会津の重ちゃん日記

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共同企画展

2006-11-04 18:48:03 | 地域情報
徳川将軍家と会津松平家

 9月30日から始まった若松城天守閣と県立博物館の共同企画展「徳川将軍家と会津松平家」が明日11月5日で終了する。思いながらもなかなか会場へ足を運べなかった。

 今日はどうしても見学したくて初めに県立博物館(開館午前9時半)へ。
 「葵の絆」の大テーマを掲げ次のようなコーナーで展示。
   1.江戸幕府の成立  初代将軍 徳川家康
   2.泰平の世     2代秀忠・3代家光・4代家綱と保科正之
   3.歴代将軍のすがた 5代綱吉から15代慶喜まで
   4.ふたりの御台所  天璋院と和宮
   5.会津藩と歴代藩主 2代正経から9代容保まで
   6.激動の幕末
   7.その後の徳川宗家と会津松平家

 徳川家康や保科正之など歴代将軍・藩主の肖像画、夫人達の身の回りを飾った品々、幕末の天皇・将軍・藩主の思いの込められた手紙などが展示したあった。
 約2時間半じっくりと見て回った。

 博物館の喫茶店で昼食。しばらく休んで若松城天守閣会場へ。
 
 「激動の幕末」のテーマで展示。
  公武合体を目指す将軍家茂と皇女和宮との婚儀、会津藩主松平容保の京都守護職就任とその活躍、およそ二百三十年ぶりの将軍上洛や孝明天皇の死去など、幕末の政局をめぐる将軍と会津藩主の動向など。

 二つの展示を見て回り、会津藩がどうして賊軍の汚名を着せられ、戊辰戦争で徹底的に痛めつけられねばならなかったのかと思う。憤懣やるかたない。
 蛤門の変では御所を守り、孝明天皇の信頼を得て、御宸翰と御製二首をいただいている。これほどまでに天皇と徳川宗家に忠誠を尽くして来た松平容保である。


 14代将軍家茂と孝明天皇の死が政局を一変させてしまった。
 
 異説日本史によれば、家茂と孝明天皇は暗殺された??????。
 この説を信じたくなるような激動の時代だったのだろう。