【25~30キロ】
25キロ地点で2時間11分45秒。5キロラップは26分22秒でよしよし。25.5キロ地点の神明町の折り返し。折り返して走る方角が変わり、雲から顔を出した太陽が眩しい。
26キロ地点を通過して、最初のアクシデント。25キロからの1キロラップを確認しようとしたら目を疑った。ストップオッチが動いていないのだ。何が起こったのかわからず動揺。走りながら冷静さを取り戻すと、どうも25キロ地点でラップのボタンとストップのボタンを押し間違えたらしい。これでトータルタイムが分からなくなってしまった。トホホ・・・
《神明町の折り返し。いよいよ後半》
太陽が顔を照らし、体温が上がってくる。これから後半だが、何かきつくなる予感がした。平坦で単調な道だが、足が重くなり始めて疲れを感じる。小出監督が言うように、「30キロ過ぎに一番速く走る」を実践しようと思ったけど、ちょっとは難しいかなと思い始めた。30キロ手前の浦和大学の坂が結構長くてキツイ。
コース試走の時に「きっと、こんなところは誰も応援が居ないだろう」と思った越谷の田園地帯にも、思いのほか多くの応援を頂いた。これはホントに有り難い。ウォ―ターステーションでは地元の中高生が水を渡してくれるのだが、「頑張ってください!」の一言で、水と一緒に元気も貰う。30キロはもう時計がずれているのでラップは良くわからないが、そんなにスピードが落ちた実感は無い(レース後の大会HPによると2時間38分、5キロラップは26分31秒)。
《天気が一気に変わり、気温もグングン上昇》
30キロ地点で第2のアクシデント。体温が上がってきたのが分かるので、給水所のたびに水を取って、顔にかけたり、脚にかけたりしてたのだが、なかなか下がらないので、頭から水をかけてみた。すると、今回初めてレースで着た長袖のランニングシャツがべたっと水を含んで、胸にベットリと吸い付き、心臓が冷える感じで不快感満点。ちょっと、これは参った。湿度が高いのか、走りながら乾く気配もなく「二度と着ないぞ、このど阿呆ウエア」となんの罪もないウエアに毒づく。
【30キロ~ゴール】
30キロ地点を過ぎて3つめの異変。急に足が動かなくなり始めた。32キロの陸橋の上り下りで左ももが軽く釣り始める。後半の足釣りは毎度のことだったが、今年2月の東京マラソンでは釣ることはなかったし、釣るのは大抵ラスト2キロなので、想定外の早期の足の不調に動揺した。あと10キロもあるというのに・・・ちょっと、早いだろう。大丈夫か?これまで快調にキロ5分20秒を上回るペースで走っていたのが、時計が無くともガクッとペースが落ちたのが分かる。
往路では気にならなかった小さなアップダウンが、大きな壁に見えてくる。周りには歩き始めているランナーが多数。サブ4ランナーたちがこうなのだから相当きついコースなのだろう。気温が上がっているせいか、側道に倒れて看護を受けている人がいる。「意識はあるか?」と駆け込む救急士さんの叫び声が聞こえてきたりして、自分勝手ながら、人の心配をするよりも、次は自分じゃないだろうなあ~という思いが頭をかすめる。35キロ地点でのタイムは、トータルタイムは既に不明だが、5キロラップはついに25分30秒を超え、28分57秒。キロ5分30秒を超えてしまった。このまま沈んでしまうのか?
35キロ35k地点を過ぎて駒場公園を右折し、道幅が狭くなり、ここでも細かいアップダウン。お尻(制限時間4時間)が区切られているので、釣った足のリハビリのために立ち止まってケアする暇はない。時折早歩きに変えては、体のバランスを取り直す。北浦和駅前の坂でやや持ち直した感があったが、旧中山道に入って再び痙攣が襲う。
痙攣したところをかばって走るためか、痙攣の場所が左腿、右腿、左ふくらはぎ、右ふくらはぎと次々と変わって行く。旧中山道に入り、周囲の応援は盛り上がるが、その声援に全く答えられないのがつらい。時計を見たら、また押し間違えていて、ラップタイムさえ分からなくなってしまった。ストップウォッチから時刻表示に変えて、制限時間でゲートが閉まる1時40分までのゴールを目指す逆算ランに切り替えた。
40キロ地点を通過。ラップはわからないが、時刻は1時22分。あと18分ある。あと2.4キロ。歩いては間に合わない。なんとか、走り・歩きで少しでも前に進むしかない。ぴくぴく痙攣している脚が、2年前のかすみがうらマラソンの後半1kのように、完全につってしまったらゲームオーバー。完走メダルも完走タオルももらえない。足をなだめ、すかしつつ、とにかく前に進む。数度、中度の釣りが足を襲う。普段なら立ち止まって、簡易マッサージをするところだが、その時間はない。這ってでも進む、少しでも足が動く間は前に出る、そんな気持ち。こんな終盤は予想してなかったが、予想通り「秒」を争うレースになってしまった。
最後のコーナーを廻って、200メートルほど先にゴールが見えてきた。普段なら、ここでカメラを向けるのだが、とてもそんな余裕はない。「あと、3分あるよ~。頑張って。」と沿道から声をかけてくれる人が居る。スピーカーを通じて、「頑張ってください。ゲートは1時40分までで~す」というような女性MCのアナウンスも聞こえてくる。公式時計が見えてきた。3時間57分50、51、52、53・・・・、ゴール!3時間58分7秒。
足を引きずりながら、完走メダルと完走タオルも頂いた。靴に括りつけた計測チップを地元の中学生が外してくれる。が、その間に足が完全に吊って、そのまま動けなくなった。痛さに顔が歪むが、ゴールまでにこれが起こらなくて本当に良かったと思った。
記録としては、今年2月の東京マラソンに次いでの自己セカンドベスト。ただ、消耗度はこれまでのどんなレースにも無いものだった。着替えを済ませ、ランナー仲間と近くの居酒屋で完走祝いをやったのだけど、ビールはジョッキ半分しか飲めないし、料理にも全く箸を付けられない(いつもは、レース後はかつ丼が食べたくなるのだが・・・)。仲間たちに気を遣わせてしまうことになってしまった。
いろいろ反省。
・反省1:やっぱり前半、周りにのまれてオーバーペースだった。タイムは溜めたけど、体力は消耗した。小出監督の本は全く実践できなかった。
・反省2:あんなに足をつったのは、これだけのコースに対応するには脚力がまだ足りないということだ。10月は自己最長の200キロ近く走ったけど、この程度ではだめと言うことなんかなあ~
・反省3:やっぱり制限時間4時間と言うのが体力的以上に精神的に大きくコンディションに影響を与えたのだと思う。タフにならねば。
逆に30キロ地点までは、あれだけのアップダウンでもキロ5分15秒ペースで走れたのは自信にはなる。いやあ、マラソンは奥が深いわ。1回たりとも同じ、展開、物語がないからね。
運営、応援は素晴らしい環境だった。オリンピック選考候補の選手たちと同じコースを走るというのもワクワクの体験。第1回大会に参加できたことを有り難く思い、運営された方々に感謝したい。
25キロ地点で2時間11分45秒。5キロラップは26分22秒でよしよし。25.5キロ地点の神明町の折り返し。折り返して走る方角が変わり、雲から顔を出した太陽が眩しい。
26キロ地点を通過して、最初のアクシデント。25キロからの1キロラップを確認しようとしたら目を疑った。ストップオッチが動いていないのだ。何が起こったのかわからず動揺。走りながら冷静さを取り戻すと、どうも25キロ地点でラップのボタンとストップのボタンを押し間違えたらしい。これでトータルタイムが分からなくなってしまった。トホホ・・・
《神明町の折り返し。いよいよ後半》
太陽が顔を照らし、体温が上がってくる。これから後半だが、何かきつくなる予感がした。平坦で単調な道だが、足が重くなり始めて疲れを感じる。小出監督が言うように、「30キロ過ぎに一番速く走る」を実践しようと思ったけど、ちょっとは難しいかなと思い始めた。30キロ手前の浦和大学の坂が結構長くてキツイ。
コース試走の時に「きっと、こんなところは誰も応援が居ないだろう」と思った越谷の田園地帯にも、思いのほか多くの応援を頂いた。これはホントに有り難い。ウォ―ターステーションでは地元の中高生が水を渡してくれるのだが、「頑張ってください!」の一言で、水と一緒に元気も貰う。30キロはもう時計がずれているのでラップは良くわからないが、そんなにスピードが落ちた実感は無い(レース後の大会HPによると2時間38分、5キロラップは26分31秒)。
《天気が一気に変わり、気温もグングン上昇》
30キロ地点で第2のアクシデント。体温が上がってきたのが分かるので、給水所のたびに水を取って、顔にかけたり、脚にかけたりしてたのだが、なかなか下がらないので、頭から水をかけてみた。すると、今回初めてレースで着た長袖のランニングシャツがべたっと水を含んで、胸にベットリと吸い付き、心臓が冷える感じで不快感満点。ちょっと、これは参った。湿度が高いのか、走りながら乾く気配もなく「二度と着ないぞ、このど阿呆ウエア」となんの罪もないウエアに毒づく。
【30キロ~ゴール】
30キロ地点を過ぎて3つめの異変。急に足が動かなくなり始めた。32キロの陸橋の上り下りで左ももが軽く釣り始める。後半の足釣りは毎度のことだったが、今年2月の東京マラソンでは釣ることはなかったし、釣るのは大抵ラスト2キロなので、想定外の早期の足の不調に動揺した。あと10キロもあるというのに・・・ちょっと、早いだろう。大丈夫か?これまで快調にキロ5分20秒を上回るペースで走っていたのが、時計が無くともガクッとペースが落ちたのが分かる。
往路では気にならなかった小さなアップダウンが、大きな壁に見えてくる。周りには歩き始めているランナーが多数。サブ4ランナーたちがこうなのだから相当きついコースなのだろう。気温が上がっているせいか、側道に倒れて看護を受けている人がいる。「意識はあるか?」と駆け込む救急士さんの叫び声が聞こえてきたりして、自分勝手ながら、人の心配をするよりも、次は自分じゃないだろうなあ~という思いが頭をかすめる。35キロ地点でのタイムは、トータルタイムは既に不明だが、5キロラップはついに25分30秒を超え、28分57秒。キロ5分30秒を超えてしまった。このまま沈んでしまうのか?
35キロ35k地点を過ぎて駒場公園を右折し、道幅が狭くなり、ここでも細かいアップダウン。お尻(制限時間4時間)が区切られているので、釣った足のリハビリのために立ち止まってケアする暇はない。時折早歩きに変えては、体のバランスを取り直す。北浦和駅前の坂でやや持ち直した感があったが、旧中山道に入って再び痙攣が襲う。
痙攣したところをかばって走るためか、痙攣の場所が左腿、右腿、左ふくらはぎ、右ふくらはぎと次々と変わって行く。旧中山道に入り、周囲の応援は盛り上がるが、その声援に全く答えられないのがつらい。時計を見たら、また押し間違えていて、ラップタイムさえ分からなくなってしまった。ストップウォッチから時刻表示に変えて、制限時間でゲートが閉まる1時40分までのゴールを目指す逆算ランに切り替えた。
40キロ地点を通過。ラップはわからないが、時刻は1時22分。あと18分ある。あと2.4キロ。歩いては間に合わない。なんとか、走り・歩きで少しでも前に進むしかない。ぴくぴく痙攣している脚が、2年前のかすみがうらマラソンの後半1kのように、完全につってしまったらゲームオーバー。完走メダルも完走タオルももらえない。足をなだめ、すかしつつ、とにかく前に進む。数度、中度の釣りが足を襲う。普段なら立ち止まって、簡易マッサージをするところだが、その時間はない。這ってでも進む、少しでも足が動く間は前に出る、そんな気持ち。こんな終盤は予想してなかったが、予想通り「秒」を争うレースになってしまった。
最後のコーナーを廻って、200メートルほど先にゴールが見えてきた。普段なら、ここでカメラを向けるのだが、とてもそんな余裕はない。「あと、3分あるよ~。頑張って。」と沿道から声をかけてくれる人が居る。スピーカーを通じて、「頑張ってください。ゲートは1時40分までで~す」というような女性MCのアナウンスも聞こえてくる。公式時計が見えてきた。3時間57分50、51、52、53・・・・、ゴール!3時間58分7秒。
足を引きずりながら、完走メダルと完走タオルも頂いた。靴に括りつけた計測チップを地元の中学生が外してくれる。が、その間に足が完全に吊って、そのまま動けなくなった。痛さに顔が歪むが、ゴールまでにこれが起こらなくて本当に良かったと思った。
記録としては、今年2月の東京マラソンに次いでの自己セカンドベスト。ただ、消耗度はこれまでのどんなレースにも無いものだった。着替えを済ませ、ランナー仲間と近くの居酒屋で完走祝いをやったのだけど、ビールはジョッキ半分しか飲めないし、料理にも全く箸を付けられない(いつもは、レース後はかつ丼が食べたくなるのだが・・・)。仲間たちに気を遣わせてしまうことになってしまった。
いろいろ反省。
・反省1:やっぱり前半、周りにのまれてオーバーペースだった。タイムは溜めたけど、体力は消耗した。小出監督の本は全く実践できなかった。
・反省2:あんなに足をつったのは、これだけのコースに対応するには脚力がまだ足りないということだ。10月は自己最長の200キロ近く走ったけど、この程度ではだめと言うことなんかなあ~
・反省3:やっぱり制限時間4時間と言うのが体力的以上に精神的に大きくコンディションに影響を与えたのだと思う。タフにならねば。
逆に30キロ地点までは、あれだけのアップダウンでもキロ5分15秒ペースで走れたのは自信にはなる。いやあ、マラソンは奥が深いわ。1回たりとも同じ、展開、物語がないからね。
運営、応援は素晴らしい環境だった。オリンピック選考候補の選手たちと同じコースを走るというのもワクワクの体験。第1回大会に参加できたことを有り難く思い、運営された方々に感謝したい。