高田馬場から百人町あたりをうろうろ。高田馬場駅から早稲田通りを西へ。駅の東側の方は、山手線の内側で早稲田大学もあるので、中高層建物への建て替えが進んでいるが、駅の西側はシチズンボールのあたりを境に急に人通りが減ってしまう。そのあたりから小滝橋交差点までの間に、いわゆる看板建築が点々と残っている。
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モルタル洗い出しの建物
Photo 2006.2.3
戦前の1929年の地図には、高田馬場の西側では、今のような早稲田通りはまだ記載されていない。似たような道筋はあるので、戦前のどこかの時期に拡幅されて、現在のようになったらしい。沿道の看板建築は、その時に建て替えられたものか、関東大震災後に建てられたものを曳屋で移築したものかもしれない。駅周辺は年々賑やかになったが、駅から遠い所では、建物がそのまま残される結果になった。
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看板建築の連続写真(クリックすると大きくなります。)
Photo 2006.2.3
何枚かの写真をPhotoshopでつなげてみました(画像をクリックすると大きくなります。)。老朽化が激しく、右側の精肉店その他は廃墟同然の状態。真中の三軒の銅板貼り建物の方はきれいな状態だが、開いているのは中央の八百屋さんだけで、左は自動販売機のみ稼働。
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井戸のある裏庭
Photo 2006.2.3
中央の看板建築の裏手には、井戸のある庭がある。また路地の奥には、比較的大きな敷地の住宅が、3軒ほどひっそり残されている。山手線の駅から徒歩数分の場所とは思えない。
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銅版貼りの看板建築
Photo 2006.2.3
100mほど西へ行くとまた看板建築が現れる。右側の建物は、かなりきれいな状態。上部に文字が貼ってあった痕があるが、何と読むのか分からない。中央は襖張り屋さん。左側は一部をブロック造で建て替えたような感じだが、痛んだのかネットが掛けられている。
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銅版貼りの看板建築
Photo 2006.2.3
更にビルを一つ二つ挟んで、今度は4軒つづきの銅版貼りの長屋状看板建築。お店をやっているのは一軒だけのようだが、比較的みなきれいな状態。緑青銅板貼りの看板建築がたくさん建ち並んでいる場所って、実はもうあまり無いのではないかと思う。さて、ここまでは全て道の南側の建物。
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マンサード屋根の3Fのある店舗
Photo 2006.2.3
早稲田通りの北側に南面しているものも何軒かある。この豆腐屋さんは正面はわりと普通だが、横から見ると平入り腰折れ屋根3階。マンサード屋根で屋根裏三階を作っている。
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Photo 2006.2.3
最後のものはモルタル塗り2Fで、上部に自動車教習所の大きな看板が付いたり、1Fは他の店舗に改装されているよくありがちな例。でも中央に「玉泉堂」の文字がしっかり残っている。玉泉堂って何のお店だったのでしょうか?
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