先日高視聴率で放送を終えたNHKの朝のドラマ「エール」は戦中から戦後にかけての昭和の作曲家、古関祐而の一生を描いたたものだ。古関には戦中の軍歌として「露営の歌」「暁に祈る」はよく知られているが、南京陥落一番乘りした「脇坂部隊」があるのはあまり知られていない。
「脇坂部隊の歌」(中山正男作詩 古関祐而作曲)負いてひるまぬ敵勢に 弾薬つきて石を投げ 城門死守の夜は明けて 世紀の朝の日章旗 一番乗りの岸隊の誉れと共にはためきぬ
脇坂部隊と言っても知る日本人は少なくなったが、83年前の昭和12年(1937年)12月10日、大激戦の末南京城に一番乗りした歩兵36連隊(鯖江)の大隊である。 一番乗りは新聞に大きく報道された。亡父の日記には「南京落城 敵はわが投降勧告にも応ぜず午後1時半すぎ総攻撃を開始午後5時、脇坂部隊光華門に一番乗り」と克明に書いている。
南京陥落が正式に大本営から公表されたの13日、「脇坂部隊の歌」にもあるように”弾薬つきて石を投げあう白兵戦であった。戦後極東軍事裁判で中国側が主張するような大虐殺はありえない戦いであった。当時小学校1年生だった僕は14日、全国各地で催された戦勝祝賀旗行列に参加した。脇坂部隊の名誉のために一文した次第。