『赤めだか』の余韻に浸っていたところだったのに、次の一冊の選択を誤った。一気に醒めた。
長野県佐久市の丸子実業高校バレーボール部員の自殺を巡って、学校側と自殺した生徒の母親側との衝突、裁判の一部始終をレポートしたノン・フィクション。当該生徒の母親が、いじめがあったとしてバレーボール部関係者や校長らを相手取り、刑事告訴及び民事裁判を起こす一方、バレーボール部側も母親を相手に裁判を起こして訴訟合戦となるという異例の事件となった。結果は、概ね母親側の敗訴となるのだが、詳細は本書を読んで頂きたい。
被害者である自殺した高校生を思うと胸が詰まる。あまりにも不幸な家庭環境に育ち、不運な一生となってしまった。ご冥福を祈るほかない。
タイトルにある「モンスター・マザー」と聞くと、一般的なクレーマー的な母親をイメージするが、本件の母親はそんなレベルをはるかに超えている。完全な人格障害であり病気としか思えない。生徒たちはもちろんのことだが、こんな人間を相手にせざる負えなかった学校関係者、児童相談所等、運が悪かったというしかない気がする。そのストレスや想像するに余りあるが、屈することなく戦った勇気と行動を讃えたい。
一方で、本書を読んで腹ただしかったのは、職業的な検証作業を不十分なまま母親を支援した「人権派弁護士」高見澤昭治弁護士や一面的な見方で学校側を糾弾する記事を掲載した鎌田慧氏である。高見澤弁護士は、校長の名誉と社会的信用を棄損したとして、2012年に東京弁護士会により懲戒処分を受けている。が、判決で言い渡された新聞への謝罪文掲載を、「良心に反する」という理由で、今だ履行していないという。判決に従わない弁護士って何なのだろうか。
鎌田氏の記事やその後の対応にも大いに失望させられる。学生時代、「自動車絶望工場」など彼のルポルタージュを愛読しただけに、本件のついての一方的な記事(Web検索でいくらでも「週刊金曜日」の彼が執筆した記事が出てくるので読める)は呆れるほかない。十分な取材に基づいた記事というなら彼のバランス感覚を疑うし、十分な取材もせずに書いたのなら職業的技能を疑う。もちろん人間だから誤り、失敗はあるだろう。だが、著者が本件についてコメントを鎌田氏に求めたところ、全くのノーコメントだそうである。結局、自分の都合の悪いことは無視するレベルの人なのかもしれない。裏切られた気持ちで一杯だ。今後、彼の書き物を信用する事は無いだろう。自らの誤りを認められない人間に、社会や他者の不正を書く資格は無いと考えるからだ。
著者が書くように、この手の事件は発生した時は大々的に報道されるが、一旦熱が冷めると、取り上げらる量も質も下がる。丹念に事件を追い続け、こうした一冊の本という形でまとめてレポートしてくれた著者の報道魂に敬意を表したい。極力感情を抑制した冷静な記述は、悪戯に情感に訴える鎌田氏の記事とのギャップが対照的。
最後に、本書は、私のような一介の読者としてマスコミ情報に触れる立場の者にも警鐘を鳴らしているように読める。とかく、この手の事件が起こると、我々はマスコミの作ったストーリーや図式に乗り、何が起こっているかも理解しないまま「また、学校が隠ぺいしているんだろ」ぐらいに思ってしまうことが多い。注意せねばならない。
読んだタイミングは個人的に最悪だったが、書籍としては極めて優れものの一冊である。
≪目次≫
はじめに
第1章 家出
第2章 不登校
第3章 悲報
第4章 最後通牒
第5章 対決
第6章 反撃
第7章 悪魔の証明
第8章 判決
第9章 懲戒
終章 加害者は誰だったのか
事件の経過
長野県佐久市の丸子実業高校バレーボール部員の自殺を巡って、学校側と自殺した生徒の母親側との衝突、裁判の一部始終をレポートしたノン・フィクション。当該生徒の母親が、いじめがあったとしてバレーボール部関係者や校長らを相手取り、刑事告訴及び民事裁判を起こす一方、バレーボール部側も母親を相手に裁判を起こして訴訟合戦となるという異例の事件となった。結果は、概ね母親側の敗訴となるのだが、詳細は本書を読んで頂きたい。
被害者である自殺した高校生を思うと胸が詰まる。あまりにも不幸な家庭環境に育ち、不運な一生となってしまった。ご冥福を祈るほかない。
タイトルにある「モンスター・マザー」と聞くと、一般的なクレーマー的な母親をイメージするが、本件の母親はそんなレベルをはるかに超えている。完全な人格障害であり病気としか思えない。生徒たちはもちろんのことだが、こんな人間を相手にせざる負えなかった学校関係者、児童相談所等、運が悪かったというしかない気がする。そのストレスや想像するに余りあるが、屈することなく戦った勇気と行動を讃えたい。
一方で、本書を読んで腹ただしかったのは、職業的な検証作業を不十分なまま母親を支援した「人権派弁護士」高見澤昭治弁護士や一面的な見方で学校側を糾弾する記事を掲載した鎌田慧氏である。高見澤弁護士は、校長の名誉と社会的信用を棄損したとして、2012年に東京弁護士会により懲戒処分を受けている。が、判決で言い渡された新聞への謝罪文掲載を、「良心に反する」という理由で、今だ履行していないという。判決に従わない弁護士って何なのだろうか。
鎌田氏の記事やその後の対応にも大いに失望させられる。学生時代、「自動車絶望工場」など彼のルポルタージュを愛読しただけに、本件のついての一方的な記事(Web検索でいくらでも「週刊金曜日」の彼が執筆した記事が出てくるので読める)は呆れるほかない。十分な取材に基づいた記事というなら彼のバランス感覚を疑うし、十分な取材もせずに書いたのなら職業的技能を疑う。もちろん人間だから誤り、失敗はあるだろう。だが、著者が本件についてコメントを鎌田氏に求めたところ、全くのノーコメントだそうである。結局、自分の都合の悪いことは無視するレベルの人なのかもしれない。裏切られた気持ちで一杯だ。今後、彼の書き物を信用する事は無いだろう。自らの誤りを認められない人間に、社会や他者の不正を書く資格は無いと考えるからだ。
著者が書くように、この手の事件は発生した時は大々的に報道されるが、一旦熱が冷めると、取り上げらる量も質も下がる。丹念に事件を追い続け、こうした一冊の本という形でまとめてレポートしてくれた著者の報道魂に敬意を表したい。極力感情を抑制した冷静な記述は、悪戯に情感に訴える鎌田氏の記事とのギャップが対照的。
最後に、本書は、私のような一介の読者としてマスコミ情報に触れる立場の者にも警鐘を鳴らしているように読める。とかく、この手の事件が起こると、我々はマスコミの作ったストーリーや図式に乗り、何が起こっているかも理解しないまま「また、学校が隠ぺいしているんだろ」ぐらいに思ってしまうことが多い。注意せねばならない。
読んだタイミングは個人的に最悪だったが、書籍としては極めて優れものの一冊である。
≪目次≫
はじめに
第1章 家出
第2章 不登校
第3章 悲報
第4章 最後通牒
第5章 対決
第6章 反撃
第7章 悪魔の証明
第8章 判決
第9章 懲戒
終章 加害者は誰だったのか
事件の経過