★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

スマホで記録

2019年08月08日 13時13分17秒 | 徒然(つれづれ)
 最近朝のマクドで70年代の月刊宝島を読む機会が多いのは既報のとおり。
 そしてその読書のスピードがすこぶる遅いのだ。
 歳をとって読解能力が落ちたわけではもちろんない。

 ついつい記事や文章に引き込まれ、当時の世相や流行、自身の想い出が脳裏に甦ってくるからだ。
 そんな思いが浮かぶと、それに関連したあれやこれやの記憶が次々に連想される。
 また、懐かしい人物名やバンド名、イベント名などが出てくると、スマホで検索して、当時の記憶やその後の消息を確かめたりするので、おのずと読書スピードが落ちるのだ。

 そうやってその場で確認したことは、宝島を閉じ、ウォーキングを終えて自宅に戻ると、きれいさっぱり忘れてしまっている。

 それはウォーキング中の妄想や発想についてもいえることだ。
 革新的と思える考えも、自宅に戻る頃には忘却の彼方だ。

 これからはスマホのメモ機能を活用して、面白い考えが浮かんだら、歩を止めて記録するようにしよう。
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未知との遭遇

2019年08月08日 12時27分52秒 | 徒然(つれづれ)
 気分転換にウォーキングコースの出発方向をちょっとだけ変えてみた。
 いつもは自宅を出て左へ行くところを右へ行ってみた。

 すぐ左手に娘が通った小学校がある。
 娘が幼稚園に通う前までは、休日にブランコやジャングルジムをしに連れて行ったものだ。
 当時は今と違い世の中も平和で、休日の校庭は出入り自由だった。

 少し行くとこれも娘と行ったショボい公園がある。
 昔から出不精の私が娘にせがまれて外出した時の限界距離だ。

 そこから先は未知の領域だったが、坂を上った先に広々とした本格的な公園があるのには驚いた。
 遊具はもちろん、公衆トイレもあり、極めつけはデカイ石を配した人工山水が広がっていたことだ。
 ショボい公園から200mほど、自宅からでも400mほどの距離だが、昔はそこまで歩いたことがなく、当然その存在も知らなかった。

 ウォーキングをするようになってから、あえて通勤路以外の道を通ってみたりすると、自宅の近くにさえ新しい発見があるものだ。
 道は未知にも通じているわけだ。
 もちろん、それにかこつけて人生の回り道を勧めているつもりはないし、一度きりの人生に回り道も近道もない。
 
 
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