ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

史上最大の大虐殺、「東京大空襲」の日、その後、荷風とN女史

2016年03月10日 | 政治

「東京大空襲」の日です。そのことを書こうと思いながらyoutubeなどを見ていて怖ろしくなり、他の事も書きました。

この日のことは昔、お世話になった声楽家のN女史からくわしく伺っていました。
当時私はあまりにも若く考えも幼稚で(今もそうですが)世間知らず、ただ声楽の勉強でアドヴァイス頂き意気投合、
でもN女史が音楽以外にも多くのことをお話になり、十分に理解できていなかったことがたくさんあります。

当時のN女史は80歳を超えておられたのですが、戦前の名プリマドンナであり、「美貌と美声で一世を風靡した」と荷風が書いていたように長い巻き髪、濃いアイシャドー、刺繍のブラウスなど大変オシャレな美しい老婦人でした。


しかし、N女史夫妻は東京大空襲から逃れ、夫妻と共に疎開した荷風の勝手な振る舞いに対してこのような文を。
・・・N女史と略して転載しています。

戦後、岡山に疎開していた荷風が、苦楽を共にしたN女史夫妻を置き去りにして帰京したことについて、荷風が出発した昭和二十年八月三十日に、荷風のいとこである杵屋五里宛に、N女史は次の様な手紙を送っている。

「誠に恐れ入りますが次のことを永井先生におことづけ願えれば幸いです。
、人間誰でも他人のことは考えず自分の思ったま〜のことが出来たらこんな都合のい〜ことはないでしょう。
、三人一緒に東京を出て来たのだから三人一緒に東京へかえる可きもので、もしも一人で行動を取る様なことがあったらそれは道義にはずれる、人間のすべきことではないと常々おっしゃっていた先生が道義も何も無く、突然人間でない行いを実行されました。
、中野を出て今日迄の生活の過し方をよくお考えになって御自分のお心に恥ざることもなく、人間の情けと云うものが少しでも先生のお気持ちの中にあったら私に別にあやまる必要は毛頭ありません。潔癖と節操の強い先生と尊敬していたゞけに私達の裏切られた心の淋しさは一代の大家をみそこねていた気持ちの悲しさで一ばいです。」 杵屋五里は、荷風にこの手紙を見せた。(以下略)


youtubeで「東京大空襲」を見て、とてもUPできない凄まじさ、許せないことです。


コメント (2)
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ヴァーグナー(ワーグナー)私感、ドラマティック・ソプラノ「マルタ・メードル」、その他

2016年03月10日 | オペラ

★ 20世紀のヴァーグナー歌いの偉大なソプラノと言えば、多分ほとんどの音楽評論家は「神のようなフラグスタート」,「氷の情熱ビルギット・二ルソン」、北欧の二人のソプラノの名を挙げるだろう。
私もこのふたりのソプラノの伝記を買って読んだり、二ルソンの実演は「リハーサル」も含めて4回聴きに行った。

しかし疑問に思うのはドイツのソプラノはこのフラグスタートや二ルソンのような北欧のソプラノの影にかくれてしまったのか、本当にドイツの偉大なソプラノは(シュヴァルツコプフはもっと声が軽くてヴァーグナーには適さない)いないのか・・・

★ ヴァーグナー歌いとして生粋のドイツ人のホッホ・ドラマティッシェ・ソプラノとしてマルタ・メードルが第一に浮かびあがる。私はフルトヴェングラーが戦後ドイツ・アメリカにも職を得ず、イタリアのミラノスカラが手を差し伸べた録音を聴いた。ヴァーグナー「神々のたそがれ」でブリュンヒルデを歌っているのはフラグスタートではなく、マルタ・メードルだった。そしてその比類ない熱情的な歌唱に感動してしまった。

ヴァーグナーの歌曲「ヴェーゼンドンクの5つの詩」から<苦悩>のyoutubeを。生粋のドイツ人ソプラノ、ホッホ・ドラマティシェ(超ドラマティックソプラノ)マルタ・メードル

Martha M�・dl: Wagner Wesendonck Lieder, 'Schmerzen'


マルタ・メードルの声は強くドラマティックであり美しい。そしてその音色はふと少女のような純粋さも感じられる。


★ マルタ・メードルの「ナチ」統治のころの話。

「言っていいのかどうかわからないのですが、他の方々と同じようにヒトラーを信じていてすべてよくしてくれると思っていました。ヒトラーに花束も投げたことがあります。愚かでした」

またヴァーグナーの孫で演出家であるヴィ―ラント・ヴァーグナーは戦後、マルタ・メードルにヴァーグナーの作品を歌って「あなた以外に誰もいない」とまで崇拝の言葉を捧げている。

★ 私はヴィ―ラントのワーグナーの演出を見た。
もちろんそのころはヴィ―ラントは亡くなっていたが、その舞台はほとんど舞台装置がなく、まるで「能」を思わせるものだった。出演者が数歩歩いただけで、国を移動したことを理解するものだった。
この演出はヴァーグナーのオペラにピッタリだと思ったが、最近はそうした思い出を消すように前衛的な内容になっている、もう今のバイロイトの演出は結構だ、と思っていたが、最近ドイツ人の話を伺ってそのことの理由のひとつがわかった。

しかし、私がヴァーグナーを歌わなかった理由について述べようとすると、話の全部は聴かず「音楽と政治は関係ない!」と強い調子で話を遮る人がいてショックだった。
だからこの先はずっとお話できないままになってしまった。全身で私の話を否定するのだから。

私は10代後半から20代はじめにかけてヴァーグナーの音楽が好きだった。
しかしヴァーグナーにまつわるナチに利用されたことを知って、ドイツ語の辞書を捨ててまでヴァーグナーを歌うのを断念した。
それでもヴァーグナーの音楽は否定できなかった。たとえ「毒」であってもイゾルデの「毒杯」ではないがトリスタンのようにそれを飲み干したくなるような本能的・音楽的な衝動に襲われ続けた。

「たとえ悪い男とわかっていても魅かれていく哀れな女」のようにと、例え話をすると爆笑しながら理解する方が多いが。

私が思うに、今ではヴァーグナーの息子の英国人の嫁https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BCによって、誤解が大きくなったのかも知れないと思っている。
(ヒトラーと何かと親密だったという噂の女性で、戦後も堂々とヒトラーを擁護するほどの強さがある。)

ヴァーグナーは間違いなく「愛国者」であった。彼はオペラのリブレット(脚本)も書いている。

ただ、同時代のライヴァル、しかも同年生まれのヴェルディのような「明快さ」はない。
「陶酔し、奈落の底」に墜ちていくような悲劇を感じる。


しかし私は音楽的にヴァーグナーを拒否すればするほど、その音楽に魅かれて行った。
そして今はヴァーグナーへの疑問も解け、再び勉強し歌うことにしている。

「ローエングリン」「タンホイザー」「ニュルンベルグのマイスタージンガー」は大好きである。

「トリスタンとイゾルデ」「神々のたそがれ」「パルジファル」については驚嘆するが、その悲劇の渦巻に対して少し馴染めないものがある。しかしこれは人それぞれだろう。
三島由紀夫氏の文学にしても・・・。彼の映画「憂国」にヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」が使用されたというが私はあまり・・・。



★ ではマルタ・メードルが歌うヴァーグナー「トリスタンとイゾルデ」~愛の死
何と、指揮はカラヤンである。

Martha M�・dl "Mild und leise wie er l�・chelt" Tristan & Isolde

Martha Mödl sings "Mild und leise wie er lächelt"
from Tristan & Isolde by Richard Wagner (1813-1883)
Orchestra of the Bayreuth Festival
Herbert von Karajan, conductor
Bayreuth Festival 23.VI.1952

★ 日本では「ワーグナー」と英語風に表記が多いですが、これからドイツ語読みの「ヴァーグナー」に統一して表記します。

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