レーニン広場とハバロフスク州共産党中央委員会 Google Map
ガイドが次々に建物を紹介してくれる。ジナモ公園、劇場を過ぎ、レーニン広場に出ると、ハバロフスク州共産党中央委員会の建物、医科大学、病院などが見える。民間のショッピングセンターなどがほとんどない、社会主義国だから仕方がないのかもしれないが、紹介されるのは全て公共建物で、モニュメンタルな建物が多い。社会主義の素晴らしさを宣伝されているようで、こちらとしてはあまりうれしくない感じ。アキハバラ、ハラジュクみたいに、庶民的な活気があるところが全く紹介されないので、違和感があるし、次第に退屈にさえなってくる。
#街並み 海外 #広場 #官公庁
ハバロフスク地方ミュージカル劇場 Google Map
バス車内から。劇場の前を通り掛かる。ガイドは次々に施設を紹介していく。劇場は基本的にモダニズム建築で、そこにレリーフなどが付いているのが特徴。
#街並み 海外 #映画館・ホール #モダニズム
朝食の後、ホテル周辺を散歩することにする。外へ出て見ると、どんよりして思いのほか寒い。小さな水溜まりにはガチガチに氷が張っている。またホテルの所在地が中心街ではなく、郊外の住宅地の中なので、近くには全くお店がない。どちらかというとむしろ、ロシアの平均的市民の生活場所を外から垣間見ることができる。
ホテル周辺の住宅地
外には大きな落葉樹がそこここに立っていたが、その中に、小枝でできた塊が枝先についている木が何本もあった。最初は何か鳥の巣のようだというだけで、よく判らなかったのだが、以後あちこちで見かけるに至り、気になったので通訳を介して聞いてみると、「カササギ」の巣らしい。カラス程度の大きさで全体は濃紺、腹部が白い。奇妙に愛敬のある鳥で、I氏は滞在中、ロシアカラスと呼んでいた。カササギは実はカラスの仲間だとのことなので、この呼び方もあながち間違いではないらしい。
寒いので早々に部屋に引き上げ、午前中の行動の準備をすることにする。
カササギの巣
#街並み 海外 #住宅系
ロシアへ行く前に、椎名誠の「ロシアにおけるニタリノフの便所について」という本を買い、持ってきていた。その本には、ロシアの便器には何故か便座がない、ということが面白おかしく書いてあった。ホテルチャイカでは、木製の便座があったので、一応、記録としてトイレの写真を撮影。あまりトイレの写真なんて撮るもんじゃないのだが・・・。本にも書いてある通り、トイレには備えつけの紙なんてないし、そもそもペーパーホルダーがない。
ホテルチャイカ・洗面とトイレ
ところで今朝、O氏は、自室のトイレを同僚が使用していたため、他の部屋でトイレを借りようと、トイレットペーパーのロールを持ってホテル内を歩いていたが、途中で別件を思い出して、階段の踊り場の手摺に、ほんのわずかの間、紙を置いて自室に戻ったのだという。ところが短時間の後、階段に戻ってみると既にそれはなくなっていた。全くなんという国だ、と憮然とするO氏。そんなわけで、ここらへんから彼は早くも、少しロシアが嫌いになったようだった。ロシアなんだからしょうがないかもねぇ。しかし日本だったらそんなもんほとんどの人が拾わないよなぁ。全くすごい所だ。
ホテルチャイカは5階建てで、一応エレベーターがついている。ところがこれが何とも不思議なもので、まずエレベーターホールにはボタンが一つしかない。つまり呼び出しボタンである。上昇だろうが下降だろうがお構いなしに、とにかくボタンが押された階に箱がやって来る。箱に乗り込んでボタンを押す。ここで複数の階を押してもだめで、最初に押したボタンの階へ行ってしまう。1階で乗って4階を押し、その後3階を押しても、とにかく4階へ行ってしまう、かなり頭の悪いエレベーターだった。4階で先に呼ばれていると、3階で待っていても先に4階に行ってしまう。空いているときでないと、いつまで待ってもエレベーターが来ないので、待ちくたびれて結局階段を使ってしまうことがほとんどだった。
また開ボタンを押しても延長にはならず、無情にも閉まってしまう。フロアにピッタリ一致しないこともある。結構スリルのあるエレベーターだった。とにかく、ロシアンペースというものの勝手がまだ掴めず、とまどうことが多い。
#ホテル・旅館
8:15、起床。やっぱり寒い。冷たい床に一枚敷いたベッドスポンジの上で寝てしまったので、何だか早くも体調を崩し気味になってしまったような気がしてしまう。
9:00、朝食。やけに広いレストランでとる食事。しかも人影が少ない。妙に静かで、オフシーズンのリゾートホテルに間違って来てしまったみたいだった。ロシアに来て初のロシア風朝食は、ホテルなのに何だか哀しくなってしまうほどに頼りなく、貧弱なものだった。うーむ、早くも食欲をそそらない感じだ。この調子で旅行中我慢し続けられるかどうか、一発で気がかりになってしまう。手当たり次第に文字を読んで見ようとするが、皆目読めない。町で一人で調査するなんて大変かもなぁ、声を掛けられても困っちゃうよなぁ、と早くも心配事は増えて行くのでした。
レストランには仕切りの衝立が置いてあったが、これが不思議な形をしていた。いったい何をかたどったものなんだろう?
ホテルチャイカ・レストランの衝立
今回の旅行にはロシア人添乗員も同行してくれるらしいということが、今朝になって解る。日本人通訳を通して名を聞くと、何だかえらく長い名前「アレキサンドル・チターエフ・なんとか」(First,Middle,Last Nameがあるから覚えられなかった・・。)を教えてくれた。長すぎるので一部をとって呼ぶしかないのだが、どこを呼び名として言って良いのかわからない。皆で適当に呼んでいたら、アレキサンダーとかアレキサンドル、アレック、チターエフ、アンドレとかばらばらになってしまい、僕らの中でも誰を指しているのか良くわからん状態になってしまった。ただ、旅行も後半になると、アレキサンドル氏に徐々に統一されて行ったのだった。
食事を終わってレストランを出て、ロビーのあたりを通りかかると、日本人旅行者の団体に出会った。早くもCheck Outして出かける様子だったが、そのうちの一人のおやじさんは、ホテルのサービスが酷い云々と、不平をたらたらと言っていた。彼らは戦後のシベリア抑留時の死亡者の墓参団としてここを訪れているという。抑留に対する思いがその発言につながったかどうかはわからないが、大人は僕らと違ってこのような待遇を面白がれないのだろう。
ホテルチャイカ・玄関ロビー
寒い場所なので玄関にはもちろん前室がある。木製の扉には寄木細工のような装飾が施され、民俗家具のような暖かみがある。残念ながらこのようなデザインがされているのは玄関扉だけなのだが・・・。
ホテル内はなんだか薄暗い。レストランも玄関ロビーも廊下も、昼間の間は全く電灯が点いていないのだ。もちろん昨晩の到着時には点いていたのだが、朝になると、電気がもったいないので、消してしまうらしい。日本の大きなホテルではあまりないことだが、こちらではそれが当たり前なのだと言うことが、この後しばらくすると体験的に理解されるのだった。
ホテルチャイカ Google Map
チャイカというのは「かもめ」という意味だという。しかしその名からは想像しにくいのだが、このホテルチャイカは、以前は軍人や将校用のホテルだったという。だからハバロフスクの観光地図を見ても、ここは記載されていない。現地の日本人の間では軍人ホテルと言った方が通じるらしいとも聞いた。
#ホテル・旅館