虹色仮面 通信

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「厳しい」の本質、分かってる?

2021-08-30 06:36:30 | スポーツ
南日本新聞より。

鹿児島南高校(鹿児島市)の女子バレーボール部顧問による部員への体罰が明らかになった。
県内では2018年、別の高校バレーボール部での体罰を巡る訴訟で、県教委が再発防止策を講じることで和解した。
「いかなる体罰も許されない」と言われながら、部活動の現場ではなぜ根絶できないのか。
そこには、指導者だけでなく、勝利へ向けた「厳しい指導」を要求するあまり、体罰を“黙認”してきた保護者の意識も見え隠れする。

今回、体罰が発覚した鹿南高は、7月の全国高校総体で8強入りした強豪校。
学校側の説明によると、校内の職員からの体罰に関する情報が発端だ。
具体的日時や内容は示されていなかったが、学校は顧問に聴取。
さらに、全部員32人への書面アンケートと合わせて事実関係を認定した。

■劇薬

なぜ体罰が許される土壌が残るのか。
ある高校の指導者は「保護者による、過度な部活への介入」を挙げる。

「練習時間を短くしたり、厳しい言葉を発しなかったりすると、保護者から『あの先生はやる気がない』というレッテルを貼られる」と明かす。「もっと厳しい指導を」と要求され、「保護者が学校OBを連れてきて指導に入った例もあったと聞く」と話した。

「体罰は劇薬」とも口にする。
同じ目的へ向かう集団をつくるのに、手を上げるのが「手っ取り早い」。
強豪校ではその傾向が強まり「勝つために体罰は必要なもの」との意識が、選手や保護者に広がりやすいという。

暴力や暴言を受けた選手は、好成績を得ることでそれが“成功体験”となり、指導する立場になった時に同じことを繰り返す。
この指導者は「負の連鎖を断ち切らないとスポーツ界は永遠に変わらない」と強調する。

■親心

保護者はどう感じているのか。
ある強豪校へ子どもを通わせる父親は「暴力は絶対に駄目だと分かっている」と前置きした上で、「勝ちを積み重ね、目指す頂点の端っこが見えてくると『勝たせたい』という親としての欲求が湧いてくる。
もっと厳しい指導を望み、その延長線上にある体罰を黙認し、一歩間違うと体罰を暗に求めてしまう」と語った。

今夏、全国高校総体の取材を通じ、多くの指導者が「試合の局面ごとに、選手自身が考えて動く必要性を感じた」と話した。
ならば、そういった選手をどう育てていくか。指導者と保護者に突きつけられた課題は重い。<了>

私に言わせると「厳しさ」の本質を勘違いしているように思える。
「優しさ」と「厳しさ」は表裏一体。
適宜使い分けする必要がありますし、対象者によっても変わってきます。
少なくても、大人である指導者の「感情」に左右されて行動しては話になりません。
言い方を変えると、鍛錬が足りないのです。

暴言や暴力を「是」とするならば、それは(単純な話として)指導者の指導力不足であり、指導には不適格だと思います。
まさか、現代で「是」とする認識の人はいないと思いますけどね。
ただ、時と場合によっては「必要悪」的に使う必要があるのも事実です。
そこは使い手のセンスと気遣いが問われます。

また保護者の側も、必要以上の介入すべきではない。
何かと介入してくる方もいますが、だったら「ご自身で指導なさってください!」と私なら言い放ちます。
出来ないから、やってもらっているわけでしょ?
とくに我々のような民間事業者は、対価と引き換えに指導をしているのですから、余計ですよね。
※学校や少年団などの指導者は、半ばボランティアな方も居られるので…。
少なくても保護者への教育や啓蒙の役割も(指導者には)あると思います。

そこ(+その指導者)に任せると決めたのなら、基本線として任せるべきであり、そこに対する信頼がなくなったら然るべき話し合いや協議をし、それでも埒が明かないのなら退部するなどの措置を取るしかないと思っています。

学校の「部活」は、あくまでも教育の一環。
教育において、暴力や暴言は「NG」なはずです。
ましてや現代社会では(社会通念上に於いても)禁じられていることなのです。
そこらの指針(=ビジョン)を示す(→結果のみならず人間教育の観点からも…)必要はあるように思いますね。

我々、民間業者(指導者)からすれば、こういう話題が出たら出るほど(今まで以上に)浮上できるチャンスにはなるんですけどねぇ。