「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           ”喪中につき”の挨拶状

2011-11-29 07:01:01 | Weblog
10日間のインドネシア旅行から帰国したら、東京の街路樹の銀杏がすっかり黄ばみ始め、朝晩すっかり寒くなってきていた。あと数日で師走である。旅行の留守中に"喪中につき”の挨拶状が届いていたが、馬齢と共に毎年その数が増えてきている。中には親しかった友人が亡くなっており驚かされる。出来れば生前もう一度会いたかったのにと残念に思う。

Y君逝去の通知もそうだ。Y君は68年前、一緒に小学校を出た仲間だが、長い間同期会の幹事をしていた。学校時代ブラスバンドでクラリネットを吹いており、70歳をすぎてまで六本木でライブで演奏をしていた。明るい面倒見のよい男だったが、2年前倒れた。僕ら仲間は早速見舞いに行こうと思ったが、本人は強くこれを拒否した。男の美学なのか、やつれた姿を他人に見せたくなかったのであろう。葬儀もすでに終わっており、僕らはただ遠くからご逝去を悼み合掌することにした。

知人のN氏の場合は”喪中につき”の通知もない。11月亡くなったので時間的に間に合わなかったのかもしれない。生前、色々と会を主催し交際の広い人だった。数年前奥様が亡くなった時には、芝の増上寺で数百人の会葬客があった。ご本人の遺言なのか、あるいはご遺族の意向なのかわからないが、人生の一つのピリオドである。生前、つきあいの多かった人だけに関係者になんらかのお知らせは頂きたかった。

最近、近親者のみの葬儀が増えている。たしかに他人に迷惑をかけてはいけないという遺族の配慮は解からないでもない。しかし、葬儀は一生に何度もあるわけではない。香典とか、そのお返しとかなしに、葬儀ができないものだろうか。偲ぶ会という形式もあるが、やはり葬儀は一つの儀式であり、僕は反対である。