政府観光局の発表では今年10月までにわが国を訪れた外国人観光客は累計1631万人に達し、過去最高だという。これに伴って東京などではホテル不足から無届の民宿が現れ、これが結構人気で、都会の空家現象とあいまって、これをビジネスとする業者も出てきた。羽田空港に近い大田区では区条例を制定して区内での民宿を認可することになった。旅好きの僕には歓迎である。
古い話で恐縮だが、昭和37年11月、初めての外国旅行でロンドンに泊まった先が、いわゆるB&B(Bed and Breakfast)形式の民宿であった。ロンドンの中心街ケンジントン地区のヴィカレージ.ゲートにあったマンションであった。当時の為替レートはⅠ英国ポンド1000円ちょっとであったが、確か、この民宿料金は浴室は共同だったが2ポンドに満たなかった。それより、民宿のホステスの家庭的な応対が、半世紀すぎた今でも想い出される。
この30年ほどインドネシアへ出かける機会が多かったが、僕はいつも民宿にちかいロスメン(losmen)という安宿に泊まることにしている。wikipediaのインドネシア語版によると、losmenはフランス語のlogemen(宿舎)がオランダ語を経てなまったもので、インドネシアではオランダ植民地時代からあった。ホテルよりずっと格安で、何より家庭的な雰囲気がよい。初めてジャワの田舎町で泊ったロスメンは、冷房の代わりに天井に大きな扇風機が回っており、大きな蚊帳の中で寝た。ベッドの枕は、いわゆる”ダッチワイフ”という長い枕であった。
都会での民宿は、空きマンションなどが利用されているようだが、地方での日本人観光客用の「民宿」も宣伝によっては歓迎されるのでは。「民宿」には日本独特の”もてなし”の心がある。畳の上に布団を敷いての生活や日本的なお風呂も立派な観光資源である。民宿関係の方々、考えてみてはどうですか。
古い話で恐縮だが、昭和37年11月、初めての外国旅行でロンドンに泊まった先が、いわゆるB&B(Bed and Breakfast)形式の民宿であった。ロンドンの中心街ケンジントン地区のヴィカレージ.ゲートにあったマンションであった。当時の為替レートはⅠ英国ポンド1000円ちょっとであったが、確か、この民宿料金は浴室は共同だったが2ポンドに満たなかった。それより、民宿のホステスの家庭的な応対が、半世紀すぎた今でも想い出される。
この30年ほどインドネシアへ出かける機会が多かったが、僕はいつも民宿にちかいロスメン(losmen)という安宿に泊まることにしている。wikipediaのインドネシア語版によると、losmenはフランス語のlogemen(宿舎)がオランダ語を経てなまったもので、インドネシアではオランダ植民地時代からあった。ホテルよりずっと格安で、何より家庭的な雰囲気がよい。初めてジャワの田舎町で泊ったロスメンは、冷房の代わりに天井に大きな扇風機が回っており、大きな蚊帳の中で寝た。ベッドの枕は、いわゆる”ダッチワイフ”という長い枕であった。
都会での民宿は、空きマンションなどが利用されているようだが、地方での日本人観光客用の「民宿」も宣伝によっては歓迎されるのでは。「民宿」には日本独特の”もてなし”の心がある。畳の上に布団を敷いての生活や日本的なお風呂も立派な観光資源である。民宿関係の方々、考えてみてはどうですか。