昨日のつづき
正面玄関から扉を開け、玄関ホール内に入ってみる。1階ホールが思いのほか立派だったので、急に写真を撮りたくなってしまった。警備員さんに尋ねたところ、撮影禁止とのことだったのだが、ちょっとだけノーファインダーで撮らせて頂いてしまった。
建築史家の藤森照信先生が、以前にどこかの本で「門が開いていたら入っても良いと解釈する。何か言われたら、おとなしく退出する」と書いておられた。今回のような場合は・・・微妙だなー。しかもここに公開するのは更にまずいのかな?。
関係者の方、防犯上等の問題があったら削除いたしますが、せっかくの文化財級の建物ですので、記録として残す意味での公開をお許し下さいませ。
八重洲ビルヂング 玄関ホール
Photo 2006.2.4
正面玄関を入った先には、エレベーターホールと二つの階段室につながる正方形のホールがある。アールデコ系らしく、幾何学的な模様を施した格子天井が印象的。柱ががっしりしていて安定感がかなりある。
守衛室のそばのガラスも、派手ではないがステンドグラスになっている。
階段室もゆったりとしていて、オフィスビルだが上品な感じ。
エレベーターホール付近。ホールの入口にはクラシックな時計が下がる。
正面玄関内側。黒く重厚な金属製の扉が歴史を感じさせる。
西側の古河ビルとの間の様子
建物は西側へ通り抜け可能。八重洲ビルの東側玄関から入ってホールを通り、まっすぐ西側へ抜け、古河ビルの裏口から入り、西側正面から出ると丸の内MY PLAZAになる。
なお「デジカメ散歩」というサイトには、丸ノ内八重洲ビル・内部として、もう一歩踏み込んで撮られた写真があります。また昨日も記した「秋葉OLの楽しみ探し」内の「哀愁ビルヂング【みつびし篇】」には地下の探索写真が・・・。うーむ、かなりディープです。
しかしこのような昭和初期の上質な本物のオフィスを壊して、レプリカで明治の三菱一号館を復元するというのが、どうも解せない。超高層オフィスを造りたいのならむしろ、80年近くを経てなお現存する八重洲ビルをうまく残しつつ、周辺を再開発すれば良いのではないだろうか。
会社として三菱一号館を大切に思う気持ちは理解できる。部材もある程度は保管されているようだ。だが同じように丸ノ内八重洲ビルヂングを大切にはできないのだろうか? 一号館の方は全て煉瓦造で元通り造れるわけでは当然ないだろう。内部の間取りが忠実に復元されるかどうかも怪しい。それなのに文化財級の「本物」である八重洲ビルの方を壊すという。オフィスとして、一号館は現代的にはうまく使うことができないだろうが、八重洲ビルは現役であり、今後も使うことができなくはない。なにか矛盾している気がする。
そう考えると、一号館の復元は実は単なる話題作りであって、客寄せの道具みたいな気がしてしまう。開発の罪滅ぼしをして、文化に貢献している素振りを見せてはいるが、実際は文化財の保存には関心があまりないのだとしたら、やや行いに品がない気がする。
「まちもり通信・伊達美徳サイト」でも、「街はお遊びテーマパークか」として、一号館の復元をコピー建築によるテーマパーク化と批判している。
実はかなり前に、担当者から当時の「丸ノ内マンハッタン計画」の説明を受けたことがある。自らの計画の説明には熱心だったが、性急な開発行為に対する素朴な疑問に対しての、情報の公開、正面からの回答はなかった。そして裏では、人々は何も分かってない、理解して貰えないとこぼしていた。場所が場所だけに日本のためにも東京のためにも有効活用しなければならない、他の地域との競争のためにも、丸ノ内の建物のほとんど全てを超高層に、という態度は一貫していた。
また20年ほど前に、会社説明会の席上で「丸の内に多くの不動産を所有しているので、会社としての最大の業務目的は、現有資産の最大限の有効活用(つまり容積率のボーナスを獲得して超高層ビルを建設し、床面積を最大にして利益を確保する)であり、それ以外には実質的には関心がない」という正直な考えを聞かされたことがある。民間の不動産経営である以上、その辺は譲れない線であることは承知しているが、他の意見や疑問を顧みず聞く耳を持とうとしない姿勢と、理解を得るための情報公開を拒む姿勢に相当失望した記憶がある。
同じことをするのであっても、建物の保存ができない理由や、開発が必要な理由をもっと丁寧に説明し、疑問に答えた方が、より多くの人に理解して協力して貰えるのではないだろうか。オフィスビル街であり、居住人口はほとんどいないが、なんといっても日本の中心地東京の駅前であり、民有地といえども公共性は高い。いくつかの検討案を公表し、広く意見を聞き、その上で地区計画を練っていくようなPublic Involvementのような手法が取られるべきではなかったか。行政により義務づけられた形式的な地元説明会を行い、既決定の計画のみを説明し、既に他には選択肢が無いとだけ宣言することで良しとするのは、やはり頑なな姿勢である気がする。
日本建築家協会から保存要望書が出されたりしたのも、性急な開発に対する疑義だろう。保存に対する検討や熱意が足りないのではないかと周囲は考えている。
マンハッタン計画発表当時、まるで墓石が建ち並ぶような計画概略図を見て、げっ、と思わず失笑していたが、いまではそれがほとんどそのまま実現しつつある状況。丸ノ内仲通りをブランドストリート化する計画も、粛々と実行されてほぼ実現した。疑問、怒り、哀しみ、その他もろもろの感情を通り越して、ただ呆れるというのが正直なところ。・・・やっちまったんですね。
でもこんなこと書いていても、建物ができてしまえば見に行くし、それらを使ってしまう。私も「取り込まれてしまっている罪深い人」なのです。ああ。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #近代建築 #昭和戦前期 #オフィス