今回の大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の佐藤仁町長(59)が津波にあいながら高さ11mの防災庁舎の3階の鉄手すりに必死にしがみつき、九死に一生をえた体験をテレビで知った。南三陸町は人口18,000人のうち、まだ8,000人の安否が不明の三陸海岸のリアス式の美しい町だった。
南三陸町は過去にも明治三陸津浪(明治29年)を始め何回も大津波の被害なっており、沿岸には高さ8mの水門や防波堤で固めてある。町長が一命をとりとめた防災庁舎も高さが11mもあった。町長も子供だった頃、1960年(昭和35年)のチリ津浪を体験していて、住民の津浪に対する防災意識が高い町だった。
岩手県宮古市田老町は昭和8年の昭和三陸大津波で、ほぼ村(当時)が壊滅した体験から海岸に高さ10m、総延長2・5kというスーパー堤防で厳重で固めた。この効果があってチリ津波の時にはほとんど被害がなかったという。その後も全国で唯一「津波防災の町」を宣言し、今回の大津波があった8日前の3月3日に町をあげての避難訓練があったばかりであった。
昨日テレビの中継番組を見て、僕ははじめてこの田老町ですら今回の大津波には勝てなかったことを知った。大津波は軽く10mのスーパー堤防を乗り越え、町が住民の避難場所に指定していた階段の上の建物まで被害を受けていた。被害の模様をルポする学者の話では、皮肉なことにスーパー堤防が、津浪のあと、今度は引水の壁となって被害を出したという。千年に一度の大震災であった。すべてが想定を越える悲劇であった。
南三陸町は過去にも明治三陸津浪(明治29年)を始め何回も大津波の被害なっており、沿岸には高さ8mの水門や防波堤で固めてある。町長が一命をとりとめた防災庁舎も高さが11mもあった。町長も子供だった頃、1960年(昭和35年)のチリ津浪を体験していて、住民の津浪に対する防災意識が高い町だった。
岩手県宮古市田老町は昭和8年の昭和三陸大津波で、ほぼ村(当時)が壊滅した体験から海岸に高さ10m、総延長2・5kというスーパー堤防で厳重で固めた。この効果があってチリ津波の時にはほとんど被害がなかったという。その後も全国で唯一「津波防災の町」を宣言し、今回の大津波があった8日前の3月3日に町をあげての避難訓練があったばかりであった。
昨日テレビの中継番組を見て、僕ははじめてこの田老町ですら今回の大津波には勝てなかったことを知った。大津波は軽く10mのスーパー堤防を乗り越え、町が住民の避難場所に指定していた階段の上の建物まで被害を受けていた。被害の模様をルポする学者の話では、皮肉なことにスーパー堤防が、津浪のあと、今度は引水の壁となって被害を出したという。千年に一度の大震災であった。すべてが想定を越える悲劇であった。