「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

47都道府県「住んだ町」「訪れた町」2 「都立大学」 柿の木坂の家

2021-01-20 07:33:13 | 2012・1・1

昭和20年(145年)3月22日,生まれて14年間育った揺籃の地、五反田を離れ、現在も住む柿の木坂の家に引越していた。3月10日の下町大空襲の後,東京では駅前や軍需工場周辺の家屋は軍の命令で強制的に撤去された。わが家も近くに藤倉ゴム工場があり、有無を言わせず退去が命じられた。

五反田から柿の木坂までは5キロほどだが、馬車で引越しした。戦争の激化で運送用のトラックは軍に徴用され、東京の町には依然馬糞が散見された。しかし、当時の柿の木坂はまだ藁ぶき屋根の農家があり、田畑も残っていて馬車が似合う町だった。昭和32年、青木光一が歌ってヒットした「柿の木坂の家」は作詞家の石本美由起が郷里の広島県大竹を詩にしたものだが、当時、目黒の柿の木坂と思っていた人が多かったほどだ。

この「柿の木坂の家」のある都立大学の地に通算すると70年以上住んでいる。途中、転勤、転職で郡山、札幌に12年、外国駐在などで8年、留守にしているが、人生の半分以上はこの地にお世話になっている。住めば都、僕にとっては去りがたい地だ。