『ジェイン・エア』(上巻)より(4)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/a6e40d305ca26bf1ca0ec8abfa220572
「二日すぎた。夏の夕べ出ある。馭者は私をウィットクロスという所でおろした。私の払った金額では、もうこれ以上先へは乗せることができなかった。私はもう一シリングも、この世に持っていない。馬車はこの時一マイル先へ行ってしまって、私は一人とりのこされていた。その時私は安全のために、馬車の奥まったところに入れておいた自分の包みを、取り出すことを忘れていたのに気がついた。あの包みはあのままになっているのだ、たしかにあるにちがいない。いよいよ私はほんとうの無一物になった。
(略)
私はヒースの中へ、まっすぐに進んでいった。茶褐色の高原の斜面を深くえぐっている一つの窪地へ向って、歩みつづけ、小暗く生い茂っている中を膝まで没しながら歩いた。道の曲がり角について、私も曲がると、そのかくれた角に、苔で黒ずんだ花崗石の巨岩を一つ発見して、私はその岩の下に坐った。私のまわりに高原が高い土手をなしていた。岩は私の頭上を庇護し、大空は岩の上にひろがっていた。
こんな場所にいてさえ、落ちついた気持ちになるまでに、しばらく時がたった。野獣が近くにおりはしないか、猟人か密猟者が私を見つけはしないかと、漠然とした不安を感じた。高原を吹きかすめる一陣の風にも、野牛の突進ではないかと見あげ、千鳥の鳴く音も、人かと思った。けれども、この不安も杞憂にすぎないことがわかり、日がとっぷり暮れるにつれて、あたりを支配する深い静けさに、私はもう大丈夫だと思った。私は、まだこの時まで考えることをしなかった。ただ、耳をそばだて、目を見張り、恐れてばかりいた。この時私はいろいろ考える気力を取りもどした。
私はどうすべきか? どこへ行くべきか? ああ、切ない質問ではないか、どうすることもできず、どこへも行くところがないのに!ー人里へ行きつくには、この疲れきった、ふるえる脚で、まだこれから歩いてゆかねばならないのにー一夜の宿を得るには、人の冷たい情にすがらねばならないのにー私の物語を聞いてもらうには、または私の願いの一つを聞きいれてもらう前には、厭々ながら与えてくれる同情だって、こちらからせがまなければならないし、たいてい、きまって拒絶される目にあわねばならないのに!
私はヒースにさわってみた。乾いていたし、しかも夏の日の熱で、ぬくもりがあった。私は空を眺めた。空は澄みきって、やさしい星が一つ、ちょうど断層をなしている土手の上に、きらきら輝いていた。夜露は落ちたが、夏の夜に頃合の冷たさで落ちた。そよとの風もなかった。自然は私にやさしく、親切であるように思われた。私は宿なしの身ではあるけれども、「自然」は私を愛してくれるように思われた。だから、人間から猜疑と排斥と侮辱ばかりを期待する私は、子供が親に対する情愛で、自然にすがりついた。せめて今宵は「自然」のお客になれるだろうー私は彼女の子なのだから。お金もとらず、無報酬で泊めてくれるのだ。私はまだ一ちぎりのパンを持っていた。正午に馬車が町を通ったとき、使いのこしてまぎれこんでいた小銭ー私の最後のお金で買った巻パンの残りであった。私は熟したくろまめの木が、ヒースの間に、光ったじゅず玉のように、そこここに輝いているのを見た。私は手にいっぱいそれを掴みあつめ、パンと一緒に食べた。はげしい空腹は満たされないにしても、この仙人じみた食物でなだめられた。食事がおわると、夕べの祈りをささげ、寝床をえらんだ。
岩のそばは、ヒースが非常に深かった。体をよこたえると、足はヒースの中に埋まった。ヒースは
両側に高くたっているので、夜気の襲うには、狭いすきまがあるだけであった。私はショールを二つに折って掛けぶとんの代りに体の上にかけた。苔だらけの地盤の小高いところが、私の枕であった。こうして宿を求めたが、少なくも夜になりはじめは、寒くはなかった。
私の願いは、胸のかなしみさえ妨げないなら、申し分なく安らかなものであったろうに。悲しい心は、口をあけている胸の傷を、その中の出血を、断ち切られる縁(えにし)の絃(いと)を、嘆いた。心はロチェスター氏と、彼の運命を思って、おののき、切ない同情をもって彼を悲しんだ。絶間ないあこがれをもって彼を求め、両の翼を傷つけられた小鳥のように無力ではあったが、なおも彼を求めようと打ちひしがれた心の翼をむなしくふるわせた。
この苦しい思いに疲れはて、私は起きて坐った。夜になり、星が出た。平穏な、静かな夜であった。恐怖を伴うには、あまりにも晴朗であった。誰しも神の存在は普遍であることを知っているが、そのみ働きが、わたしたちの前でいとも広大な規模でひろげられた時、わたしたちは、それをはっきり知るのである。また私たちが、神の無窮、神の無限の力、神の無限の存在を最もはっきり知るのは、神のもろもろの世界が、それらの沈黙の行路をたどっている、あの晴朗な夜半の空においてである。私はロチェスター氏のために祈りを捧げようとして跪いていた。涙にかすんだ目で空を見上げ、広大な銀河を眺めた。銀河はなんであるかをーなんという無数の世界が銀河の中にあって、天空にひろがっているのだろうと思い浮べた時、私は神の威と力とを感じた。神は神ご自身が創られたものを、救ってくださるみ力を持っていることを、私はかたく信じた。地は決して滅びることなく、地が大切にしている人間一人でも滅びることがないということを、次第に感得してきた。私は祈りを感謝に変えた。生命の創り主は、また霊魂の救い主である。ロチェスター氏は安全だ。彼は神の子である。だから神によって守られている。私は、ふたたび丘のふところに身を寄せた。そうして、まもなく眠って、悲しみを忘れた。」
(シャーロット・ブロンテ作、遠藤寿子訳『ジェイン・エア』(下巻)、1957年4月26日第1刷発行、1978年12月10日第19刷発行、岩波文庫、159-163頁より)
ジョン・ケアードさん演出、ミュージカル『ジェーン・エア』、3月-4月に東京芸術劇場で上演決定。観劇したいですが残念ながら池袋は遠くてもう無理。来年春、まだ歩くことができているのか、そもそも生きているのか、国のシナリオ通りならコロナ騒動は少なくとも来年の春まで続く。一億総マスク社会、危険なワクチン打て打てどんどん。素顔の人が不審者になった日本は日々破滅へと向っている。未来はない。
https://janeeyre.jp/
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/a6e40d305ca26bf1ca0ec8abfa220572
「二日すぎた。夏の夕べ出ある。馭者は私をウィットクロスという所でおろした。私の払った金額では、もうこれ以上先へは乗せることができなかった。私はもう一シリングも、この世に持っていない。馬車はこの時一マイル先へ行ってしまって、私は一人とりのこされていた。その時私は安全のために、馬車の奥まったところに入れておいた自分の包みを、取り出すことを忘れていたのに気がついた。あの包みはあのままになっているのだ、たしかにあるにちがいない。いよいよ私はほんとうの無一物になった。
(略)
私はヒースの中へ、まっすぐに進んでいった。茶褐色の高原の斜面を深くえぐっている一つの窪地へ向って、歩みつづけ、小暗く生い茂っている中を膝まで没しながら歩いた。道の曲がり角について、私も曲がると、そのかくれた角に、苔で黒ずんだ花崗石の巨岩を一つ発見して、私はその岩の下に坐った。私のまわりに高原が高い土手をなしていた。岩は私の頭上を庇護し、大空は岩の上にひろがっていた。
こんな場所にいてさえ、落ちついた気持ちになるまでに、しばらく時がたった。野獣が近くにおりはしないか、猟人か密猟者が私を見つけはしないかと、漠然とした不安を感じた。高原を吹きかすめる一陣の風にも、野牛の突進ではないかと見あげ、千鳥の鳴く音も、人かと思った。けれども、この不安も杞憂にすぎないことがわかり、日がとっぷり暮れるにつれて、あたりを支配する深い静けさに、私はもう大丈夫だと思った。私は、まだこの時まで考えることをしなかった。ただ、耳をそばだて、目を見張り、恐れてばかりいた。この時私はいろいろ考える気力を取りもどした。
私はどうすべきか? どこへ行くべきか? ああ、切ない質問ではないか、どうすることもできず、どこへも行くところがないのに!ー人里へ行きつくには、この疲れきった、ふるえる脚で、まだこれから歩いてゆかねばならないのにー一夜の宿を得るには、人の冷たい情にすがらねばならないのにー私の物語を聞いてもらうには、または私の願いの一つを聞きいれてもらう前には、厭々ながら与えてくれる同情だって、こちらからせがまなければならないし、たいてい、きまって拒絶される目にあわねばならないのに!
私はヒースにさわってみた。乾いていたし、しかも夏の日の熱で、ぬくもりがあった。私は空を眺めた。空は澄みきって、やさしい星が一つ、ちょうど断層をなしている土手の上に、きらきら輝いていた。夜露は落ちたが、夏の夜に頃合の冷たさで落ちた。そよとの風もなかった。自然は私にやさしく、親切であるように思われた。私は宿なしの身ではあるけれども、「自然」は私を愛してくれるように思われた。だから、人間から猜疑と排斥と侮辱ばかりを期待する私は、子供が親に対する情愛で、自然にすがりついた。せめて今宵は「自然」のお客になれるだろうー私は彼女の子なのだから。お金もとらず、無報酬で泊めてくれるのだ。私はまだ一ちぎりのパンを持っていた。正午に馬車が町を通ったとき、使いのこしてまぎれこんでいた小銭ー私の最後のお金で買った巻パンの残りであった。私は熟したくろまめの木が、ヒースの間に、光ったじゅず玉のように、そこここに輝いているのを見た。私は手にいっぱいそれを掴みあつめ、パンと一緒に食べた。はげしい空腹は満たされないにしても、この仙人じみた食物でなだめられた。食事がおわると、夕べの祈りをささげ、寝床をえらんだ。
岩のそばは、ヒースが非常に深かった。体をよこたえると、足はヒースの中に埋まった。ヒースは
両側に高くたっているので、夜気の襲うには、狭いすきまがあるだけであった。私はショールを二つに折って掛けぶとんの代りに体の上にかけた。苔だらけの地盤の小高いところが、私の枕であった。こうして宿を求めたが、少なくも夜になりはじめは、寒くはなかった。
私の願いは、胸のかなしみさえ妨げないなら、申し分なく安らかなものであったろうに。悲しい心は、口をあけている胸の傷を、その中の出血を、断ち切られる縁(えにし)の絃(いと)を、嘆いた。心はロチェスター氏と、彼の運命を思って、おののき、切ない同情をもって彼を悲しんだ。絶間ないあこがれをもって彼を求め、両の翼を傷つけられた小鳥のように無力ではあったが、なおも彼を求めようと打ちひしがれた心の翼をむなしくふるわせた。
この苦しい思いに疲れはて、私は起きて坐った。夜になり、星が出た。平穏な、静かな夜であった。恐怖を伴うには、あまりにも晴朗であった。誰しも神の存在は普遍であることを知っているが、そのみ働きが、わたしたちの前でいとも広大な規模でひろげられた時、わたしたちは、それをはっきり知るのである。また私たちが、神の無窮、神の無限の力、神の無限の存在を最もはっきり知るのは、神のもろもろの世界が、それらの沈黙の行路をたどっている、あの晴朗な夜半の空においてである。私はロチェスター氏のために祈りを捧げようとして跪いていた。涙にかすんだ目で空を見上げ、広大な銀河を眺めた。銀河はなんであるかをーなんという無数の世界が銀河の中にあって、天空にひろがっているのだろうと思い浮べた時、私は神の威と力とを感じた。神は神ご自身が創られたものを、救ってくださるみ力を持っていることを、私はかたく信じた。地は決して滅びることなく、地が大切にしている人間一人でも滅びることがないということを、次第に感得してきた。私は祈りを感謝に変えた。生命の創り主は、また霊魂の救い主である。ロチェスター氏は安全だ。彼は神の子である。だから神によって守られている。私は、ふたたび丘のふところに身を寄せた。そうして、まもなく眠って、悲しみを忘れた。」
(シャーロット・ブロンテ作、遠藤寿子訳『ジェイン・エア』(下巻)、1957年4月26日第1刷発行、1978年12月10日第19刷発行、岩波文庫、159-163頁より)
ジョン・ケアードさん演出、ミュージカル『ジェーン・エア』、3月-4月に東京芸術劇場で上演決定。観劇したいですが残念ながら池袋は遠くてもう無理。来年春、まだ歩くことができているのか、そもそも生きているのか、国のシナリオ通りならコロナ騒動は少なくとも来年の春まで続く。一億総マスク社会、危険なワクチン打て打てどんどん。素顔の人が不審者になった日本は日々破滅へと向っている。未来はない。
https://janeeyre.jp/