たんぽぽの心の旅のアルバム

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『アンナ・カレーニナ(中)』-第五篇-8より

2024年10月09日 01時39分10秒 | 本あれこれ

『アンナ・カレーニナ(中)』-第四篇-21より

「夫と決裂した当時、自分の行動について、気休めになるような一つの理想が、彼女の頭に浮んだ。そして今、これまでのいっさいの過去を思いだしてみても、ただその一つの理屈しか思いだせなかった。

 《あたしがあの人を不幸にしたのはどうにものっきぴらないことだったんだわ》彼女はそう考えるのだった。《でも、あたしはその不幸を利用しようとは思わないわ。あたしだって苦しんでいるんだし、これからも苦しむだろう。あたしは、なによりもいちばんたいせつに思っていたものを失ってしまった-自分の名声も、ひとりむすこも、自分で悪いことをしたのだから、もう幸福なんて望みはしないわ。離婚も望まないわ。ただ、恥をさらしながら、わが子と別れて苦しんでいくんだわ》ところが、アンナはどんなに心から苦しもうと思っても、事実は苦しんでいなかった。恥さらしなどということは少しもなかった。ふたりとも、なかなか気転がきいたので、外国へ来てからは、ロシアの貴婦人たちを避けるようにして、けっして自分たちを気まずい立場に立たせるようなことはなかった。ふたりはいたるところで、自分たちの関係を、当人たちよりずっと理解しているといった顔をしている人たちばかりに会っていた。愛するひとりむすことの別れも、はじめのころは彼女を苦しめなかった。ヴロンスキーの子である幼い娘がとてもかわいく、その子だけが手もとに残ってからは、アンナもすっかりその子にひきつけられてしまったので、むすこのことはめったに思いださなかったからである。

 健康が回復するにつれてますますつのってきた生の要求があまりにも強烈で、しかも生活条件があまりにも新鮮でかつ快適だったので、アンナはわれながらすまないと思うほど幸福に感じていた。アンナはヴロンスキーの人がらを知れば知るほど、ますます深く愛していった。アンナは、彼そのもののためとともに、自分に対する彼の愛のために、彼を愛したのであった。ヴロンスキーを完全に独占したことは、アンナにとってたえざる喜びであった。彼が身近にいるということが、アンナには快かった。彼の生活のひとつひとつが、知れば知るほど、アンナには言葉につくせぬほど愛らしかった。平服を着たために一変した彼の風貌は、アンナにとって、まるで恋せる若い乙女のように魅力があった。彼が話したり、考えたり、行なったりするいっさいの中に、アンナはなにか特別上品な、高潔なものを見いだすのだった。彼のことを讃美する気持は、しばしば彼女自身をはっとさせた。アンナは彼の中になにか美しからぬものを捜したが、どうしてもそれを見いだすことはできなかった。アンナには、彼に比べれば自分などつまらない女だと相手に思い知らす勇気はなかった。彼女はもし相手がそれを知ったら、じきに自分を愛さなくなってしまうような気がした。今の彼女には、べつにそれを恐れる理由など少しもなかったにもかかわらず、彼の愛を失うことほど恐ろしいものはなかった。しかも彼女は、自分に対する彼の態度に、感謝せずにはいられなかったし、またそれを自分がどんなにありがたく思っているかを、示さずにもいられなかった。アンナの考えによると、彼は国家的な仕事に対してある使命をもち、当然それによってめざましい役割を演ずべきであったが、彼女のためにその名誉を犠牲にし、しかも一度として残念そうな様子を見せたことがなかった。彼は以前よりももっとアンナに愛情あふれるうやうやしい態度をとり、彼女が今の境遇のために、ばつの悪い想いをしないようにと、片時も忘れずに、気を配るのだった。彼はまったく男性的な人間であったが、アンナに対しては、反対しなかったばかりか、自分の意思をもたずに、ただひたすらアンナの望みを察することばかりに没頭しているみたいであった。したがって、アンナも、それをありがたく思わずにはいられなかったが、彼のそうした心づかいがあまり高じてくると、自分をとりかこむそうした雰囲気に、時としてわずらわしく思うこともあった。

 一方ヴロンスキーは、あれほど長いあいだ待ち望んでいたものが、完全に実現されたにもかかわらず、全く幸福であるとはいえなかった。彼はじきにそうした欲望の実現は、前々から期待していた幸福の大きな山に比べれば、そのわずか一粒の砂をもたらしたくらいにしか感じなかった。この実現は、幸福というものを欲望の実現であると考えている人びとが犯す例のあやまりを彼にも思い知らせたのであった。彼はアンナといっしょになり、平服に着かえた当座、それまで知らなかった一般的な自由というものの魅力や、恋の自由の魅力を味わって、満足を感じたが、それも長くはつづかなかった。彼はじきに、自分の心の中に欲求、つまり、ふさぎの虫が、頭を持ちあげてくるのを感じた。彼は自分の意思とは無関係に、刹那的な気まぐれを欲望や目的のように見なして、それにとびついていった。一日のうち16時間は、なんとかしてつぶさなければならなかった。というのは、ペテルブルグ生活では時間つぶしになっていた社会生活の枠が、今はなかったので、まったく自由に暮していたからである。前の外国旅行のときに、ヴロンスキーの興味をひいた、ひとり者にとっての楽しみなどは、考えてみることもできなかった。なぜなら、そうした楽しみについて、ちょっと口をすべらしただけでも、アンナは知人たちと遅い夜食をとっているときでさえ、急に、場ちがいなしょげ方をするからであった。ふたりの立場がはっきりしていなかったので、土地の社交界やロシア人との交際、うまくいかなかった。名所旧跡は、もうのこらず見てしまったことは別にしても、しかし、彼はロシア人として、また聡明な人間として、イギリス人ならそうした行為に巧みにつけ加えるであろう、あのもったいぶった意味を見いだすこともできなかった。

 こうして、飢えた獣がなにか食べ物を見つけようと、手あたりしだいあらゆるものに食いつくのと同様、ヴロンスキーはまったく無意識に、時には政治に、時には新刊書物に、時には絵画にと手を出してみるのだった。

 彼には子供の自分ら絵の才能があったし、今はなにに金を使ったものかわからなかったので、版画の収集をはじめたが、やがて絵を描くようになり、それを仕事にしだした。そして、彼はなにかしたくてうずうずしている余分な精力をすべて、絵画に打ち込むようにした。

 彼には絵画を理解る能力あり、正確に、しかもじょうずに作品を模倣する能力があったので、自分で画家としての素質があると思いこみ、自分はどんな流派の絵を選ぶべきか、宗教画か、歴史画か、風俗画か、それとも写真画か、としばらく思い迷ったあげく、とにかく描きはじめてみた。彼はあらゆる流派の絵画を理解し、そのいずれにも感動することができた。ところが、彼は絵画にはどんな流派があるかということを、まるっきり知らなくても、また自分の描くものがどんな流派に属するか、そんなことは気にかけなくても、自分の心にあるものから、じかに霊感を受けることができるのだと想像してみることもできなかった。彼はそれを知らなかったで、直接に人生そのものからではなく、すでに絵画によって具現された間接的な人生ら霊感を受けた。したがって、彼はきわめてすみやかに容易に霊感を覚え、それと同時、きわめてすみやかにかつ容易に得られた結果は、彼の描いたものが、彼の模倣しようと思った流派に、きわめてよく似てきたことであった。

 彼はどんな流派の絵よりも、優雅で効果的なフランスの流派が気に入ったので、イタリア風の衣装を着たアンナの肖像を、そういった流派で描きはじめた。そして、その肖像は彼自身にも、それを見たすべての人びとにも、きわめて成功した作品に思われた。」

 

(トルストイ『アンナ・カレーニナ(中)』昭和47年2月20日発行、昭和55年5月25日第16刷、新潮文庫、418-422頁より)

 

 

 


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