会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

京都冬ひとり旅 13

2011-03-21 10:50:28 | 旅行
2011年3月21日(月) 曇り 
 重なる時は重なるもので包括支援センターより(高齢者を支援する組織で民生児童委員、老親相談員、ケースワーカー、介護施設、区長会、老人会などが所属)の依頼事務をした。町内における支援を必要とする人の住民カードづくりである。はじめは個人情報満載のカードづくり?と乗り気でなかったが、今回の大震災にあうとしっかりとした住民カードづくりが大事だとわかった。独居者でもしものことがあった時誰に連絡してよいかわからない。個人情報守秘義務はわかるが区長にだけは教えて欲しい。
町内でなにか事が起きれば、率先して対応しなくてはならない。

 来年度の世帯調べには是非記入していただくようお願いするつもりだ。特に独居者本人のためでもある。他の町内はどのように個人情報を把握し管理しているのだろ。
また、万が一の時の連絡先が個人情報だからと誰にも知らせないでよいのだろうか?
 大震災を経験してつくづく思う。もう一度昔のように隣近所は子どもや孫までお互いに知っていたいものである。

 夜は中学校時代の同級生の旅行無尽があった。退職後幹事をして旅行の一切を受け持って楽しい時間を過してきた。今回は5月下旬に東京・川越・大宮方面への旅行であった。

 コース・費用は 依頼者の希望にかなった内容であった。しかし、この大震災の状況では旅行は実施すべきでないと多勢の意見。

 その意見の結果 幹事は業者や関係者への連絡があった。忙しい。もう幹事はしたくない。何度言っただろう。「お前しかいない」という同級生の「よいしょ」に乗って続けてきた幹事だが「ダンシャリマン」としては今回がよい機会と思ってやめたい。

 
~何処までが 個人情報 守秘義務か~

「京都冬の一人旅13」 
   第3日目 3月1日(火)雨
 
雨の中六波羅蜜寺で『寺めぐりツアー』一行と別れ一人旅。ガイドさんに教えてもらった通り、本堂を出て左へ交差点で右へと歩く。あまり変化のない普通の街並み。10数分歩くと東大路通へでた。横断すると八坂の塔が見えると教えられた。

 塔を目安に行けば今晩の目的地石塀小路「田舎亭」に着くはず。まっすぐまっすぐ東へ歩く。行けども行けども八坂の塔は見えない。多勢の観光客の群れが坂道を歩く。なんか変だなと思ったら清水寺への産寧坂を上っていた。
 
 引き返して土産店で聞いたら少し下って北へ行きそこでまた聞いてくださいと言われた。なんとか八坂の塔へたどり着く。日本最初の塔。時代劇などに度々出てくる塔。聖徳太子生誕の寺。すべて囲われていて参拝もできない。写真を撮って外から参拝した。
そして今夜の宿「田舎亭」を探す。




京都冬ひとり旅 12

2011-03-20 18:05:07 | 旅行
2011年3月20日(日) 晴れ・曇り 
 ガソリン・灯油の品不足。ガソリンは開いている給油所へ長蛇の列。灯油は品不足理由に配達されない。町内の高齢者、独居老人、母子家庭などは灯油が手に入らず困っておられるだろうと思い、昨日町内の庶務・会計に現況把握を頼んだら早速調べてくれた。対象家庭は18軒。
 町内の石油取り扱いしている方に相談したら、品不足、休日にも関わらず希望通りの灯油をすぐ配達してくれた。町内会長としてこの経営者に感謝する。また、現況把握に動いてくれた庶務・会計と青年にも感謝する。
 来週あたりからはすべてが落ち着いてくるだろう。高齢者や困っている方を優先して我が家はじっと我慢する。

 午後2時から北会津公民館で「会津葦名一族研究会の総会」があった。監事をしているので監査報告をしなければならないのでガソリンを心配しながら運転した。集まりも悪かったが総会を一応開けてよかった。

 午後5時 従兄弟の顔見舞いに夫婦ででかけた。約4年間、糖尿病と心臓病で入退院を繰り返していた。穏やかな顔をみて合掌。明日は通夜、明後日告別式とまた忙しい。 
~助け合う 地域の絆 深くなる~

「京都冬の一人旅12」 
   第3日目 3月1日(火)雨
 

六波羅密寺は応和3年(963)醍醐天皇の第二皇子であった空也上人が創建したお寺。通称「六はらさん」と呼ばれ、西国三十三ヶ所観音霊場の第17番札所として信仰を集める。平安から鎌倉期の仏像美術の宝庫だが、とくに運慶の四男・康勝作「空也上人立像」(重文)は、口から六体の阿弥陀仏を出す印象的な姿が有名で、歴史の教科書にも登場する。
 「平清盛坐像」(重文)や手に頭髪を持つ珍しい「鬘掛(かずらかけ)地蔵」(重文)のほか、藤原・鎌倉時代の作といわれる多聞天、広目天、持国天、増長天の四天王像(すべて重文)など、貴重な仏像彫刻の数々が残っている。
空也上人自ら彫ったといわれる「十一面観音立像」(国宝)は京都博物館にあり拝観することは出来なかった。
入り口正面護摩堂には都七福神「六波羅弁財天」がある。
 明治時代の廃物毅釈により多くの堂塔が壊され、六波羅蜜寺の規模は小さいが訪ねてみる価値はある。
 「京の仏像に出会う旅」~通称寺めぐり~はここで終わり、京都駅へ戻るだけと聞いたので一行とは別れて一人下車。今回の旅の目的の一つ高台寺周辺の散策(特に石塀小路)へと向った。


京都冬ひとり旅 11

2011-03-19 10:49:10 | 旅行
2011年3月19日(土) 晴れ  
いつもなら午前6時半にラジオ体操をした後、2階の部屋でラジオを聴いたり新聞を読んだりして過し、朝食が出来た頃1階の茶の間に下りてくる。そんな生活を最近はあたりまえと思っていた。
 しかし、今朝は妻が居ない。すべて自分でする。
 米を2合洗米し、約1時間後に炊飯器にスイッチを入れる。
 炊き上がるまで、冷蔵庫の中のあり合せのものを3品用意する。そしてお湯を沸かしインスタントの味噌汁で朝食を済ませた。梅干しを食べ煎茶を飲んだ。
 昼食はパンと牛乳とチンゲンサイ・人参・イカの煮物、そしてイチゴがデザート。
 
 午後からは城西地区区長会役員会があった。地震・津波・原発事故で避難された方が会津にも多勢来られた。その方々への支援を話し合う。生活物資は社会福祉協議会が窓口なので各町内が協議会と連絡をとりながら対応する。また、ボランティアは350人も集まり今は受付ていない。そこで当区長会としては義援金を送ることに決定した。
 各区長に義援金の協力要請の文書を作成しすぐ投函した。また、町内の高齢者・独居者を見回り灯油など困っていないか情報を把握するように町内の役員へ指示した。
 
 そして、夕食の買い物へスーパーへ行く。数日前の店内とはまるで違う。空になっている棚もあるが、生鮮食料品もあり買い溜めする必要はない。
 半値になった刺身ともつと漬物と豆腐を買う。
 帰宅してもつ炒めをつくる。サラダ油でもつやネギ、きのこを炒め、塩コショウで味付けしただけ。これと刺身と漬物とパン一切れで夕食は終わり。晩酌は日本酒でしっかりとした。
 入浴して寝ようかという時間(午後9時半頃)に従兄弟が亡くなったとの訃報があった。62歳まだ若い。詳しいことは分からないので明日顔見舞いに行って来る。
 本当に大地震・大津波・東電原発 そして個人的な問題と忙しいことは重なるものである。
  
~何事も 予期せぬことで 心労が~

「京都冬の一人旅11」 
   第3日目 3月1日(火)雨
 

泉涌寺 即成院の近くにある泉涌寺 戒光寺へ移動する。この寺は安貞2年(1228)後堀河天皇の勅願所として建立された戒光律寺をはじまりとする泉涌寺の塔頭寺院。本堂には名仏師、運慶・湛慶父子の合作とされる本尊・丈六釈迦如来像(重文)が祀られている。
 身の丈約5.4m、台座から光背部まで約10mにもなる圧倒的な迫力を持つ宗風の彩色鮮やかな像で、首から流れて入るように見えるのは血の跡といわれ、後水尾天皇が皇位をめぐる争いから襲われた時に、この釈迦如来が身代わりなって付いたものと伝えられる。以来「身代わりのお釈迦様」、「首から上の病気を治す」と信仰を集め、通称「丈六さん」の名で知られる。
 屋内写真撮影が出来なかったのでポスターを写した。 

京都冬ひとり旅 10

2011-03-18 17:01:14 | 旅行
2011年3月18日(金) 晴れ くもり 寒い 彼岸入り 
 今朝は昨日より朝方の冷え込みは大きい。晴れてはいるが外気は低く戸外に置いた車の前面は氷ついていた。 午前9時半 隣家の方の葬儀に列席。野球・ソフトボール・自転車・マラソンなど運動をされた方だったが、病に冒され数年間の闘病後亡くなられた。
 昔は葬式の手伝いは隣組や向こう三軒両隣といって頼まれてしたもんだ。しかし、高齢化が進み隣組みでは手伝えなくなってしまったので、今回もお手伝いは町内の青壮年会でした。すばらしい組織が機能している。ありがたい。
 
 町内会長として町民を代表して焼香する。立場上夕食使いの時には献杯の発声を頼まれる。発声は“献杯”か“いただきます”がよいか迷ったが、お断りして“いただきます”とした。最近はこの言い方が多い。
 
 帰宅すると大きな組織の副支部長の要請があった。要請されることは多くの方に認められてありがたいことだが、ダンシャリマンとしては丁重にお断りをする。
 続いて城西区長会の事務連絡が会長より来る。庶務として処理する。
 その後 留守電に入っていた旅行(同級会の幹事なので)の件で業者と打ち合わせをする。結構忙しい。

 妻は義兄の初彼岸で実姉の手伝いに田島に出かけた。会津鉄道は1日5往復しかしていない。(この大震災で)
 21日まで独身生活。自炊して過すか食べに出かけるか?寒くて出かける元気なし。
 年をとったのかな・・・・・。気持ちは若いつもりだが?????。
 
~隣組み 手伝いできぬ 高齢者~

「京都冬の一人旅10」 
   第3日目 3月1日(火)雨
 
醍醐寺山内に立つ『雨月茶屋』で昼食を済ませ、泉涌寺 即成寺へ。
 この寺は 通称「那須の与一さん」と呼ばれる。泉涌寺の塔堂の一つ。
正暦3年(992)恵心僧都によって京都伏見の地に建立した光明院が起こりとされる。「現世極楽浄土」と呼ばれる本堂には「阿弥陀如来と二十五菩薩」(重文)が祀られており極楽浄土の世界を二十五菩薩の仏像で立体的に表した国内唯一つのもの。本尊・阿弥陀如来坐像の左右に楽器などを手にした表情豊かな二十五菩薩像が並ぶ様は壮観であった。
 案内してくださった住職の説明で前記の内容は納得するのだが、一足でここから極楽浄土で現世と違いますといわれても俗人の私には全く感じなかった。
 この本堂を見学した後、祭りで使う面や楽器の説明を受け、実際に面を被って記念撮影をした。この堂でコンサートなども開かれる。音楽関係者が多勢参拝されるそうだ。



また、平家物語「屋島の合戦」の武勲で有名な那須与一ゆかりの寺として知られ、与一の墓と伝えられる高さ3mの石造宝塔があった。「願いが的へ」ということで受験生のお参りも多い。どうしてここに那須与一の墓があるのだろうという疑問が残った。

京都冬ひとり旅 9

2011-03-17 09:32:40 | 旅行
2011年3月17日(木) 晴れ くもり 
 朝方の冷え込みは最近にない。被災地の方々や避難されている方々、救援活動に携わっている関係者の方々、本当にご苦労様です。頭が下がります。
 昨日のブログにアップしたようにまず、買い溜めしない。節電する。そして会津に避難された方への支援を考えましょう。城西区長会も取り組みについて相談をはじめました。できることから活動しましょう。
 15日早朝 隣家のご主人が亡くなられた。今日は通夜。明日は午前9時30分より告別式。隣組み、区長などの立場で忙しい。これも乗り切っていかなくてはならない。
 
~できること 買い溜めしない 被災者へ~

「京都冬の一人旅9」 
   第3日目 3月1日(火)雨
 

法界寺は現在は小さな寺だが、「阿弥陀堂」や「本尊阿弥陀如来座像」はいずれも国宝である。特に「本尊阿弥陀如来座像」は寄木造、漆箔、八角九重の蓮華坐の上に飛天光背をして座る。円満豊麗な仏であった。この寺は親鸞聖人御誕生地であり、日野家の菩提寺である。
 この寺を後にして山科の醍醐寺(豊臣秀吉が桜の花見)の雨月茶屋へ。
 醍醐寺は昨年秋に訪れたがモミジが終わり頃であった。桜の季節にもう一度来てみたい。五重の塔をみながら茶屋の中へ入る。

 昼食は京料理というが、湯豆腐と湯葉と京野菜を中心とした食事。ツアーの昼食はこんなものでした。夕食はきちんとした京懐石を食べましたよ。
 (続く)

京都冬ひとり旅 8

2011-03-16 08:56:08 | 旅行
2011年3月16日(水)雪・曇り 
 福島県東京電力 第一原子力発電所の1号機から4号機までの一連の水素爆発、高濃度放射能の拡散。大勢の方が避難する事態となった。東京電力の隠蔽体質、保安院の甘い見通しなど前から指摘されていた事故が現実に起こった。それを今責めても仕方が無い。被爆の危険もかえりみず現場で必死に冷却のための水投入や爆発防止に活動されている人々に頭が下がる。また、平穏に暮らしていた方々が突然避難せざるをえなくなりその不安と日々の生活の困窮は計り知れない。
 会津若松市にも多くの人々が避難して会津体育館や東山温泉で不自由な生活をされている。知人から次ぎのようなメールが来た。寒い会津でさぞお困りだろう。出来るだけの協力はするつもりだ。このブログをみられた方で賛同される方はできることをしましょう。

『お客様各位

東北関東大震災から5日目となりました…。
皆様のお住まいやご家族、お知り合いの方に被害がないことを心からお祈りしています。

私どもの店のほうはグラスの落下破損などがありましたが、幸いにしてケガもなく、何より命があることに感謝する毎日です。

さて、本日ご連絡を致しましたのは、支援物資のお願いです。
市外からたくさんの被災者が会津若松に来て避難所生活をしていますが、物資が全く足りていません。
大変な思いをされて遠方からきた高齢の被災者も多いのですが、市内の燃料不足等も災いし、寒い体育館で届かない毛布、食料を待っている状態です。
至急必要なものは①毛布②バスタオル③タオル④新品の歯ブラシ⑤新品の歯磨き粉⑥新品の下着類です。

避難所への直接の持込は禁止されており、会津若松市の社会福祉協議会(追手町5番32号)へ届けることがルールとなっています。届けることが可能な方は是非ご協力お願いします。(詳しくは社会福祉協議会のホームページwww.awshakyo.or.jpに記載されています)

しかしながら、ガソリン不足の問題や放射能の心配もあり、不用意に車は使いたくない、外出したくないという方も多いと思います。
もし、上記の物資提供が可能な方がいらっしゃいましたら、私まで連絡をください。可能な距離でしたら取りに伺います。
(ただし、避難所でのニーズも日々変わっていくので、お断りする場合もあるかもしれません。ご容赦ください)

長々と書きましたが、主旨ご理解いただき、ご協力をお願い致しますm(__)m
ブラッセリー厨 国井章・八重子 』

 
~避難され 寒い会津で 人情を~

「京都冬の一人旅8」 
   第3日目 3月1日(火)小雨
 
京都へ来て3日目。事前に申し込んでおいた「京の仏像に出会う旅~通称寺めぐり」やすらぎコース。午前10時10分発 観光客は約20人。一人ワンボックス。
法界寺→雨月茶屋(昼食)→泉涌寺即成院 →泉涌寺戒光寺 →六波羅密寺のコース。
はじめに訪れた法界寺には京都屈指の阿弥陀堂(国宝)の本尊「阿弥陀如来坐像」(国宝)は平等院鳳凰堂の本尊に最も近い定朝様式の典型的なすぐれた仏像で圧巻であった。

 (続く)

京都冬ひとり旅 7

2011-03-15 15:33:29 | 旅行
2011年3月15日(火) 曇り 冷え込む
 地震・津波・火災に続き原子力発電所の爆発、そして放射能の拡散。広範囲の避難と屋内退避と次から次へと想定外のことが起きる。国も当面の対応に追われ全容を掴み切れない。東京電力、東北電力の節電発表、実施による交通機関の混乱。ガソリン・灯油の品不足。いろいろなことが重なって流言が飛び交う。買い溜めに走る。
 スーパーやコンビニの陳列棚にはほとんど品物がなくなってしまった。何時入荷するかわからない。しばらくじーとして様子をみるしかない。
戦前生まれでも豊かで便利な生活に慣れてしまい裸電球の下で茶舞台を囲んでの食事。一つの炬燵に四方から脚を入れて寝る。電波の悪いラジオに耳を傾ける。などの昔の生活にはもどれない。しかし、被災地の救援と復興を優先させるには生活水準を下げても耐乏することが国民ができることの一つである。
 13日(日)の結婚式(姪の子ども)は延期。14日城西地区健康教室は中止。17日会津の峠テクテク会の講演は一箕公民館の暖房施設が駄目になり中止。18日豊齢研ITサロン会津のパソコン教室は北会津公民館の会場が危険で中止となった。
被災地から遠い会津でもいろいろな影響が出てくる。竹田総合病院や会津中央病院は被爆者の受け入れをはじめている。
 
~原発の 爆発飛散 放射能~

「京都冬の一人旅7」 
   第2日目 2月28日(日)雨
 
梅の香めぐりの最後に「梅宮大社」へ寄る。観光バスが入れないところにある神社。大通りから歩いて参拝。
今から凡そ1,300年前、橘氏の祖諸兄公(モロエコウ)の母 県犬養(アガタイヌカイ)三千代が橘一門の氏神として祀ったのが始り。御祭神は酒解神(サカトケノカミ)=大山祗神(オオヤマズミノカミ)である。それゆえこの神社は酒造りの祖といわれている。
 この大社の梅はチョーヤの梅酒に使われているという。梅の花はまだまだであった。午後3時を過ぎていてお天気も悪く写真をとるようなところではなかった。
3月中旬ころには梅が見頃になったかもしれない。
 午後4時には雨も上がりホテルに戻った。
 近くのコンビニでお茶とおにぎりを買って夕食を済ませる。
 マサージを頼んで疲れをとった。


 (続く)

京都冬ひとり旅 6

2011-03-14 18:14:42 | 旅行
2011年3月14日(月)晴れ 
東北・関東大震災の刻々報道されるニュースをみるたびに日本列島が沈没(物理的にも経済的にも)が現実味を帯びてくる。連日被災者の救出、支援が緊急である。今まで世界で経験したことのない大きな災害である。太平洋プレートにはまだまだエネルギーを溜めている場所があるらしい。茨城県沖や東京周辺に起きた地震だったらもっともっと大変である。今まで経験をしたことのないような大震災である。子ども手当、農家への戸別補償、高速道路の無料化などの政策を見直し予算の組み換えをしてでもこの国難に取り組むべきである。
 
~東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな~

「京都冬の一人旅6」 
   第2日目 2月28日(日)雨
 
 城南宮を後にして昼食の場所へ。場所は京都駅構内の高級「グランビア京都ホテル」でバイキング。千葉県から一人で梅を観に来られた老婦人と同席。生ビールを飲みながら歓談。支払いは年をとってもダンディに振舞った。
 京都冬の旅の一つの目的。「北野天満宮」の観梅である。

菅原道真公が都から大宰府へ左遷された時、屋敷の梅を観て詠んだ和歌である。そのことをふと頭に浮かべながら参拝した。 
 北野天満宮は学問の神様として親しまれている菅原道真公(天神様)をお祀りした神社である。「東風吹かば・・・」御歌や神社の神紋(梅鉢紋)にも代表されるように梅と天神様の関係は大変深く、境内・梅苑一円には約50種類1500本もの梅の木があり、紅梅白梅美しい花弁を一重・八重と咲き誇る風情は独特の趣があり、古くより都随一の梅の名勝としてその名を馳せている。
 雨が降り寒くて梅も3分~5分咲きであったことと城南宮でしだれ梅を観てきたためか、パンフレットや旅行案内書に書いてあるほど梅の名所とは思わなかった。
私見だが水戸の偕楽園の梅苑の方が北野天満宮よりは規模も大きく種類も豊富のように思える。




 梅苑西側を流れる、かって紙漉き場であった紙屋川ぞいには天正19年(1591)豊臣秀吉が洛中洛外の境界と水防のために築いた土塁「御土居(おどい)」の一部が残存しており史跡に指定されている。
(続く)

京都冬ひとり旅 5

2011-03-13 15:31:55 | 旅行
2011年3月13日(日)晴れ 
 
 観測史上初震度8.8。東北地方・太平洋沖地震は、その後震度9.0と訂正され東北・関東大震災と呼ばれるようになった。災害の全容は把握しきれないが、世界的にも類をみない大惨事である。内閣だけでなく民間も、国民も国の総力を挙げて生存者の救出、復興支援をしなければならない。
 東京電力の原子力発電所の事故はまだまだ油断を許さない。放射能を含んだ物資の大気中への拡散は被爆者を出した。
 国は自衛隊10万人の投入、原子力発電の事故には特殊部隊の投入と東芝に前面協力を要請して対応する。最小限で食い止めてほしい。

 昼に近所のスーパーへ買い物に行く。駐車場が珍しく満車。店内は買い物客で混雑。パン類・インスタント類・冷凍食品類の棚は空っぽ。懐中電灯用の単二乾電池は売り切れ。今回の地震で急遽買いだめしている。行き付けのガソリンスタンドは臨時休業。他のスタンドでは一人3,000円までの制限。
 被災地の方々のことを思えば落ち着くまで生活を質素に我慢しなくてはならない。
国民の協力できることはこんなことからでもはじめよう。
 
~未曾有の 大震災に 挙国一致~

「京都冬の一人旅5」 
   第2日目 2月28日(日)雨
 

今回の旅の目的の一つが季節限定の「京の花紀行 梅の香めぐり・・・城南宮、北野天満宮、梅宮神社」であった。昨年12月計画した段階で電話で予約をしておいたのでバス券は昨日予約番号を伝え購入した。
 バイキング朝食を済ませ観光バス案内所へ。歩いて3分。10時10分集合なのに早く着いてしまった。伊勢丹デパートの玄関で時間を過す。
雨が降って生憎のお天気。まず、はじめに行ったのはパンフレットの宣伝文句「春の訪れを感じさせる、しだれ梅の美しい城南宮」でした。
城南宮は、国土の安泰と都の守護を願い、遷都の際に平安城の南に祀られたお宮で千二百年の歴史を重ねている。平安時代の末に城南宮を取り巻くように城南離宮が営まれ後鳥羽上皇が院政をしいた。戊辰戦争の発端となった「鳥羽伏見の戦い」はこの城南宮から始った。現在では「方除の大社」として家の新築など方位を決める時など祈願する人が多い。
城南宮境内と神苑がある。見学時間40分のところわけのわからない宮司の説明が約15分。長すぎる。大急ぎで雨の中 見学したり写真を撮ったりた。
紅白のしだれ梅はきれいで梅の香もただよっていた。






京都冬ひとり旅 4

2011-03-12 20:40:53 | 旅行
2011年3月12日(土)晴れ 
昨夜から余震が続く。被害状況が分かってくると大変なことが日本に起きている。会津でも鳥居が倒れたり、アパートが崩壊したり、道路が陥没隆起したりと被害があった。町内の高齢者や独居者宅を見回る。皆さん元気でほっとした。

 テレビでは北海道から九州まで全国に津波が押し寄せていること。特に、東北地方の太平洋側はひどいことを一日中放映していた。一地方の自治体で対応出来る惨事ではない。国を挙げて取り組まなければならない。
 特に福島県は東京電力の原子力発電所があり、放射能もれなどの心配が指摘されてきた。なんどもトラブル隠しをしてきた原子力発電。とうとう心配が現実となってしまった。第一原子力発電所1号機建屋が爆発。住民は20km内は全員避難命令。
~大地震 与野党一致 立ち向え~

「京都冬の一人旅 4」 
   第1日目 2月27日(日)晴れ
 銀閣寺は観光の名所。参道も日曜日なので混雑していた。ゆっくりと見て回って寺を出る。午後4時を過ぎていた。車中で軽食を食べただけだったのでお腹が空いた。土産物店は並んでいるが気軽に入る店が無い。ふと見ると5~6人の若者が屋外のテーブルに腰を下ろしビールを飲みながら談笑している店があった。看板には手づくりのスモーク工房「銀の匙(さじ)」とあった。京都の土産店が立ち並ぶ場所にスモーク工房とは場違いではないかと思ったがお客が絶えない。のぞいて見ると店内奥にテーブルとイスがあり飲食できる。入店しサンドイッチとスモークチーズとエビスビールを注文し一休みする。
外の人通りも少なくなりお客も来なくなったので、ご主人や奥さんの話しを聞く。
「たっぷり時間を掛けて、風味豊に仕上げたサーモクチーズ、スモークベーコン、スモークサーモンを手づくりしている。最初は苦労したが今は客も増え順調とのこと」
風味豊でおいしかった。銀閣寺を出て哲学の道の手前右側にある店です。
 『銀の匙』 ℡075-771-1694 銀閣寺町65

哲学の道へ行かないで参道をまっすぐ進む。バス停手前の角の「京都の地酒各種 にごり酒」の看板を見つける。ホテルに帰って飲む酒を探していたので店に立ち寄る。
急ぐ旅ではない。ご主人と缶ビールを飲みながら酒の話しをする。
時折外を見て若者を呼び入れお汁粉を振舞っていた。人力車を引いて寒そうだからいつもご馳走するんだと言う。「あったまったよ。ご馳走さま」と言って帰る。「もう一人○○君が来ると終わりだな。」と言って若者を笑顔で見送る老夫婦。人情を感じる。
この場所で40数年酒屋をしている。私も奥さんの手づくりの漬物をご馳走になった。
 『林 酒店』 ℡075-771-9204 浄土寺石橋町55
(続く)