61年前の昔、学校を出てすぐお世話になり16年間勤務した新聞社のOB会に週末の金曜日参加した。夜の会合は出来るだけ遠慮しているのだが、数少なくなった昔の友人と会えるのが懐かしく顔を出すことにしている。昭和32年に建てられた建物は、すでに壊され、新しいビルが建っており、敷地だった一角には”プラザ”が設けられ、若い人たちがハロウインの催しなのかダンスを楽しんでいた。昔は、ビル群のこの辺りは夜間になると人通りなどなかったものだがー。時代の移り変わりを実感した。
OB会の司会者によると、ここ数年会社を辞めてもOB会に参加しない人が増えてきているという。一方会員の物故者が増加、昨年一年間で38人にも上っている。このため数年前までは1000人を越していた会員数が3ケタになった。このままでは会の運営にも影響があると嘆いていた。昭和30年代に急成長した会社なので、その当時入社した会員が多く、亡くなっていくのは解る。が、新しく退社した人たちがOB会参加を望まないのは何故なのか。東京だけでなく大阪本社も同じ傾向だという。
僕が現役当時、会社は”残酷物語”の会社と世間で言われていた。人つかいが荒く、給料が低いことで有名であった。1960年の第一次安保闘争の頃で、一部中間管理職の”斬首り”も行われた。確かに今なら労働基準法に触れると思うのだが、過勤料は一定の額で頭打ち。しかし、現場ではそれに倍する仕事量であった。朝刊の締切時間は午前2時過ぎで、重大ニュースが入ると明け方まで”追っかけ”版をとったものだ。
ハロウインの催しの広場のあたりには、深夜になると屋台のおでん屋が出た。僕らは最終版が刷り終わると、ここで、きつい安酒を煽り、それから二段ベッドの宿直室に出かけた。そのストレスで入院するものもいたが、会社を訴えるものはいなかった。こんな会社であっても当時は「終身雇用制」が曲がりなりにも確立されていた。時代が変わり「終身雇用制」が崩れてきたと聞く。企業のOB会の衰退は「終身雇用制」となにか相関関係があるのだろうかー。”愛社心”などないのだろう。
OB会の司会者によると、ここ数年会社を辞めてもOB会に参加しない人が増えてきているという。一方会員の物故者が増加、昨年一年間で38人にも上っている。このため数年前までは1000人を越していた会員数が3ケタになった。このままでは会の運営にも影響があると嘆いていた。昭和30年代に急成長した会社なので、その当時入社した会員が多く、亡くなっていくのは解る。が、新しく退社した人たちがOB会参加を望まないのは何故なのか。東京だけでなく大阪本社も同じ傾向だという。
僕が現役当時、会社は”残酷物語”の会社と世間で言われていた。人つかいが荒く、給料が低いことで有名であった。1960年の第一次安保闘争の頃で、一部中間管理職の”斬首り”も行われた。確かに今なら労働基準法に触れると思うのだが、過勤料は一定の額で頭打ち。しかし、現場ではそれに倍する仕事量であった。朝刊の締切時間は午前2時過ぎで、重大ニュースが入ると明け方まで”追っかけ”版をとったものだ。
ハロウインの催しの広場のあたりには、深夜になると屋台のおでん屋が出た。僕らは最終版が刷り終わると、ここで、きつい安酒を煽り、それから二段ベッドの宿直室に出かけた。そのストレスで入院するものもいたが、会社を訴えるものはいなかった。こんな会社であっても当時は「終身雇用制」が曲がりなりにも確立されていた。時代が変わり「終身雇用制」が崩れてきたと聞く。企業のOB会の衰退は「終身雇用制」となにか相関関係があるのだろうかー。”愛社心”などないのだろう。