引きこもり生活をしていると、いろいろと考える時間は豊富にある。
その考えはほとんど取るに足りない考えで、当ブログのタイトル通り些事がほとんどだ。
もっと真剣に人生について考えるべきだと、読者諸兄に諭されそうだ。
いずれにしても人間は考える葦で、その考えが高尚であろうが、そうでなかろうが、それが自分の考えなのだから仕方がない。
客観的な私は、もうすぐ66歳、孫もいる高齢者だ。
幼子だと思っていたひとり娘も今や37歳のオバちゃんだ。
私も傍から見れば外見は年齢相応の老人然としているのだろうか。
体力的にも、気力的にも年齢相応と自覚はしている。
しかしファッションや髪型、趣味嗜好は30代前半の頃とさほど変わらない。
変わったのは懐古的になったことくらいか。
歳を取れば懐古的になると否定的な意味で言われるが、懐古の感情は年齢にかかわらずあるものだ。
大学時代でも10年前のことは懐かしく感じられたものだ。
あの頃はよかった、と思うことは悪いことではない。
あの頃に戻りたい、と思うことがダメなのだ。
なぜかというと、不可能だからだ。
不可能なことをあれこれ思い悩むことは時間の無駄だ。
話を戻すが、30代前半といえば、人生のバイタル曲線がピークの年代だ。
その曲線が下降に転じてから長い年数がたった今でも、思考形態はあの頃のままで停止している。
思考の中での主語は「私」ではなく未だに「僕」だ。
年齢的に将来や未来がないのは明らかだが、思考の中ではまだそれがあるように錯覚している。
それを進歩していないというべきか。
この感覚は死を意識する直前まで続くのだろうか。
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