菅総理が電話一本で自民党の谷垣総裁に副総理兼震災復興担当相として入閣してくれと頼んできたという。菅総理はさきに与謝野経済担当相を”三顧の礼”で迎えいれたといっていたが、非常時とはいえ、電話一本では”一顧”にも値しない。これでは谷垣総裁が断るのはあたりまえだ。
菅総理の震災後の対応をみていると、何か動転していて、きちんとした思考のもとで事に当たっているとは思えない。総理としての指導力を喪失している。人命救助と被災地救済が先決なのに、人事ばかりが先行している印象を受ける。人事で物事が解決されるわけではない。極端な言い方をすれば、総理はこの国難といえる非常時に対処できなくなっている。
大正12年9月1日、関東大震災が発生したさい、総理が不在だった。8月24日、加藤友三郎総理が急逝して内田康哉外相が臨時代理総理だったが、地震発生翌2日には山本権兵衛内閣が発足、見事に国難を乗り越えた。
戦後、わが国では3回、現職の総理が脳梗塞や心筋梗塞で倒れて執務不能になり、臨時代理総理が置かれている(昭和31年石橋湛山内閣、44年大平正芳内閣、平成10年小渕恵三内閣)。菅総理は外見的には健康のようだが、僕がみるかぎり、精神的には動揺していて統治能力を失っている。ここは一歩身を引いて、しかるべき方が臨時代理となることを提案する。そして強い指導力を発揮して頂き、そのあと非常時が安定した時、改めて国会を解散、総選挙をしたらどうか。それこそ菅総理は”三顧の礼”をもって臨時代理総理を迎えるべきだ。
菅総理の震災後の対応をみていると、何か動転していて、きちんとした思考のもとで事に当たっているとは思えない。総理としての指導力を喪失している。人命救助と被災地救済が先決なのに、人事ばかりが先行している印象を受ける。人事で物事が解決されるわけではない。極端な言い方をすれば、総理はこの国難といえる非常時に対処できなくなっている。
大正12年9月1日、関東大震災が発生したさい、総理が不在だった。8月24日、加藤友三郎総理が急逝して内田康哉外相が臨時代理総理だったが、地震発生翌2日には山本権兵衛内閣が発足、見事に国難を乗り越えた。
戦後、わが国では3回、現職の総理が脳梗塞や心筋梗塞で倒れて執務不能になり、臨時代理総理が置かれている(昭和31年石橋湛山内閣、44年大平正芳内閣、平成10年小渕恵三内閣)。菅総理は外見的には健康のようだが、僕がみるかぎり、精神的には動揺していて統治能力を失っている。ここは一歩身を引いて、しかるべき方が臨時代理となることを提案する。そして強い指導力を発揮して頂き、そのあと非常時が安定した時、改めて国会を解散、総選挙をしたらどうか。それこそ菅総理は”三顧の礼”をもって臨時代理総理を迎えるべきだ。