今年は桜の開花宣言が早いのに、何故かこの季節に匂う
沈丁花の香りがまだしてこない。どこからともなく漂うように
流れてくる,この花に僕は特別な思いがあり、そして大好きだ。
四分の一世紀前、僕は足掛け10年勤務した北海道の会社を
途中退社して、故郷の東京へ引き揚げてきた。50歳、まだ
定年まで5年残っていたのだがー。(当時大部分の企業は55
歳定年だった)退社の最大の理由は健康上の問題だったが、
このまま、あと5年会社に残って”完全燃焼”してもという
”損得勘定”が働いたことも事実だ。
退社した昭和56年の東京の春は早かった。僕の家のまわりは
沈丁花の匂いで一杯だった。早速僕は挨拶状の頭詞に沈丁花を
使用した。それほど沈丁花の匂いは強烈だったのだ。
あれから25年の歳月が流れ、僕の人生の”損得勘定”は、どう
だったのかー。いま、こうして元気で毎日ブログで雑文が書ける
のだから、僕にとっては”得”だった。本人が”得”だっと思う
のだから”得”なのだろう。僕は沈丁花の匂いが大好きだ。
沈丁花の香りがまだしてこない。どこからともなく漂うように
流れてくる,この花に僕は特別な思いがあり、そして大好きだ。
四分の一世紀前、僕は足掛け10年勤務した北海道の会社を
途中退社して、故郷の東京へ引き揚げてきた。50歳、まだ
定年まで5年残っていたのだがー。(当時大部分の企業は55
歳定年だった)退社の最大の理由は健康上の問題だったが、
このまま、あと5年会社に残って”完全燃焼”してもという
”損得勘定”が働いたことも事実だ。
退社した昭和56年の東京の春は早かった。僕の家のまわりは
沈丁花の匂いで一杯だった。早速僕は挨拶状の頭詞に沈丁花を
使用した。それほど沈丁花の匂いは強烈だったのだ。
あれから25年の歳月が流れ、僕の人生の”損得勘定”は、どう
だったのかー。いま、こうして元気で毎日ブログで雑文が書ける
のだから、僕にとっては”得”だった。本人が”得”だっと思う
のだから”得”なのだろう。僕は沈丁花の匂いが大好きだ。