東京はいま桜が満開である。きのう病院帰りの旧友の
誘いで、近くの目黒川へお花見に出かけた。
コンクリートの護岸は風情はないが、両岸から競り
だした花のトンネルは見事であった。
友人とは昭和18年来の「同期の桜」である。戦争中は
空襲下、焼夷弾の雨の中を逃げまどい、動員先の工場では
空腹を抱えて秘密兵器の生産に当たった。戦後も戦後で
焼け跡整理に苦労した仲である。
貴様と俺とは同期の桜・・・・咲いた花なら散るのは
覚悟、見事散りましょう国のため
(西条八十・作詞 大村能章作曲 昭和19年ごろ)
動員先の軍歌演習でもこの歌も歌った。戦後60年
あまり、二人とも数えで喜寿の年を迎え、おたがいに
元気でいられる。あと5年早く、この世に生を受けて
いたら、この満開の桜を見ることが出来なかったかも
しれない。改めて平和の時代に感謝し、あの戦争で
散華された英霊に合掌する次第である。
誘いで、近くの目黒川へお花見に出かけた。
コンクリートの護岸は風情はないが、両岸から競り
だした花のトンネルは見事であった。
友人とは昭和18年来の「同期の桜」である。戦争中は
空襲下、焼夷弾の雨の中を逃げまどい、動員先の工場では
空腹を抱えて秘密兵器の生産に当たった。戦後も戦後で
焼け跡整理に苦労した仲である。
貴様と俺とは同期の桜・・・・咲いた花なら散るのは
覚悟、見事散りましょう国のため
(西条八十・作詞 大村能章作曲 昭和19年ごろ)
動員先の軍歌演習でもこの歌も歌った。戦後60年
あまり、二人とも数えで喜寿の年を迎え、おたがいに
元気でいられる。あと5年早く、この世に生を受けて
いたら、この満開の桜を見ることが出来なかったかも
しれない。改めて平和の時代に感謝し、あの戦争で
散華された英霊に合掌する次第である。