その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

野村克也 『監督の器』 イースト・プレス 2013

2015-11-27 00:00:11 | 


 先日、本ブログの運営サイトGooで「自分の人生に影響を与えた本は?」というお題でのブログを募集していた。Gooブロガー多しと言えども、その一冊に野村克也氏(ノムさん)の著作を上げるのはきっと私ぐらいだろう。

 それは『敵は我にあり』という氏の解説者時代の書籍だ(1980年初版。1982年に続編も出版。新装版が2008年に出版されている)。当時、高校球児の端くれだった私は、この本を読んで月並みだが天と地が引っくり返えったような衝撃を受けた。「野球って、こんなスポーツだったんだ」と。そこには、投げて、打って、捕って、走るを超えた、野球の考え方、戦術が書かれていた。それ以来、私の野球、スポーツ全般を見る目、楽しみ方は全く変わった。

 本書はそのノムさんの監督論である。10代、20代の時、ノムさんの著作は初期のものを中心に優に10冊以上は読んできたが、久しくご無沙汰だったので、久しぶりに手に取ってみた。

 一言で感想を言うと、「ノムさんも年を取ったなあ~」。もともとテスト生から這い上がった自負とコンプレックスから来る辛口な皮肉は、氏の魅力の一つなのだが、歳を取って更にエスカレートしている。私が愛読した頃はまだヤクルト監督就任前でもあったから、その後、名実ともに監督としての実績や加齢も加わり、高い立場からの「昔は良かった。今の時代、今の若い者は・・・」的な思考が散見される。私自身の「昔」の記憶と印象では、昔のノムさんは自分自身がまだ野心や向上心があって、まだまだ野球を極めたい、それを伝えたいという熱意が感じられて「良かった」。その頃を知り、尊敬していた私としては寂しい限りだ。

 プロ野球好きの人には、選手や監督のいろんなエピソードやノムさん流の選手・監督評価を知ることができるので面白くは読める。が、残念ではあるが、仮に今、私が高校生に戻って、本書を読んでも「人生に影響を与えた本」にはなることはないだろう。


【目次】
プロフェッショナルとは恥の意識″だ。
第一章 名将は不要か
第二章 組織はリーダーの器以上に絶対、伸びない
第三章 中心なき組織は機能しない
第四章 知略と知略の心理戦
第五章 捕手革命
第六章 監督は「気づかせ屋」である
コメント
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