2013年12月22日(日)冬至 晴・曇 4.7℃~0.4℃
八重への桜 ~フィクション&ノンフィクションの狭間で~の自主クラブは下記の趣旨と学習目標を掲げ、17名の賛同者と担当者で5月にスタートし12月まで計8回開催して閉講した。途中若干の出入りがあったが毎回活発な話し合いになり、次回のテーマも決まった。
まるで大学のゼミのような感じで久しぶりに学習する楽しさを味わうことができた。来年度以降もこのようなクラブができて活動が始まるかもしれない。歴史に関心のある方は参加してみませんか。
≪趣旨≫
大河ドラマ「八重の桜」を観て、疑問や意見を持ち寄り、ドラマの面白さを語り合うだけでなく、歴史的事実や真実を学びます。特に講師は設けず、受講生同士が疑問や意見を述べながら語り合い、必要に応じて、担当者を決めて問題解決のための調査・研究・発表を行います。受講生がそれぞれの得意分野を生かして相互に学び合う新しい学習形態です。
≪学習目標≫
①大河ドラマ「八重の桜」の面白さを語り合うとともに、ドラマと史実の違いを考える。
②受講生の疑問や意見に基づき、テーマを設定し学習する。
③相互学習の成果を、一定の時期に一定の内容でまとめる。
≪学習の総括≫
5月の学習課題:会津藩の武家言葉はどのようなものであったかー①
学習内容:猪苗代町五十軒在住の会津武士の末裔K・G(96歳)さんより、体験した言葉遣い等を学んだ。
6月の学習課題:会津藩の武家言葉はどのようなものであったかー②
学習内容:井上ひさし原作「国語元年」(S60,NHK総合)のビデオや「会津方言の手引書」及びCD(蜃気楼著)をの基に、音としての武家言葉を学んだ。
7月の学習課題:八重とキリスト教・会津のキリスタン
学習内容:T・T(牧師)さんより、明治維新期の日本における宗教の状況と欧米文化の摂取の風潮と相俟ってキリスト教が普及した経緯が話された。又、Tさん、Kさんから蒲生時代~江戸時代の会津のキリスタンの説明がなされ、宗教の持つ意義や政治と宗教などについて学んだ。
8月の学習課題:町人や外国人は会津戦争をどう見ていたか。
学習内容:會津史談会86号・87号掲載の「會津乱世日記」(松崎矩綱著、松崎建編集)及び「英国人医師の会津戦争従軍記」(ウィリアム・ウイリス著)及び「英国公使館員の維新戦争見聞記」所収(中須賀哲郎訳)を基に、町人や外国人が会津戦争をどうとらえたいたかを学んだ。
9月の学習課題:史実の掘り起しの方法と歴史認識
学習内容:白虎隊の史実が軍国主義に利用されてきた経緯を明らかにし、私達の歴史認識にどう影響を与えているかを学ぶとともに、掘り起しの方法論について意見交換した。
10月の学習課題:武士道(精神)
学習内容:白虎隊精神の基としての武士道(武士道精神)についいて、「葉隠れ」、新渡戸稲造等の思想と精神構造、欧米文化との違いうなどについて意見交換した。
11月の学習課題:山本覚馬と「管見」
学習内容:「管見」を通じて、覚馬の先進性と会津藩の教育度の高さに驚かされると共に、これまで覚馬を取り上げるkとの無かった郷土史家の怠慢も指摘もなされた。
12月の学習課題:「武士道精神を考えるーキリスト教文化圏と比較して」であったが、問題提起者の事情により欠席。そのため昨日アップしたように会津戦争後の會津藩復権で藩として斗南か猪苗代かの選択があり、藩士には各自は会津に残るか、東京へ行くか、それ以外に行くかの各自の選択があった。約17,000人の藩士や家族が新潟港や品川港からアメリカの蒸気船や徒歩で何度かにわったって新天地へ移住した。
廃藩置県や地租改正など明治政府の諸政策で斗南に行った約17,000人は伝えられるような悲惨な辛苦の生活であった。
それでも約11,000人は会津に戻っている。
会津の土地は松平家の土地でなくすべて国有地となり、払下げにより民間人が所有することとなった。会津戦争は誰の戦いだったのでしょうか。23万石+奥会津天領5万石の28万石の会津藩は裕福な藩であった。実は新田開発などで40万石あったのではないかといわれている。幕末の動乱期に松平春嶽等による推挙で固辞しても固辞しても『京都守護職』を受けざるをえなかった会津藩の苦悩がこの学習でわかった。長州藩や薩摩藩では下級武士によるクーデターが起きていたのだろう。約265年の幕藩体制や封建社会が破綻していた。
最近発行された「正妻」(林 まり子著)によると徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いで江戸の戻った理由が書かれている。
徳川方についたフランスは勝利の際は長崎港をと要求し、薩長方についたイギリスは神戸港をと要求した。慶喜は日本が清(中国)の香港やマカオのようになることを恐れ国内の争いを回避したという。??????
随分長いブログになってしまいました。真実はよく分かりません。歴史の記録は殆ど勝者の側に立って記述されている。立ち返っていろいろな資料を基に戊辰戦争(上野・会津・函館など)の前後についいて学んでみたいと思う。
八重への桜 ~フィクション&ノンフィクションの狭間で~の自主クラブは下記の趣旨と学習目標を掲げ、17名の賛同者と担当者で5月にスタートし12月まで計8回開催して閉講した。途中若干の出入りがあったが毎回活発な話し合いになり、次回のテーマも決まった。
まるで大学のゼミのような感じで久しぶりに学習する楽しさを味わうことができた。来年度以降もこのようなクラブができて活動が始まるかもしれない。歴史に関心のある方は参加してみませんか。
≪趣旨≫
大河ドラマ「八重の桜」を観て、疑問や意見を持ち寄り、ドラマの面白さを語り合うだけでなく、歴史的事実や真実を学びます。特に講師は設けず、受講生同士が疑問や意見を述べながら語り合い、必要に応じて、担当者を決めて問題解決のための調査・研究・発表を行います。受講生がそれぞれの得意分野を生かして相互に学び合う新しい学習形態です。
≪学習目標≫
①大河ドラマ「八重の桜」の面白さを語り合うとともに、ドラマと史実の違いを考える。
②受講生の疑問や意見に基づき、テーマを設定し学習する。
③相互学習の成果を、一定の時期に一定の内容でまとめる。
≪学習の総括≫
5月の学習課題:会津藩の武家言葉はどのようなものであったかー①
学習内容:猪苗代町五十軒在住の会津武士の末裔K・G(96歳)さんより、体験した言葉遣い等を学んだ。
6月の学習課題:会津藩の武家言葉はどのようなものであったかー②
学習内容:井上ひさし原作「国語元年」(S60,NHK総合)のビデオや「会津方言の手引書」及びCD(蜃気楼著)をの基に、音としての武家言葉を学んだ。
7月の学習課題:八重とキリスト教・会津のキリスタン
学習内容:T・T(牧師)さんより、明治維新期の日本における宗教の状況と欧米文化の摂取の風潮と相俟ってキリスト教が普及した経緯が話された。又、Tさん、Kさんから蒲生時代~江戸時代の会津のキリスタンの説明がなされ、宗教の持つ意義や政治と宗教などについて学んだ。
8月の学習課題:町人や外国人は会津戦争をどう見ていたか。
学習内容:會津史談会86号・87号掲載の「會津乱世日記」(松崎矩綱著、松崎建編集)及び「英国人医師の会津戦争従軍記」(ウィリアム・ウイリス著)及び「英国公使館員の維新戦争見聞記」所収(中須賀哲郎訳)を基に、町人や外国人が会津戦争をどうとらえたいたかを学んだ。
9月の学習課題:史実の掘り起しの方法と歴史認識
学習内容:白虎隊の史実が軍国主義に利用されてきた経緯を明らかにし、私達の歴史認識にどう影響を与えているかを学ぶとともに、掘り起しの方法論について意見交換した。
10月の学習課題:武士道(精神)
学習内容:白虎隊精神の基としての武士道(武士道精神)についいて、「葉隠れ」、新渡戸稲造等の思想と精神構造、欧米文化との違いうなどについて意見交換した。
11月の学習課題:山本覚馬と「管見」
学習内容:「管見」を通じて、覚馬の先進性と会津藩の教育度の高さに驚かされると共に、これまで覚馬を取り上げるkとの無かった郷土史家の怠慢も指摘もなされた。
12月の学習課題:「武士道精神を考えるーキリスト教文化圏と比較して」であったが、問題提起者の事情により欠席。そのため昨日アップしたように会津戦争後の會津藩復権で藩として斗南か猪苗代かの選択があり、藩士には各自は会津に残るか、東京へ行くか、それ以外に行くかの各自の選択があった。約17,000人の藩士や家族が新潟港や品川港からアメリカの蒸気船や徒歩で何度かにわったって新天地へ移住した。
廃藩置県や地租改正など明治政府の諸政策で斗南に行った約17,000人は伝えられるような悲惨な辛苦の生活であった。
それでも約11,000人は会津に戻っている。
会津の土地は松平家の土地でなくすべて国有地となり、払下げにより民間人が所有することとなった。会津戦争は誰の戦いだったのでしょうか。23万石+奥会津天領5万石の28万石の会津藩は裕福な藩であった。実は新田開発などで40万石あったのではないかといわれている。幕末の動乱期に松平春嶽等による推挙で固辞しても固辞しても『京都守護職』を受けざるをえなかった会津藩の苦悩がこの学習でわかった。長州藩や薩摩藩では下級武士によるクーデターが起きていたのだろう。約265年の幕藩体制や封建社会が破綻していた。
最近発行された「正妻」(林 まり子著)によると徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いで江戸の戻った理由が書かれている。
徳川方についたフランスは勝利の際は長崎港をと要求し、薩長方についたイギリスは神戸港をと要求した。慶喜は日本が清(中国)の香港やマカオのようになることを恐れ国内の争いを回避したという。??????
随分長いブログになってしまいました。真実はよく分かりません。歴史の記録は殆ど勝者の側に立って記述されている。立ち返っていろいろな資料を基に戊辰戦争(上野・会津・函館など)の前後についいて学んでみたいと思う。