NHKで、「課外授業ようこそ先輩」という番組があって、それに矢野顕子が出るってんで友だちに教えてもらって録画したのはずいぶん前。
←音楽のアプローチ、あなたはどっち側からの人??
そのまま見る時間もなく取っておいたのを、ようやく見ましたよ。
(今調べたら、放映は2007年だった。どんだけ塩漬けしてたんだ私)
矢野顕子といったら、ちょっとピアノをかじった人なら誰でも度肝を抜かれるような自在なピアノが特徴だけれど、この番組は、小学校でやる授業だから、別にピアノの弾き方とか作曲のレクチャーをするわけではない。
ま、教室に入ってきて、自己紹介するときにはピアノ弾いてたけどね。「みんなに会った今の気持ち」とかなんとか。なんでも昔、小学生のときとかも、親に「今日の遠足どうだった」とか聞かれたら、「うーんとねぇ」とまずピアノの前に座って、ちゃらちゃら~と弾いて聞かせたそうだから(^^;; いくらでもつるつる音楽が出てきちゃうのね、この方は。
それで、授業の内容は、「音楽」以前の「音」について。
まずは、みんなに、日常生活の中でどんな「音」が聞こえるかを挙げてもらったら、ゲームの音、電子音、金属音などの、鋭くて人の注意を引くような音がたくさん並んだ。そういう音のほうが意識に上りやすいわけだ。
それで、今度は学校の中をみんなで探検して、いろんな音を探してみた。たとえば調理中の給食室…葱を刻む音ときゅうりを切る音は違うとか、ぐつぐついう音、かきまぜる音。保健室では、石油ストーブの低いうなり、カーテンを引く音。校庭に出てみると、遠くの自動車の音、それから雪を踏むぎゅっぎゅっという音。
ともかく、みんながふだん意識していたよりずっと、いろんな音が聞こえているということ。教室に戻って書き出してもらったら、最初よりずいぶん豊かな音のカタログができた。
そして、その日宿題となったのは、「あなたが大事にしたい音は何ですか??」というもの。矢野さんは、雪を踏む音を聞くと、ニューヨークにいても青森を思い出して、りんごを食べたくなるそうだ(^^) あるいは、電車が発車してスピードを出していくときのモーター音を聞くと、どこかに行けるワクワク感を思い起こすとか。そういうふうに、音と記憶、あるいは気持ちは結びついているものなので、自分があったかい気持ちになる、好きな音、この音がなくなったらさびしい!!という音を探してみようというわけだ。
それぞれの子が家に帰って、親と相談しながら、どんな音を聞くとうれしいか、わくわくするか、あるいはほっとするかを考えてみた。そして次の日、挙がってきたものをみると「家族」にまつわるものが多い。
たとえば家の人が帰ってきて、玄関の戸が開いて閉まり、鍵束をがちゃっと置く音。ねこが帰ってきて、ガラスにカリカリ爪を立てる音。一般的にいえば、ガラスに爪を立てる音なんて、不愉快な音の代表みたいなもんだけど、この子にとっては、あぁ無事にねこが帰ってきた、という安心の音なんだね。あるいは、弟のいる女の子がいうには、シャワーの音に包まれるのが好き。ひとりになる安心感がよい。ほかの場面では弟がいつでもうるさいから(笑)
りんごの卸をやっている家の子は、お父さんがひとつひとつのりんごを持って丁寧に箱詰めしていくときの「きゅっ」という音や、りんごを剥くとき、食べるときの音が好きだという。これも、りんごの音ではあるけど、それを通してお父さんやお母さんの音を聞いているんだね。
そのように、音を聞くと、それは何かの光景や、情景や、気持ちを呼び起こす。そしてそれは、とても個人的なもので、人それぞれ違うということだ。
この授業を通して、矢野さんは「音を楽しむ」「音は楽しい」ということを言いたかったようで、その趣旨からすればひとまず成功なのかな?? でもここから「音楽」さらには矢野さんの音楽の魅力の秘密に迫るには、ずいぶんはるかな距離がある。距離はあるにしても、つながってはいるのかどうかは、今回心に撒かれた種を子どもたちが育てるかどうかにかかっているということなんだろうけど。
あるがままの音(生活音)というのは、確かに記憶と気持ちに結びついているけれども、それは人によって違うというのがまずひとつの鍵であると思う。何を感じるかはバラバラなのだ。たとえば「ガラスを爪でひっかく音」は万人の心に届く「音楽」にはなりえない。
それでも、まずは人によって違う何かを心の中に持っていることが大事で、それがなかったら同じ曲のすべての演奏は同じで、うまいかへたかの一直線の違いしかなくなってしまう。
自分ならではのものが中にあって、それを音楽としてのせていくときには、何か自分と聞く人たちの間で意識的にも無意識的にも共有されている約束事にのっとって発信することが必要なんだよね。たとえばリズムの骨格、和音の進行、調性といったような。そこの利用がうまくできるということがすなわち演奏技術であるし、約束事をあんまり無視してたらひとりよがりってことになる。
しかしピアノを昔習ったときの道筋からいくと、この真逆のアプローチをしていたと思う。まずは約束事。楽譜を読んで、音をそのとおりに並べる。正しい音の高さ、正しいリズム。それを果てしなく練習していって、さてじゃあ気持ちをのっけてごらんといわれても、そこには回路がつながってないのだ。え? 私、なにかするの?? 私が?? …それで苦労してるような気がしないでもない。
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そのまま見る時間もなく取っておいたのを、ようやく見ましたよ。
(今調べたら、放映は2007年だった。どんだけ塩漬けしてたんだ私)
矢野顕子といったら、ちょっとピアノをかじった人なら誰でも度肝を抜かれるような自在なピアノが特徴だけれど、この番組は、小学校でやる授業だから、別にピアノの弾き方とか作曲のレクチャーをするわけではない。
ま、教室に入ってきて、自己紹介するときにはピアノ弾いてたけどね。「みんなに会った今の気持ち」とかなんとか。なんでも昔、小学生のときとかも、親に「今日の遠足どうだった」とか聞かれたら、「うーんとねぇ」とまずピアノの前に座って、ちゃらちゃら~と弾いて聞かせたそうだから(^^;; いくらでもつるつる音楽が出てきちゃうのね、この方は。
それで、授業の内容は、「音楽」以前の「音」について。
まずは、みんなに、日常生活の中でどんな「音」が聞こえるかを挙げてもらったら、ゲームの音、電子音、金属音などの、鋭くて人の注意を引くような音がたくさん並んだ。そういう音のほうが意識に上りやすいわけだ。
それで、今度は学校の中をみんなで探検して、いろんな音を探してみた。たとえば調理中の給食室…葱を刻む音ときゅうりを切る音は違うとか、ぐつぐついう音、かきまぜる音。保健室では、石油ストーブの低いうなり、カーテンを引く音。校庭に出てみると、遠くの自動車の音、それから雪を踏むぎゅっぎゅっという音。
ともかく、みんながふだん意識していたよりずっと、いろんな音が聞こえているということ。教室に戻って書き出してもらったら、最初よりずいぶん豊かな音のカタログができた。
そして、その日宿題となったのは、「あなたが大事にしたい音は何ですか??」というもの。矢野さんは、雪を踏む音を聞くと、ニューヨークにいても青森を思い出して、りんごを食べたくなるそうだ(^^) あるいは、電車が発車してスピードを出していくときのモーター音を聞くと、どこかに行けるワクワク感を思い起こすとか。そういうふうに、音と記憶、あるいは気持ちは結びついているものなので、自分があったかい気持ちになる、好きな音、この音がなくなったらさびしい!!という音を探してみようというわけだ。
それぞれの子が家に帰って、親と相談しながら、どんな音を聞くとうれしいか、わくわくするか、あるいはほっとするかを考えてみた。そして次の日、挙がってきたものをみると「家族」にまつわるものが多い。
たとえば家の人が帰ってきて、玄関の戸が開いて閉まり、鍵束をがちゃっと置く音。ねこが帰ってきて、ガラスにカリカリ爪を立てる音。一般的にいえば、ガラスに爪を立てる音なんて、不愉快な音の代表みたいなもんだけど、この子にとっては、あぁ無事にねこが帰ってきた、という安心の音なんだね。あるいは、弟のいる女の子がいうには、シャワーの音に包まれるのが好き。ひとりになる安心感がよい。ほかの場面では弟がいつでもうるさいから(笑)
りんごの卸をやっている家の子は、お父さんがひとつひとつのりんごを持って丁寧に箱詰めしていくときの「きゅっ」という音や、りんごを剥くとき、食べるときの音が好きだという。これも、りんごの音ではあるけど、それを通してお父さんやお母さんの音を聞いているんだね。
そのように、音を聞くと、それは何かの光景や、情景や、気持ちを呼び起こす。そしてそれは、とても個人的なもので、人それぞれ違うということだ。
この授業を通して、矢野さんは「音を楽しむ」「音は楽しい」ということを言いたかったようで、その趣旨からすればひとまず成功なのかな?? でもここから「音楽」さらには矢野さんの音楽の魅力の秘密に迫るには、ずいぶんはるかな距離がある。距離はあるにしても、つながってはいるのかどうかは、今回心に撒かれた種を子どもたちが育てるかどうかにかかっているということなんだろうけど。
あるがままの音(生活音)というのは、確かに記憶と気持ちに結びついているけれども、それは人によって違うというのがまずひとつの鍵であると思う。何を感じるかはバラバラなのだ。たとえば「ガラスを爪でひっかく音」は万人の心に届く「音楽」にはなりえない。
それでも、まずは人によって違う何かを心の中に持っていることが大事で、それがなかったら同じ曲のすべての演奏は同じで、うまいかへたかの一直線の違いしかなくなってしまう。
自分ならではのものが中にあって、それを音楽としてのせていくときには、何か自分と聞く人たちの間で意識的にも無意識的にも共有されている約束事にのっとって発信することが必要なんだよね。たとえばリズムの骨格、和音の進行、調性といったような。そこの利用がうまくできるということがすなわち演奏技術であるし、約束事をあんまり無視してたらひとりよがりってことになる。
しかしピアノを昔習ったときの道筋からいくと、この真逆のアプローチをしていたと思う。まずは約束事。楽譜を読んで、音をそのとおりに並べる。正しい音の高さ、正しいリズム。それを果てしなく練習していって、さてじゃあ気持ちをのっけてごらんといわれても、そこには回路がつながってないのだ。え? 私、なにかするの?? 私が?? …それで苦労してるような気がしないでもない。
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