ひと昔前は贅沢は敵だと教えられていた。
今でもそんな考えの人間は数多いる。
贅沢イコール必要な程度を超えて金銭や物を使うこと、という概念からだ。
有り余るほどの金があれば、豪勢に使えばいいだけの話だ。
誰にも迷惑はかからない。
要は持たざる者の僻みに過ぎない。
私も持たざる者の一員だが、僻みとまではいかないが、羨ましいとは思う。
その立場になれば、迷わず贅沢するだろう。
そんな私だが、定年退職して、金はないが、時間は有り余るほどある。
することはいろいろあるが、それをやらない、あるいはやる気がしない。
日がな一日、書斎にこもり、漫然と過ごしているだけだ。
傍から見れば、それを時間の浪費というのだろう。
私にとってはそれが、金持ちにも貧乏人にもできないであろう、あるいはやらないであろう、この上ない贅沢だ。
そう、時間の浪費こそ、金では買えない至上の贅沢なのだ。
今でもそんな考えの人間は数多いる。
贅沢イコール必要な程度を超えて金銭や物を使うこと、という概念からだ。
有り余るほどの金があれば、豪勢に使えばいいだけの話だ。
誰にも迷惑はかからない。
要は持たざる者の僻みに過ぎない。
私も持たざる者の一員だが、僻みとまではいかないが、羨ましいとは思う。
その立場になれば、迷わず贅沢するだろう。
そんな私だが、定年退職して、金はないが、時間は有り余るほどある。
することはいろいろあるが、それをやらない、あるいはやる気がしない。
日がな一日、書斎にこもり、漫然と過ごしているだけだ。
傍から見れば、それを時間の浪費というのだろう。
私にとってはそれが、金持ちにも貧乏人にもできないであろう、あるいはやらないであろう、この上ない贅沢だ。
そう、時間の浪費こそ、金では買えない至上の贅沢なのだ。