ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

歴史的名演、1813年生まれの二人の天才、ヴァーグナー対ヴェルディ

2016年03月28日 | オペラ

★ 1813年生まれの二人の天才作曲家、ヴァーグナーとヴェルディ。
二人が生まれた年はナポレオンがロシアに敗退した一年後であった。


ヴァーグナー 

WALKURE; Act 1 (part 2): Dich selige Frau h�・lt nun der Freund,


ローレンツ、素晴らしいヴァーグナー歌手、今は絶滅?といわれる正真正銘のヘルデン・テノーレである。1936年、あの時代、最高のヴァーグナー歌手、ヘルデンテナー(英雄的テナー)の威力ある声は、あの政権が愛し、ドイツはそのヒロイックな声に沸いた。しかし名歌手ローレンツの妻はユダヤ系であった。
ローレンツは妻をナチスに差し出すことを拒む。
名指揮者フルトヴェングラーの緩急自在で雄大なヴァーグナー作品の指揮もローレンツと同様、あの政権のもとで演奏、ドイツを熱狂させた。
しかし、フルトヴェングラーもまたオーケストラのユダヤ系楽員を秘かに国外に亡命させていた。戦後、このふたりの芸術家はドイツの音楽を愛し護るために汚名を着せられた。真実ががわかるのに時間が必要だった。

【追加】・「あの政権」とはナチスのこと。ローレンツのバイロイト出演について、このようなことがWIKIにあった。

戦前のナチスの庇護下のバイロイト音楽祭の象徴的な歌手であったが、1932年に結婚したCharlotte Appelが、ユダヤ人であったことから、度々ナチスから妨害を受けた。ヒトラー自身からも、当時のワーグナー家の当主であったヴィニフレート・ワーグナーに、ローレンツのバイロイト音楽祭への出演を見合わせるよう要請があったが、ヴィニフレートが「ローレンツ抜きでは、音楽祭が成立しない。」と拒否することで、以降も1944年まで出演することとなった。
(WIKI)




ヴェルディ

Cappuccilli & Ghiaurov - Simon Boccanegra -Suona Ogni Labbro


ヴェルディが生涯かけて作曲したオペラ、このオペラはヴェルディ晩年まで手をいれていた。
ジェノヴァの総督、シモン・ボッカネグラ、もちろん実在の人物である。
ジェノヴァの名門貴族に令嬢との結婚を願うがシモンが「海賊出身」ゆえに蔑まれ追い払われる。
後にシモンはやがて困難な時代のジェノヴァの総督になる。

ヴェルディはフランスの統治下のイタリアに生まれ、都市国家を「祖国統一」に向けてガリバルディ将軍を擁し、祖国愛に燃えてオペラを作曲した。
歴史上の実在人物で愛国者シモン・ボッカネグラを歌うのはヴェルディ歌手として最高のバリトン、カップッチッリ。ジェノヴァの名門貴族をニコライ・ギャウロフが歌い、その白熱の名演はそのあとを継ぐだけの歌手は出てきていない。
カップッチッリとギャウロフの名コンビはヴェルディの「アッティラ」「エルナーニ」「ドン・カルロ」などで世界を魅了した。


★ ヴァーグナーとヴェルディ、アルプスの北と南で同時代に壮麗なオペラを作曲した二人の天才。
私のピアノの上には今ヴァーグナーの楽譜がある。長い間しまっておいたライプツイヒのペーター版である。
やっとヴァーグナーの再勉強。

コメント
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