生まれて14年間子供時代を送っにとって忘れられないのは池田、花房、島津三山だ。”三山”という呼び方はなかったが絶好な遊び場であた。普段は目黒川に沿った家の近所で遊んでいたが、飽きると悪童こぞって"三山”へ遠征したものだ。特に学校の裏山に位置する池田山と花房山へは週に一回はでかけた。
池田山は旧岡山藩主、池田家の下屋敷があったところで、花房山は家臣だった花房子爵の所有地であった。いずれも山というより小高い丘であり、すでに昭和10年代には高級住宅地となってきていた。上皇后陛下、美智子さまの実家、正田家のお住まいもその一角にあり、僕らはモチ竿をもってセミやトンボを追いかけた。花房山は、省線(JR)山手線の五反田と目黒駅との間にあった。道路に添ったがけからは清水が流れていた。
島津山は都電(市電)の停留所を越えて御殿山方向へ行く繁華街「中通り」を抜けていった。「中通り」すぎて坂をぼると一角だけ鬱蒼と古木が茂っていた。徳川時代は伊達藩の下屋敷があったが、維新後島津藩の手にわたり藩主だった池田侯爵が敷地内に洋館建ての家を建てられたが、普段は住んでおられなかったのか、子供が自由に出入りできた。今、清泉女子大学のキャンパスのあるあたりだ。