都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

カールマルクス大通り

1992-10-04 | ロシア  

 再びバスに乗って昼食に向かう。昼食はCafe Sapporoにて。ロシアでは昼食がいわゆるディナーである。Cafe Sapporoは目抜き通りであるカールマルクス大通りからちょっと横に入った所にあるお店。ただこの時の「ディナー」は、残念ながらあまり覚えていない。「それなりに豪華」なものだったはずなのだが・・・。

カールマルクス大通り(現ムラヴィヨフ・アムールスキー通り)  Google Map

 ロシアの都市ではほとんど必ず目抜き通りがカールマルクス大通りになっているのだが、これもソ連崩壊と共に昔の名前に戻ってきているらしい。僕らが訪れた時はちょうどその変わり目で、どちらの名前も使えてしまう状況だったので、却ってややこしくなってしまい、結構面倒だった。大通りの建物は皆それなりに立派で意匠が凝らされていたが、やはりロシアの中では地方都市であるため、その規模は大きくなく、日本の大都市を見慣れた僕らにはちょっと物足りなく思えてしまう。また商業地区がその目抜き通り一本しかなく、ちょっと横へそれたり、裏へ回ると、あっという間に普通のアパート群になってしまうのも少々寂しい。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#街並み 海外  #商業系
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ホテルとレーニン像

1992-10-04 | ロシア  
ホテルとレーニン像  Google Map

 ホテルの前の広場には、広場とカールマルクス大通りの方を向いてレーニン像が建っていた。ちょうどこの頃、ロシア崩壊と共にロシア各地でレーニン像が打ち壊されたというニュースが日本にも伝わってきていた。ハバロフスクのレーニン像は未だ健在だったが、これとていつ無くなるかわからない。

#街並み 海外  #広場  #モニュメント  #ホテル・旅館 
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レーニン広場と医科大学

1992-10-04 | ロシア  

 レーニン広場でまたバスを降りる。ここは今までの場所と違って、そこそこ人が歩いていたりたむろっていたりする。旅行中、最初の頃は、人が多い場所に行くと、やや緊張してしまっていた。いきなりロシア語で数人から話しかけられたりしたら、ちょっと困ってしまうのだ。写真を撮る時には集団からちょっと離れて、良いポジションを確保したかったのだが、思うように行動できなかった。だから帰国後に見比べると、全体に固さが漂っており、特に旅の前半は面白い写真が撮れていない。建物写真はできるだけしっかり撮ろうとしていたので、それなりには撮れていたけど。

ハバロフスク:医科大学  Google Map

 レーニン広場の周囲には先にも書いたように、ハバロフスク州共産党中央委員会の建物、医科大学、病院、ホテルなどがあり、いかにも都市の中心、センターという感じである。しかし儀式的な広場で、市場などとして用いてはいけないからか、活き活きとした活動には満ちておらず閑散としている。

#広場  #大学
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ハバロフスク市共産党本部

1992-10-04 | ロシア  
栄光広場のモニュメントと、ハバロフスク市共産党本部  Google Map

 役所のような建物と、いろいろなマークが並ぶ建物が「近代建築!」という感じでかっこ良い。
 僕は何故か社会主義、共産主義の建築物をカッコイイと思ってしまう時がある。結局権力者によるプロパガンダ的デザインが、時には突出して、偉大で美的に見えてしまう時があるのだろう。もし僕がそのような立場にいたらやっぱりこういうことになるだろうナァ、と思わせる何かがあるような気がしてならない。

 再びバスに乗ってレーニン広場に向かう。乗車の際にも少年が数人バスに寄ってきて物を売っており、ここでもI氏はバッジを購入。

#広場  #モニュメント  #官公庁  #オフィス 
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栄光広場のモニュメント

1992-10-04 | ロシア  
栄光広場のモニュメント  Google Map

 引き続き栄光広場へ歩いて行く。記念碑のような塔が「共産主義!」という感じでカッコイイ。

#広場  #モニュメント 
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永遠の火の広場

1992-10-04 | ロシア  

 またまたちょっとだけバスに乗って、今度は記念広場のような所へ行く。

ハバロフスク:永遠の火の記念碑  Google Map
永遠の火

 永遠の火と呼ばれる場所の記念碑を見学して、壁面に彫られている沢山の人の名を見る。第2次世界大戦等で戦死した人達の名だという。こういう時、私たちは一様に複雑な感覚に襲われる。なにしろこの人達の内のいくらかは私たちの父、祖父の世代と敵対し戦った人達なのだ。彼らが私達にこれを見学させる真意を思わず考えてしまう。しかしそれは横に置いておいてとりあえず素直に見学させていただく。

#広場  #モニュメント 
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街なかのアパートメント

1992-10-04 | ロシア  
会議場前の坂道

 会議場の外へ出て見ると、前の道は結構きつい坂道だった。ハバロフスクの町は川沿いの丘陵地のようになっていて、町の中は少し起伏がある。しかしそれにあまり配慮することなく、格子状に道路を配しているため、中にはエラク急な坂道もある。また表通りと裏通りで勾配の向きが逆になってしまう等のねじれ現象も起こってしまったりする。ただ方向性のある格子状の区画なので、町を理解するのは比較的たやすいと言えるかもしれない。坂道は晩秋の紅葉と落ち葉がとてもきれいだった。ここらへん何となく欧米の郊外の住宅地の風景に似ているのではないかなと思った。まだ行ったことないけど・・・。

ハバロフスク:増築をしたアパートメント

 私たちが建築関係の連中だということを知ってか、ガイドの人は比較的良く建物の話をしてくれた。アパートメントを前にしてそのファサードを指し、「1階から4階はレーニンの頃の建物で、5階と屋根裏の6階はスターリンの頃の増築です。レーニン時代はそれなりに立派に建物を建てようとしましたが、スターリン時代になると粛正が行われ、階の高さを抑えて建物を建てるようになりました。」などと説明してくれた。私たちは観光客よろしく、それらにいちいち感心しながらキョロキョロ建物を観察するのだった。

#階段・坂 海外  #街並み 海外  #住宅系  #集合住宅  #20世紀 
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ハバロフスク州地方政府国際会議場

1992-10-04 | ロシア  

 またバスに乗って、今度は国際会議場だか市の公会堂に行った。

ハバロフスク:国際会議場  Google Map

 いかにも近代建築という感じで、まるで面白くない建物だが、内部の設備は当地にしては立派だった。ゴルバチョフ大統領がハバロフスクに来た時に演説をした場所だそうだ。その割には見学に全然制約が無く、僕らが議長席に座って写真を撮るのも自由だった。

 また不思議なことに1階には丸紅のハバロフスク支店が入居している。どうして公的建物に民間オフィスが入ってしまうのかもよくわからない。日本企業が入居しているので、トイレはTOTOの最新式の赤外線感知式のものだった。ここらへんも相当に変な落差があっておかしい。

 玄関ホールには石で作ったハバロフスク州の自然・動物達の大きなモザイク画があった。こんなに精緻なものを創るのには相当の手間ひまが掛かっているのだろうな、と思いながら見ていると、一人の石工が3年掛かりで作ったものだと、誇らしげにガイドが語ってくれた。やはりこのような物を見せたいのだろうな、とやや微笑ましく思ったのだった。

 しばらくすると少年がいつの間にか私達の間にいる。彼は僕らが見ていたモザイク画の絵葉書を売ろうとしていた。メンバー数人が少年から絵葉書を買おうとすると、何故かガイドは「買わないで、買わないで。」と制止。理由を尋ねると、どうやら少年の非行の原因になるという理由らしい。絵葉書を子供から買うことが、その子の教育上良くないというのが、いまひとつわからなかったが、I氏は「ここで買わないと次にどこで買えるかわからないから!」といって、結局買っていた。

 少年は目減りするルーブルより円が欲しいらしく、しきりに「百円!」と言っていた。子供がこんなことしている所へ来ると、何だか気が滅入って来てしまうことも事実である。一方で、玄関ホールに無造作にカラーテレビが置かれていて、小さな可愛らしい子供が何故か一人でアニメを見ていたのが、なんだか不思議だった。

#公共施設  #映画館・ホール  #オフィス 
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文化と憩いの公園

1992-10-04 | ロシア  
文化と憩いの公園  Google Map

 いちょうの葉が黄金色に色づいて、とてもきれいな中を通り抜けてアムール川沿いまで出る。アムール川はやっぱり日本では考えられないような大河だった。眼下に船着き場が見える。少し上流の対岸から中国の船がやって来るらしい。中国の人々はここで交易を行っているという。ハバロフスクが国境の町で、外とそのようなつながりを持っている、ということを目の当たりにしたような気がした。

文化と憩いの公園・園内に置かれた大砲の筒

 公園には大砲の筒が展示してあった。ロシア国内の戦争時のものから日露戦争当時のものなど、いくつかが無造作に置かれていた。この他鯨の骨格標本なども網がついた小屋の中に置かれていた。捕鯨もされていたらしいが、通訳も完全には訳せていなかったりしたので、詳細はわからないまま先へ進む。なぜか亀や猿の石像などがあって、よくわからん公園でもあった。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#モニュメント  #公園 
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連結バス

1992-10-04 | ロシア  

 旧カールマルクス大通りの先にある、コムソモール広場でバスを下車。歩いてアムール川のそばの「文化と憩いの公園」に向かう。風はあまりないが寒い。はらはらと小雪が舞う。この冬初めての雪の日だと、同行のロシアの人達が言っていた。

2輌連結のバス

 風景の殆ど全てが日本にはないものなので、早速手当たり次第に写真を撮る。2輌連結のバスや、トロリーバスなどの乗り物がとりあえず気になってしまう。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#自動車 
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