憲法を使って憲法を空洞化させる
安倍・菅政権の解釈改憲=改悪をやめさせるためには
政権交代しかない!
違憲満載の安倍・菅政権に代わる
憲法を活かす新しい政権のビジョンを
国民に示すとき!
過去の政府答弁では「推薦者の任命を拒否しない」とされていたことから、その判断の違法性や矛盾を指摘する声もあがる。内閣法制局は2018年に「解釈確定」があったとしているが、「解釈変更」があったのかどうかははっきりとしていない。いったい、何が起きているのか。
当時の政府は「立候補者数の減少」など「学者の学術会議離れ」をその理由にあげていた
共産党の佐藤昭夫議員は同年5月の参議院文教委員会で、
「政府・自民党は、学術会議に対し攻撃を繰り返し」てきたと指摘した。
第98回国会 参議院 文教委員会 第8号 昭和58(1983)年5月12日
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=109815077X00819830512&spkNum=388&single
○佐藤昭夫君 私は、まず、わが党の慎重審議要求にもかかわらず、日本学術会議法の一部を改正する法律案の議了、採決をいま強行しようとする委員長並びに自民、公明、民社党を初めとする諸君に対して、厳しく抗議するものであります。
本改正案は、日本学術会議の根本的性格を変える重大な内容を持つものであります。しかも、わずか十数時間足らずの質疑を通しても、きわめて重要な問題が多々明らかにされました。にもかかわらず採決を強行することは、きわめて無責任かつゆゆしき事態であります。私は、まずこのことを指摘し、反対の討論を行うものであります。
第一に、日本学術会議の同意を得ないまま、政府が一方的に法案を提出するという経過が示すように、この法案提出自体が日本学術会議の自主性、独立性を踏みにじるファッショ的なものであります。しかも四月十四日の学術会議の総会に正式に法案を示すことなく、かつまた二十三万有権者に法案の内容を知らせることなく、一方的に有権者の権利を奪い、また推薦の母体となる学協会の意見をも聞くことなく法案を提出することは、言語道断の暴挙と言わなければなりません。
第二に、本法案の内容であります。
この法案の根幹は、これまでの公選制を廃止し、全面推薦制に変えるということであります。言うまでもなく、日本学術会議が政府から独立して職務を行うためには、公選制こそがその制度的保障であります。これを推薦制に変えることは、選挙という民主主義的原則を踏みにじるとともに、学術会議をきわめて細分化された学会の利益代表機関に変質させるものであります。そのことは、時の政府から独立して科学、学術の総合的、長期的発展を広い視野から審議するという学術会議が国民に負っている重要な職務の遂行を不可能にし、日本の科学、学術の発展に重大な障害をもたらすものであり、断じて容認できるものではありません。
第三に、部の定員、専門別の定員、学協会の候補者及び推薦人の届け出、会員推薦管理等、学術会議のあり方及び推薦方法の根幹が政令にゆだねられており、二重三重に政府統制を強めるものとなっています。学術会議の独立性、自主性を奪うとともに、憲法に保障された学問の自由を奪うものとなっていることであります。
そもそも日本学術会議は、
第二次世界大戦に際し、わが国の科学者がその自主性を失い、戦争に協力したことへの深刻な反省から生まれたものであります。だからこそ、わが国の科学者の代表機関として選挙によって会員は選ばれ、政府から独立して科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的として一九四九年に発足したものであります。学術会議が、科学者の立場から戦争と平和の問題を取り上げ、原子力の研究と利用に関し公開、民主、自主の原則を要求する声明、原水爆禁止、核兵器の廃棄について世界の科学者に訴えるなどの声明を採択してきたことは当然のことであります。また、プラズマ研究所や霊長類研究所など、今日の重要な共同利用研究所などは、学術会議の勧告に基づくものであります。
ところが、政府・自民党は、こうした学術会議に対し攻撃を繰り返し、
一九五三年には吉田首相が学術会議が政治批判ばかりやるなら、政府機関であるよりも民間団体になったほうがいいだとか、
七四年には、当時の小坂総務長官が、学術会議はホットな政治問題に巻き込まれないよう慎んだ方がいい、選挙方法を推薦制にしてはどうかなどの批判を続け、
今回の法改正の発端をつくった中山太郎元総務長官などは、日本学術会議の現状は左翼的なイデオロギーに偏向した会員に牛耳られている、この体質的欠陥はすべてその会員公選制に起因しているなどと自著に記しているのであります。
これこそ言語道断ではありませんか。
こうした攻撃とともに、学術会議予算を徹底して抑え、
五九年には科学技術会議、
六七年には学術審議会、日本学術振興会を発足させ、
学術会議の機能を他の機関に移し、学術会議の形骸化を図ったのであります。
今日、政府・自民党が学者離れだとか形骸化などと声高に批判していますが、その責任の一切は政府・自民党にあることは明白であります。
それこそそれを理由に法改正を行い、公選制を推薦制に変えるごときは、まさに党利党略に基づく学術会議の御用機関化を図るものであり、今日進められている臨調下の軍拡、大企業奉仕に対する科学の従属であり、学術統制に道を開くことは言うまでもないことであり、わが党として断固反対することを表明して討論といたします。(引用ここまで)
5月同日参院文教委員会における手塚康夫・内閣官房総務審議官(当時)の発言
それを形式的に任命行為を行う。この点は、従来の場合には選挙によっていたために任命というのが必要がなかったのですが、こういう形の場合には形式的にはやむを得ません。そういうことで任命制を置いておりますが、これが実質的なものだというふうには私ども理解しておりません。
第100回国会 参議院 文教委員会 第2号 昭和58(1983)年11月24日
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=110015077X00219831124&spkNum=195&single
○政府委員(橋本豊君) 選挙制につきましては、従来から科学者の代表を選出する方法としては適当でないというふうな意見もございます。また現行の選挙の実態として、立候補者数の逐年減少、こういう実態がございますが、こういうことによる競争率の低下、無競争当選が多い等の問題がございます。いわゆる学者離れを起こしているとの指摘がございます。総務長官の私的懇談会いわゆる吉識懇談会でございますけれども、この懇談会におきましても、多数意見は、選挙制を根本的に見直す必要があり、かつ、推薦制の採用を適当とするものでございました。したがいまして、総理府としては、これまで多くの問題点が指摘されてきた選挙制にかえて、科学者が自主的に会員を選出することを基本に、科学者の活動の母体であり、その構成員である科学者の学問研究上の業績を最も適正に評価できる学会を基礎とする推薦制を適当と考えた次第でございます。(引用ここまで)
第100回国会 参議院 文教委員会 第2号 昭和58(1983)年11月24日
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=110015077X00219831124&spkNum=223&single
○吉川春子君 私はまず、わが党の慎重審議の要求にもかかわらず、この採決が強行されるということについて、強く抗議します。理事会でも、私は審議の続行を強く要求しましたけれども、そしてまた質疑打ち切り反対動議に対する意見の陳述の場も認められない、私一人のそれを葬られたということについて、怒りを禁じ得ません。私は、理事としては一人だけれども百万に近い国民の意思を背景にしているし、そういうものを理事会でも踏みにじってこの委員会を強行に開いたということについて、私は心から怒りを禁じ得ないし、抗議するものです。
本改正案は、日本学術会議の根本的性格を変えて、学問の自由、学術会議の自主性、独立性を侵すきわめて危険な法案であることは、短い審議時間ではありましたけれども、質疑を通じてきわめて重要な問題が多く明らかになっています。それにもかかわらず、このように採決を強行することは、参議院文教委員会の歴史に汚点を残すものであることを初めに指摘したいと思います。
第一に、日本学術会議の同意を得ないまま、政府が一方的に提案するという提案手続自体が日本学術会議の自主性、独立性を踏みにじるものであります。
さらに、本法案が参議院で強行採決された直後、五月十九日、日本学術会議が、本法案が学術会議の存在理由を脅かし、目的、職務遂行に重大な疑義があるという反対声明を採択し、総会の意思が表明されたのであります。
この声明は、
手続自体がすでに本会議の独立性と自主性を侵すものといわざるをえないと指摘した上で、改正理由と改正の骨子との関係が判然としない、
二、改革要綱の会員選出制度を退けて全面的な推薦性にする積極的な利点が明らかにされていない、
三、本会議の独立性の制度的保障であり、その存在理由とする公選制が全く否定されていることなど、
六つの重大な問題点を提起し、最後に次のように結んでいるのであります。
政府及び国会は、本会議の意のあるところを十分に酌み取ってほしい。すなわち、政府に対して、また国会に対してもなされている声明であります。
しかも、衆議院の審議に参加した参考人諸氏が慎重審議を要求し、かつまた元学士院院長を含む日本の科学者の多数が反対を表明しているものであります。
しかるに、政府はこれらの重大な問題点に何ら答えることなく、かつまた国会自身も衆議院では自民単独で、しかもなおざりの質問で強行採決をしたのであります。
参議院においても、これら重大な問題点の解明をほとんどなされないまま、私どもの慎重審議要求にもかかわらず、質疑を議了し、採決に入るがごときは、国会を形骸化させることのみならず、まさにファッショ的な暴挙である、このように言わざるを得ません。
これこそ学術会議の意向を無視した、学術会議への介入そのものでなくて何でしょうか。かかる行為は、参議院の自殺行為であり、議会制民主主義への挑戦であります。
国民に選ばれて初めての文教委員会でかかる事態を迎え、激しい憤りを感じないわけにはいきませんし、また、深い悲しみも禁じ得ません。
次に、法案の内容であります。
この法案の根幹は、これまでの公選制を廃止し、全面推薦に変えるということであります。言うまでもなく、学術会議が政府から独立して職務を行うためには、公選制こそがその制度的な保障であります。これを推薦制に変えることは、選挙という民主的な原則を踏みにじるとともに、学術会議をきわめて細分化された学会の利益代表機関に変質させるものにほかなりません。そのことは、時の政府から独立して科学、学術の総合的、長期的な発展を広い視野から審議するという学術会議が国民に負っている重要な職務の遂行を不可能にするものです。そして、日本の科学、学術の発展に重大な障害をもたらすものであり、断じて容認することはできません。
第三に、部の定員、専門別の定員、学協会の候補者及び推薦人の届け出、会員推薦管理等、学術会議のあり方及び推薦方法の根幹が政令にゆだねられております。二重三重に政府の統制を強めるものになっているわけです。学術会議の独立性、自主性を奪うとともに、憲法に保障された学問の自由を奪うものとなっているわけです。
そもそも学術会議は、
第二次世界大戦に際し、わが国の科学者がその自主性を失い、戦争に協力したことへの深刻な反省があって、そこから生まれたものであります。だからこそ、わが国の科学者の代表機関として選挙によって会員は選ばれ、政府から独立して科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的として一九四九年に発足したものであります。学術会議が科学者の立場から戦争と平和の問題を取り上げ、原子力の研究と利用に関し公開、民主、自主の原則を要求する声明、そして原水爆の禁止、核兵器の廃棄についての世界の科学者に訴えるなどの声明を採択してきたことは当然のことであります。また、プラズマ研究所や霊長類研究所など、今日の重要な共同利用研究などは、学術会議の勧告に基づいてできたものです。
ところが、政府と自民党は、こうした学術会議に対し攻撃を繰り返してきました。学術会議の予算を徹底して抑えて、
五九年には科学技術会議、六七年には学術審議会、日本学術振興会を発足させ、学術会議の機能を他の機関に移し、学術会議の形骸化を図ってきたわけです。
今日、政府・自民党が学者離れだとか形骸化などと声高に批判していますけれども、その責任の一切は政府・自民党にあることは明白であります。
それこそ、これを理由に法改正を行い、公選制を推薦制に変えるごときは、まさに党利党略に基づく学術会議の御用機関化を図るものであり、今日進められている臨調下の軍拡、大企業奉仕に対する科学の従属であり、学術統制に道を開くことは言うまでもないことであり、わが党としては断固として反対することを表明いたします。(引用ここまで)
参院文教委員会で共産党の吉川春子議員に対する丹羽兵助・総理府総務長官の答弁
その推薦制もちゃんと歯どめをつけて、ただ形だけの推薦制であって、学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく、こういうことでございますから、決して決して総理の言われた方針が変わったり、政府が干渉したり中傷したり、そういうものではない。
同日の委員会における高岡完治・内閣官房参事官の発言
この条文の読み方といたしまして、推薦に基づいて、ぎりぎりした法解釈論として申し上げれば、その文言を解釈すれば、その中身が二百人であれ、あるいは一人であれ、形式的な任命行為になると、こういうことでございます。
この答弁に対し、社会党の粕谷照美議員は重ねて「法解釈では絶対に大丈夫だと、こう理解してよろしゅうございますね」と問うと、高岡参事官はこう、念を押した。
繰り返しになりますけれども、法律案審査の段階におきまして、内閣法制局の担当参事官と十分その点は私ども詰めたところでございます。
与野党合同で提出した付帯決議にすら反する暴挙!