ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

金正日死去、北朝鮮の人たち、どうしてみんながあんなに泣くの???

2011年12月20日 | 社会

テレビニュース見たら、北朝鮮の人たち、どうしてあんなに声をはりあげて泣いているのでしょう。
これって「行事」なんでしょうか?
普通、これはないでしょう。ちょっと見ていて変です。
声を張り上げ、泣いている顔を隠さず、座り込んだりして泣く人もいて、その泣き声が広場にこだまするようです。

動画を貼りつけようかと思いましたが、気持ち悪くなってやめました。
泣いていないと逮捕でもされるの?
なぜあんなに声をあげて泣くの?・・・・・わからない・・・・・。
それに「将軍様」だなんて。 金正日ってどうして「将軍」なのでしょうか。
みんながみんな同じ方向を向かされている、それが北朝鮮では「安全」なのかしら?
身を護るために泣いているのではないかしら。

コメント (6)
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最高のヴェルディソプラノ、ステッラの歌う「アイーダ」~勝ちて帰れ

2011年12月20日 | オペラ
Antonietta Stella "Ritorna vincitor!" Nov. 24.1955
・・・・・写真はテノールのフランコ・コレッリ

日本のソプラノを聴いて、その楚々たる美しさに魅せられながら、イタリアから世界的な名歌手たちが来日、ステッラ、シミオナート、デル・モナコ、テバルディ・・・会場狭しととばかり響き渡る声、巨大なオーケストラを何とも思わないかのように、その声は分厚いオーケストラや合唱を突きぬけ、はじめてイタリアの名歌手を聴いた聴衆はその「声の饗宴」に度肝をぬかれた、という。
岩城宏之氏は日本側の練習指揮者として控えていたが、「これじゃ入場料が安すぎる」
「人生観がかわった」などと当時の衝撃を書いている。一声聴けば涙が溢れるほどの感動という人もいた。戦後間もない日本に、イタリアの誇る世界的な名歌手がどっと来日したのである。今ではこれほどのレベルの歌手は見当たらない。

戦後まもなくイタリアはオペラを復活させ、爆撃で壊れたオペラハウスを建て直し、「世紀の声」とも讃えられる偉大な名歌手たちを綺羅星のごとく並べ、ヴェルディのオペラを中心に上演した。
デル・モナコなど自転車でオペラハウスに通い、食事は茹で卵だけだった、などと言っていた。みんな貧しかったけれどこのころのオペラは、舞台の名歌手と聴衆がひとつになり、名歌手たちに絶賛を、または激しいブーイングで接し、「オペラの黄金時代」を築いた。

アントニエッタ・ステッラによるヴェルディ「アイーダ」より<勝ちて帰れ>、指揮は彼女の宿敵?ヴィットリオ・グイであった。
グイはイタリア最高のオペラ指揮者だったが、ステッラと激しく対立、この次の年に東京で「アイーダ」(当時はクラシックの劇場がなくて宝塚劇場を借りて上演)の練習中、意見の対立が激高、ついにステッラがグイにオペラの分厚いスコアを投げる、という場面に練習指揮者としてグイの見習いをしていた岩城宏之氏は震えあがったと書いていた。

このように真剣にぶつかりあい、演奏家が一歩も引かず、それぞれよりよい演奏を目指して真剣勝負だったことが伺える。
ステッラと指揮者グイはこの演奏でもかみ合っていない。
ケンカはその次の年、東京公演の「アイーダ」にもちこされたということ。
N女史からこの場面のお話を伺って、こんなこと今のオペラの世界ではありえない、と驚いた。指揮者は絶対である。

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マイウエイ・リンゴの歌・鈴懸の径~鮫島有美子のソプラノで

2011年12月20日 | 歌曲
マイウエイ 鮫島有美子


この曲は「カラオケ」で年配の上司が歌って、若い人たちを辟易させる、と聞きましたが、鮫島さんが歌うと大変清らかで美しいですね。 鮫島さんは1952年生まれ、長く歌ってきた鮫島さん歌への思いが感じられるように思います。
彼女の声はリリコの中でも軽めの声ですが、日本語の発音が自然で美しいこと、そして歌が品の良いことです。
また、イタリアオペラを歌う劇的な声とは違うよさがあります。


リンゴの唄 鮫島有美子

戦争が終わり、食べ物がない中で「リンゴの歌」が歌われました。
このころは食べ物が不足し、リンゴも行きわたらなかったそうで、それでも戦後復興の希望をリンゴに託して歌われたそうです。
この明るさは日本人の活力を感じます。


鈴懸の徑  鮫島有美子

昭和17年の戦時中の歌。とても美しい曲です。あの時代、こんな美しい曲があったのです。




12月19日のアクセス数 閲覧数:4,790PV

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