ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

名古屋から帰宅

2012-11-08 22:17:23 | FC東京とサッカー
今日は、本当に忙しい一日だった。やっと、くつろぐ。

昨日は、東京の名古屋戦を応援に名古屋に行った。

最近、よく利用する太閤通口側のホテル。いつ来ても、こっち側はパッとしない。反対側は華やかなのに。

私は、結婚前に名古屋の栄でOL(昔は、BGと言った、つまりビジネスガール、笑ってしまう)をしていた時、太閤通口の方へは女の子は行ってはいけない、と言われた。だから、行った事はなかった。今も何となくそれが残っているのだろうか。

競技場へ向かう地下鉄には、グランパスのサポーターらしい人は見当たらない。またまた、今日だったかしらと思ってしまう。

でも、新幹線の中でドロンパの尻尾をぶら下げていた男性がいた。そして、地下鉄の中の斜め向かいには東京のサポーターが。

彼は、瑞穂競技場西で降りた。私は瑞穂競技場東まで行く。

電車を降りて競技場へ向かう。アウェイのゴール裏は直ぐだけど、正面まで回ってみる事にして歩いていたら、グランパスのサポーターが一杯集まっている。ああ、選手バスの入り待ちの人か。

私は興味無いので、前に出て、道路を渡ろうと思ったらバスが曲がる所。バスが通り過ぎるのを待とうと、フッと見たら、何と東京の選手バス!

周りを見ても東京サポーターは誰もいない。それではと、私は東京マフラーを一人掲げた。

森重選手が一番に気付いて、エクボを見せて小さく手を振ってくれた。他の選手達も、グランパスサポーターの中で一人東京マフラーを掲げる私に気付いて、ニコっとしたり、小さく手を振ってくれたり。

何か、ちょっと得したような幸せのような気分になった。

東京ゴール裏は、そこそこ応援の人達が来ていた。水曜日なのに、よく来るな、と思う。私は暇だけはあるけど、皆さん仕事は大丈夫?って心配しちゃう。そして、社長は、相変わらずスタジアムの階段を上がったり降りたりしながら握手して回っていた。

しかし、ワントップの闘莉王は本当に目立つし、凄い選手だなと思う。

キックオフの笛と同時に、ボールを追いかけ回す。その勝利へ向かって闘う姿が羨ましい。90分持つの?いうほど走り回っている。

東京の選手にも、あの闘争心が欲しい。

たまたま知っている人が一人で来ているのを見つけたので、一緒に話しながら応援していた。私達の周りの男性達が、闘莉王の事を「4番が、4番は」 と話しているのが可笑しかった。

そのうちに、周りの人達が「田中が、田中は」 と言い出すので、知り合いと「え、田中って誰?」 「そうだ、闘莉王って田中だったよね」 と笑った。

先制点は、目の前で見ていたのに、一瞬、何があったのか分からなかった。コーナーキックが直接入ったのかと思った。リプレイのスローモーションの映像で初めて田中さんの足だったのが分かった。敵ながら、アッパレと思うし、彼のゴールへの執念をウチのDFは甘くみていたな。

先制されてから終了までのウチのゲームは、「何回も、見たな~」 と。

右サイドを河野君が駈け上がって来ても、他の選手のゴール前への上がりが遅いからクロスを入れられないから、ストップするかパスを戻す。

ホクトは走り切らないで途中で止まってバックパスか横パス。ムックンの方が、深くまでドリブルして折り返すかクロスを入れてくれるよね、と隣の知り合いと話す。

何で、負けているのに、時間が無くなって来ているのに、そういう時程、横パスバックパスなんだろう。

名古屋よりもシュート数が多かったなんて信じられない。そんなに、シュート打ったかなと思う。ゴール裏もそう思ったから、「シュート打て!」 と言ったのだろうな。そうでなかったら、「枠飛ばせ!」 って言っただろうなと思う。確かに、枠にあまり行って無かったけど。

しかし、寒かった。あんなに寒くなるとは思わなかった。負けたし、よけい寒く感じた。


今日は、姉が住んでいた安城へ行った。お義兄さんが駅まで迎えに来てくれて、家に行った。

仏壇の姉に話しかけ、「どうしてそこにいるの?」 といつものように涙がこぼれる。

お義兄さんは、私が行くと、いつも、「アレもってけ、これも持って行け」 と。「まるで、実家に帰ったみたい」 と私は笑う。

もう、私の実家は、今誰も住んでいないし、姉が生きていた時には、安城は私の実家だった。お義兄さんは、「ここが実家だと思えばいいよ」 と言ってくれる。

お義兄さんは特養にいる母の保護者になっているから実家みたいなものかな。

その後、特養の母に会いに行った。いつものように私の顔を見て、ポロポロと泣く。忘れている事も多いけど、背中をさすりながら話をする。

もっともっと、ゆっくりと母の相手をしていたかったけど、木曜日の夜は、ある大学の市民講座を受けているので、「また、来るからね。元気でね」 と帰る。

家に帰り、荷物を置いて直ぐに家を出た。何とか、講座には間に合った。

Jリーグも、あと3回しか残っていない。それで、今年は終わりか…。










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万里の長城での遭難

2012-11-06 19:19:02 | Weblog
お亡くなりになられた方には、本当に残念な事と思う。

私の、病気で亡くなった姉も山歩きが大好きだった。

結婚前から、あっちの山、こっちの山と出かけていた。低い山だからと誘われた事もあった。確かに山頂まで辿り着いた時の爽やかな達成感は最高だったけど、私はパス。

姉も地域の山登りの会に入っていて、泊まりがけで山に行っていた。

「もう、若くないんだから、ハイキング程度にいていたら。昔出来たからと無理したらダメだよ。身体は気持ちとは反比例だからね。」

と、何回も私は姉に言っていた。

皆、仕事や諸々の都合を何とか付け、費用も工面して、やっと辿り着いた山。時には、想定外の気候の変化で勇気を持って引き返さなければならない時もあるだろう。

姉に聞くと、「そういう時には、反対の人がいても、どうしても声の強い人に引きづられるのよね。遭難しそうになって事もあるよ。そんな時、もう若くは無いんだなと感ずるけど、やっぱり、若い時の事を思いだして過信するのよね」 と言っていた。

姉は、最後の入院する前の月にも、仲間の人と山に行っていた。

亡くなってから、カレンダーの予定表を見たら、来年(亡くなったのは10月の末)まで山登りの予定が書いてあった。

山登りに行く為に、普段からジョギングしたり、階段を駆け足で登ったり、食べ物にも気を付け、毎年人間ドックに入って、万全に体調管理をしていた。

でも、癌は、子宮の奥深くに隠れて、ひっそりと何年もかけて大きくなっていた。

摘出手術をして、医者は「見える範囲には見当たりませんが、抗癌剤の治療はやりましょ」 と。

辛い抗癌剤の治療後、元気になって、姉の家族と私の家族で快気祝いに温泉で2泊した。

手術して8カ月後、再入院して1週間で旅立った。

「ふみちゃん、木漏れ日が綺麗な林の中を、ワンピースを着た髪の長い女の子が楽しそうに走っているよ。ウソだと思うだろうけど、本当に見えるのよ」 と、病院の白い天井を微笑みながら見つめていた。

昏睡状態に陥って行った姉は、まだ、どんな幻覚を見ていたのだろう。

今でも、木漏れ日の中に微笑みながら座っている姉を想像する。

今回のツアーの内容を見ていて、姉も行ってみたいと思っただろうな、と思った。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。



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TVでの長淵剛ライブ&震災から500日

2012-11-05 20:48:51 | Weblog
夜中にTVで 「長淵剛SP ライブ&震災からの500日に密着」 があり録画していたのを見た。

まだ、綺麗な透き通る声で唄っていた頃から彼の歌は好きで、カセットテープ(古い!)がまだたくさんある。ウオークマンで聞きながら家事をしていた。

1時間半の前半は、去年の震災復興支援の様子等、TVで放送されて見たシーンや、夏の全国ライブの最終の、東北での3会場の様子。

後半の45分は、最後の仙台でのライブをたっぷり放送した。

香港や台湾や何カ国かでの映画館で同時上映されたそうだ。

NHKは興ざめのコマーシャルが流れないので、会場の興奮がそのまま心に沁みる。

「日本に生まれた」「明日をくだせえ」「ひとつ」「愛しき死者たちよ」「Stay Alive」「Run for tomorrow~明日のために~」

会場には、老若男女が、拳を振り上げ、長淵と一緒に歌い叫んでいた。

老夫婦が寄り添って拳を上げて歌う。幼子を抱きあげて揺れる若いお父さんやお母さん。小学生の息子の肩を抱きながら拳を振り上げるお父さん。小さく拳を上げるおばあさん…。

静かな会場にギターをつま弾きながら心を込めて唄う鎮魂の歌に、タオルに顔を埋める女性。溢れる涙を必死にこらえるお父さん。目頭を押さえる少年…。

私も溢れる涙に胸が熱くなった。

東北の震災には、どうしても夫の死が重なる。

あの津波の報道を声も無く夫と見つめていた。その2週間後に夫は入院した。私は昼間は病院で夫のそばで、夜はTVで東北の震災の様子を無言で見つめていた。

そして、その約一ケ月半後に夫は帰らぬ人となった。

だから、どうしても彼らにシンクロしてしまう。私の夫の為にも唄ってくれているのだと思えて来るのだ。

今日も、もう一度、最期の45分を見ながら、涙で胸が一杯になった。

フィナーレを会場の皆で、“明日のために”を歌い上げる。

そして、会場は、いっぱいの日の丸の小旗で揺れていた。

彼の歌の歌詞のように、私達は日本に生まれて日本に生きて来たのだと。そして、これからも日本で生きた行くのだと。

長淵は、こんな時に歌を歌っていていいのだろうか、と悩んだ時もあったそうだが、彼の震災復興支援を見たていると(TVで何回か)歌の力は偉大だと思う。

あの、一面ガレキの中を歩きながら作った「かもめ」や「6月のこいのぼり」も、彼でなければ作れない歌だなと思う。

彼の中の悲しみや悔しさや怒りが溢れて私の方に流れて来る。

又、時にはこの45分を見ながら、そして、歌を聞きながら夫を思い出して泣こうかな。





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久しぶりに一の森で

2012-11-04 19:31:45 | 南ちゃんと南山
今日は、久しぶりに“一の森”の手入れをした。

それに、今日は、一人、新しい人が参加した。

彼は、高校2年生。

高校で、ニュージーランドに留学して、自然に魅せられたという。

ニュージーランドでは、自然と人間が共生して暮らしていて羨ましかったと。

それで、日本に帰って来て自然に関われる何かがないかとネットを探していて、“チームポンポコ”さんに行きついた。

電話したら、“南ちゃんの会”を紹介されて、もみじさんに連絡が入ったという。

一の森で、手入れしてない所と、手入れした所を写真に撮り、感激していた。




「この森を、どのようにしたいかグランドデザインを書いてくれてもいいよ。あの、富士山が見える所には、そのうちに丸太の椅子とテーブルを作る予定。タクマくんも作ってね」




今日は、夏の間に草が生い茂ってしまった入り口を重点的に整備し、地を張って広がった葛を刈った。







タクマくんは、すっかり森の仕事が気に入ったみたいだ。

第一、第二の日曜日が活動日である事。それと、学校を優先する事を確認した。

若い人が参加してくれると嬉しい。若い人は未来。私達が年老いていっても、引き継いで未来に続いて行ってくれたらいいな。

帰りは、畑により、野菜をまねぐ作業をして、それをレジ袋に一杯詰めてお土産に。

2008年11月から始めた下草刈り。

道路から入ってカエデの広場から桜の広場まで綺麗にした林の中を彼に説明した。この、小道も作ったんだよ、と。

桜の広場に隣接したクヌギ林も今年から綺麗にしている事も。このクヌギ林は、所有者が「ウチも綺麗にして」 と言われて喜んで引き受けた所。

桜の広場も、下草刈りして4年も経つと、下草が生い茂って来て、もう一度、手を入れたいがナカナカ手が回らない。

もっともっと、仲間が増えてくれないかな…。

タクマくんは、電車に乗って都心に帰って行った。


可愛い実と変なキノコ。








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今日も南ちゃん

2012-11-02 19:36:21 | 南ちゃんと南山
今日は、道から桜の広場への入り口に階段を付けた。



前に階段を付けてもらったのだが、いつのまにか無くなって滑って登りにくくなっていた。

いつも、階段作りは男性にお願いしているのだが、明日、初めての人が里山散策に来るらしいので、滑って転ぶといけないからと、女性だけで作る事にした。

この間、シラカシを切って杭等につかえるように、枝払いをした木々があるので、それを持って来て作った。







私は、杭と階段にする為の木を切っただけだが、階段はモミジさんが作ってくれた。

もみじさん、凄い!立派な階段が出来た。



クヌギの林から桜の広場に上がる坂も、階段を作らないと滑って危ない。今度、そこも作るつもり。

林の中の道が、最近、通らなくなったので笹で覆われて来たので、そこも、刈って綺麗にした。

私の後に道が出来る、と言いながら。





日曜日の活動日は、久しぶりに“一の森”の手入れをする。

楽しみ。



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