今日は、本当に忙しい一日だった。やっと、くつろぐ。
昨日は、東京の名古屋戦を応援に名古屋に行った。
最近、よく利用する太閤通口側のホテル。いつ来ても、こっち側はパッとしない。反対側は華やかなのに。
私は、結婚前に名古屋の栄でOL(昔は、BGと言った、つまりビジネスガール、笑ってしまう)をしていた時、太閤通口の方へは女の子は行ってはいけない、と言われた。だから、行った事はなかった。今も何となくそれが残っているのだろうか。
競技場へ向かう地下鉄には、グランパスのサポーターらしい人は見当たらない。またまた、今日だったかしらと思ってしまう。
でも、新幹線の中でドロンパの尻尾をぶら下げていた男性がいた。そして、地下鉄の中の斜め向かいには東京のサポーターが。
彼は、瑞穂競技場西で降りた。私は瑞穂競技場東まで行く。
電車を降りて競技場へ向かう。アウェイのゴール裏は直ぐだけど、正面まで回ってみる事にして歩いていたら、グランパスのサポーターが一杯集まっている。ああ、選手バスの入り待ちの人か。
私は興味無いので、前に出て、道路を渡ろうと思ったらバスが曲がる所。バスが通り過ぎるのを待とうと、フッと見たら、何と東京の選手バス!
周りを見ても東京サポーターは誰もいない。それではと、私は東京マフラーを一人掲げた。
森重選手が一番に気付いて、エクボを見せて小さく手を振ってくれた。他の選手達も、グランパスサポーターの中で一人東京マフラーを掲げる私に気付いて、ニコっとしたり、小さく手を振ってくれたり。
何か、ちょっと得したような幸せのような気分になった。
東京ゴール裏は、そこそこ応援の人達が来ていた。水曜日なのに、よく来るな、と思う。私は暇だけはあるけど、皆さん仕事は大丈夫?って心配しちゃう。そして、社長は、相変わらずスタジアムの階段を上がったり降りたりしながら握手して回っていた。
しかし、ワントップの闘莉王は本当に目立つし、凄い選手だなと思う。
キックオフの笛と同時に、ボールを追いかけ回す。その勝利へ向かって闘う姿が羨ましい。90分持つの?いうほど走り回っている。
東京の選手にも、あの闘争心が欲しい。
たまたま知っている人が一人で来ているのを見つけたので、一緒に話しながら応援していた。私達の周りの男性達が、闘莉王の事を「4番が、4番は」 と話しているのが可笑しかった。
そのうちに、周りの人達が「田中が、田中は」 と言い出すので、知り合いと「え、田中って誰?」 「そうだ、闘莉王って田中だったよね」 と笑った。
先制点は、目の前で見ていたのに、一瞬、何があったのか分からなかった。コーナーキックが直接入ったのかと思った。リプレイのスローモーションの映像で初めて田中さんの足だったのが分かった。敵ながら、アッパレと思うし、彼のゴールへの執念をウチのDFは甘くみていたな。
先制されてから終了までのウチのゲームは、「何回も、見たな~」 と。
右サイドを河野君が駈け上がって来ても、他の選手のゴール前への上がりが遅いからクロスを入れられないから、ストップするかパスを戻す。
ホクトは走り切らないで途中で止まってバックパスか横パス。ムックンの方が、深くまでドリブルして折り返すかクロスを入れてくれるよね、と隣の知り合いと話す。
何で、負けているのに、時間が無くなって来ているのに、そういう時程、横パスバックパスなんだろう。
名古屋よりもシュート数が多かったなんて信じられない。そんなに、シュート打ったかなと思う。ゴール裏もそう思ったから、「シュート打て!」 と言ったのだろうな。そうでなかったら、「枠飛ばせ!」 って言っただろうなと思う。確かに、枠にあまり行って無かったけど。
しかし、寒かった。あんなに寒くなるとは思わなかった。負けたし、よけい寒く感じた。
今日は、姉が住んでいた安城へ行った。お義兄さんが駅まで迎えに来てくれて、家に行った。
仏壇の姉に話しかけ、「どうしてそこにいるの?」 といつものように涙がこぼれる。
お義兄さんは、私が行くと、いつも、「アレもってけ、これも持って行け」 と。「まるで、実家に帰ったみたい」 と私は笑う。
もう、私の実家は、今誰も住んでいないし、姉が生きていた時には、安城は私の実家だった。お義兄さんは、「ここが実家だと思えばいいよ」 と言ってくれる。
お義兄さんは特養にいる母の保護者になっているから実家みたいなものかな。
その後、特養の母に会いに行った。いつものように私の顔を見て、ポロポロと泣く。忘れている事も多いけど、背中をさすりながら話をする。
もっともっと、ゆっくりと母の相手をしていたかったけど、木曜日の夜は、ある大学の市民講座を受けているので、「また、来るからね。元気でね」 と帰る。
家に帰り、荷物を置いて直ぐに家を出た。何とか、講座には間に合った。
Jリーグも、あと3回しか残っていない。それで、今年は終わりか…。
昨日は、東京の名古屋戦を応援に名古屋に行った。
最近、よく利用する太閤通口側のホテル。いつ来ても、こっち側はパッとしない。反対側は華やかなのに。
私は、結婚前に名古屋の栄でOL(昔は、BGと言った、つまりビジネスガール、笑ってしまう)をしていた時、太閤通口の方へは女の子は行ってはいけない、と言われた。だから、行った事はなかった。今も何となくそれが残っているのだろうか。
競技場へ向かう地下鉄には、グランパスのサポーターらしい人は見当たらない。またまた、今日だったかしらと思ってしまう。
でも、新幹線の中でドロンパの尻尾をぶら下げていた男性がいた。そして、地下鉄の中の斜め向かいには東京のサポーターが。
彼は、瑞穂競技場西で降りた。私は瑞穂競技場東まで行く。
電車を降りて競技場へ向かう。アウェイのゴール裏は直ぐだけど、正面まで回ってみる事にして歩いていたら、グランパスのサポーターが一杯集まっている。ああ、選手バスの入り待ちの人か。
私は興味無いので、前に出て、道路を渡ろうと思ったらバスが曲がる所。バスが通り過ぎるのを待とうと、フッと見たら、何と東京の選手バス!
周りを見ても東京サポーターは誰もいない。それではと、私は東京マフラーを一人掲げた。
森重選手が一番に気付いて、エクボを見せて小さく手を振ってくれた。他の選手達も、グランパスサポーターの中で一人東京マフラーを掲げる私に気付いて、ニコっとしたり、小さく手を振ってくれたり。
何か、ちょっと得したような幸せのような気分になった。
東京ゴール裏は、そこそこ応援の人達が来ていた。水曜日なのに、よく来るな、と思う。私は暇だけはあるけど、皆さん仕事は大丈夫?って心配しちゃう。そして、社長は、相変わらずスタジアムの階段を上がったり降りたりしながら握手して回っていた。
しかし、ワントップの闘莉王は本当に目立つし、凄い選手だなと思う。
キックオフの笛と同時に、ボールを追いかけ回す。その勝利へ向かって闘う姿が羨ましい。90分持つの?いうほど走り回っている。
東京の選手にも、あの闘争心が欲しい。
たまたま知っている人が一人で来ているのを見つけたので、一緒に話しながら応援していた。私達の周りの男性達が、闘莉王の事を「4番が、4番は」 と話しているのが可笑しかった。
そのうちに、周りの人達が「田中が、田中は」 と言い出すので、知り合いと「え、田中って誰?」 「そうだ、闘莉王って田中だったよね」 と笑った。
先制点は、目の前で見ていたのに、一瞬、何があったのか分からなかった。コーナーキックが直接入ったのかと思った。リプレイのスローモーションの映像で初めて田中さんの足だったのが分かった。敵ながら、アッパレと思うし、彼のゴールへの執念をウチのDFは甘くみていたな。
先制されてから終了までのウチのゲームは、「何回も、見たな~」 と。
右サイドを河野君が駈け上がって来ても、他の選手のゴール前への上がりが遅いからクロスを入れられないから、ストップするかパスを戻す。
ホクトは走り切らないで途中で止まってバックパスか横パス。ムックンの方が、深くまでドリブルして折り返すかクロスを入れてくれるよね、と隣の知り合いと話す。
何で、負けているのに、時間が無くなって来ているのに、そういう時程、横パスバックパスなんだろう。
名古屋よりもシュート数が多かったなんて信じられない。そんなに、シュート打ったかなと思う。ゴール裏もそう思ったから、「シュート打て!」 と言ったのだろうな。そうでなかったら、「枠飛ばせ!」 って言っただろうなと思う。確かに、枠にあまり行って無かったけど。
しかし、寒かった。あんなに寒くなるとは思わなかった。負けたし、よけい寒く感じた。
今日は、姉が住んでいた安城へ行った。お義兄さんが駅まで迎えに来てくれて、家に行った。
仏壇の姉に話しかけ、「どうしてそこにいるの?」 といつものように涙がこぼれる。
お義兄さんは、私が行くと、いつも、「アレもってけ、これも持って行け」 と。「まるで、実家に帰ったみたい」 と私は笑う。
もう、私の実家は、今誰も住んでいないし、姉が生きていた時には、安城は私の実家だった。お義兄さんは、「ここが実家だと思えばいいよ」 と言ってくれる。
お義兄さんは特養にいる母の保護者になっているから実家みたいなものかな。
その後、特養の母に会いに行った。いつものように私の顔を見て、ポロポロと泣く。忘れている事も多いけど、背中をさすりながら話をする。
もっともっと、ゆっくりと母の相手をしていたかったけど、木曜日の夜は、ある大学の市民講座を受けているので、「また、来るからね。元気でね」 と帰る。
家に帰り、荷物を置いて直ぐに家を出た。何とか、講座には間に合った。
Jリーグも、あと3回しか残っていない。それで、今年は終わりか…。