すっかり”グルメ”から遠くなった老夫婦だが、先日品川の”荒神さま”のお祭りの後、目黒の大鳥神社のバス停近くのラーメン屋で遅い昼食を食べた。中国の広州出身の主人が息子と二人だけでやっている、10人も入れば一杯のカウンターだけの小さい店だったが、”食は広州にあり”というだけに味は抜群に美味かった。
僕は広州料理店とは知らずに、壁にあったメニューの一つ「フォー」を好奇心から注文した。「フォ―」の名前を聞いたことがなかったし、食べたこともなかった。出てきたものは日本のキシメン風の平たい麺で、材料は米粉だという。その時、主人は「フォ―」について詳しく説明しなかったが、名前から中国料理ではないみたいなので、帰宅してネットで調べてみたら、ベトナム料理では定番の麺であった。もっとも同じ平たい麺は、広州の河粉地区でも名物料理としてあるようだが。
キシメンといえば名古屋である。現役の頃、名古屋へ出張に行くと、いつも二日酔いの朝食にはキシメンを食べた。以来、キシメン好きになって週に一度はミニスーパーからキシメンの玉を買ってきて食べている。キシメンの食感が好きなのだ。半世紀ほど前滞在していたインドネシアでも”Kue Cang"というキシメンを使った料理があった。華僑なん千年の歴史の中で、麺は色々な形となって世界に分布されたのであろう。
それにしても、ベトナム料理の”フォー”が、場末のラーメン屋さんのメニューにまで登場してくる時代である。日本人の食も変わってきた。半世紀前には東京でも、今はやりのイタリア料理店もインド料理店も探さなければなく、キムチも韓国料理店でなければ食べられなかった。確実に食の国際化が進行している。
僕は広州料理店とは知らずに、壁にあったメニューの一つ「フォー」を好奇心から注文した。「フォ―」の名前を聞いたことがなかったし、食べたこともなかった。出てきたものは日本のキシメン風の平たい麺で、材料は米粉だという。その時、主人は「フォ―」について詳しく説明しなかったが、名前から中国料理ではないみたいなので、帰宅してネットで調べてみたら、ベトナム料理では定番の麺であった。もっとも同じ平たい麺は、広州の河粉地区でも名物料理としてあるようだが。
キシメンといえば名古屋である。現役の頃、名古屋へ出張に行くと、いつも二日酔いの朝食にはキシメンを食べた。以来、キシメン好きになって週に一度はミニスーパーからキシメンの玉を買ってきて食べている。キシメンの食感が好きなのだ。半世紀ほど前滞在していたインドネシアでも”Kue Cang"というキシメンを使った料理があった。華僑なん千年の歴史の中で、麺は色々な形となって世界に分布されたのであろう。
それにしても、ベトナム料理の”フォー”が、場末のラーメン屋さんのメニューにまで登場してくる時代である。日本人の食も変わってきた。半世紀前には東京でも、今はやりのイタリア料理店もインド料理店も探さなければなく、キムチも韓国料理店でなければ食べられなかった。確実に食の国際化が進行している。