「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         80老のインドネシア独り旅(6)英雄墓地

2011-11-27 07:29:46 | Weblog
今回の旅の最後の日、僕は故アリフィン・ベイ氏(元筑波大学客員教授)のタンゲランにある遺族宅を見舞った。本来は墓参を予定していたのだが、交通渋滞で時間がかかるということで取りやめた。アリフィン・ベイ氏は戦争中の大東亜共栄圏留学生の一人で、広島文理大学(現広島大学)に留学中に被爆された。ご本人は何も語らないが、生前いつも咳きをされており、もしかすると、被爆の影響ではないかと周囲は心配していた。

僕は1966年、アリフィン・ベイ氏がジャカルタで英字紙の編集長をしていた時、同氏と知り合ったが、その後アリフィン・ベイ氏は再来日、在東京インドネシア大使館の文化アタッシェを経て筑波大学などで教えられていた。数すくない知日派で、著書「インドネシアの心」は、日本人がインドネシアを理解するための名著である、と高く評価されている。

今回の旅は僕にとって墓参の旅でもあった。ジョクジャカルタでは、英雄墓地に眠る牧野正一氏の墓を詣で、現地風に墓の上一面に華を撒き手を合わせた。牧野氏は戦後インドネシアに残った一人で、スラバヤの独立戦争に参加後、同地の海軍兵学校で、柔道と写真技術を教えられていた。講道館の柔道七段で、インドネシアでは"柔道の父"として知られ、イルサン元駐日大使も直接牧野氏から教えを受けている。

インドネシアの主要な都市には、国に貢献した人たちの英雄墓地がある。ジャカルタのカリバタ墓地は有名だが、このジョクジャカルタのような地方都市にもあって、戦後この国に残留し、独立戦争に参加した日本人が少なくとも数十人は埋葬されている。しかし、戦後66年たち、祖国日本から墓参しに訪れる遺族は年々少なくなっている。どの地の英雄墓地にどのような方が埋葬されているかは整理しておきたいものだ。