昨夕、東京目黒のホテルで催された在日インドネシア大使館イクバル教育文化部長夫妻の送別会に招かれ出席した。イクバル部長は3年半の任期を終え、マカッサル(スラウェシ島)のハサヌデイン大学の教職に戻られる。送別会には東京在住の「ラグラグ」会(インドネシアの歌の合唱グループ)や竹楽器アンクルンの演奏仲間が、夫妻に別れを告げてスラウェシの曲を歌い演じたが、一曲だけ日本の歌「花は咲く」を日本語とインドネシア語で参加者全員で合唱した。
実は「花は咲く」のインドネシア語版はイクバル部長夫人、メタさんがラグラグ会の依頼で訳したものである。メタさんは夫君の日本への赴任前から慶応大学に留学、日本文化を研究しており、日本語にも精通しておられる。その最初の部分をちなみに紹介してみよう。
▽ 花は咲く
真っ白な雪道に春風馨る 私はなつかしいあの街を想い出す
叶えた夢もあった 変わりたい自分もいた
今はただ懐かしい あの人を想いだす
▽ kucium bau angin musium bunga diatas jalan salju pitoh
ku teringat kota kenangan itu
ku nerasa sabgat merindunya ku ingin mengejar mimpiku
ingin ku ubah diriku
hanya dia yang ku ingat hanya rindu yang ku rasa didada ini
日イの音楽交流は70年以上にわたる。戦争中NHKラジオの「小国民の時間」の冒頭にインドネシア民謡「Rasa sayang」と「Nona manis」が流れていたのを知る世代は少なくなったが、音楽交流は、こうして新らしい花が咲いて行く。
実は「花は咲く」のインドネシア語版はイクバル部長夫人、メタさんがラグラグ会の依頼で訳したものである。メタさんは夫君の日本への赴任前から慶応大学に留学、日本文化を研究しており、日本語にも精通しておられる。その最初の部分をちなみに紹介してみよう。
▽ 花は咲く
真っ白な雪道に春風馨る 私はなつかしいあの街を想い出す
叶えた夢もあった 変わりたい自分もいた
今はただ懐かしい あの人を想いだす
▽ kucium bau angin musium bunga diatas jalan salju pitoh
ku teringat kota kenangan itu
ku nerasa sabgat merindunya ku ingin mengejar mimpiku
ingin ku ubah diriku
hanya dia yang ku ingat hanya rindu yang ku rasa didada ini
日イの音楽交流は70年以上にわたる。戦争中NHKラジオの「小国民の時間」の冒頭にインドネシア民謡「Rasa sayang」と「Nona manis」が流れていたのを知る世代は少なくなったが、音楽交流は、こうして新らしい花が咲いて行く。