きで韓国国内のW杯開催地を取材したことがある。
取材といっても、韓国語は「こんにちは」「さようなら」「ビールをください」しか知らず、当局者の日本語での説明にうなずくだけだったが、光州市で光州事件(軍事政権による戒厳令下の1980年、出動した軍が民主化を求める多数の市民を射殺した事件)犠牲者を追悼する公園を見学した時は、怠惰な僕も粛然とした。
犠牲者は政府認定で154人。実数ははるかに多い、という指摘もある。記念館には亡くなった市民や学生の写真が並び、夕日を浴びた慰霊碑が長い影を落としていた。
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元稿:毎日新聞社 東京夕刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【今日も惑いて日が暮れる】 2024年12月18日 13:09:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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