虹色仮面 通信

神出鬼没なオッサンが毎日感じたことを取り留めなく書き連ねます

かつては…

2015-09-19 07:05:06 | 旅行
都営大江戸線の上を歩き、六本木方面へ。

途中、麻布十番に寄り道します。

麻布十番は、初めての訪問。
テレビや雑誌などで紹介されていることが多い地域です。

この麻布十番はかつては山手線内でありながら、鉄道空白地帯であり「陸の孤島」といわれていました。
ところが、2000年に当時の営団南北線、及び都営大江戸線が開業し、鉄道空白地帯ではなくなりました。
これにより、この辺りも交通が便利になり、下町情緒溢れる商店街と高層住宅街が共存する場所へ変わってきた歴史があります。

実際に歩いてみると、都心であるにも関わらず、かなり老舗の多い街です。
近代的な街として発展してきた(近隣の)六本木や赤坂などに比べると、どこか取り残された、或いは隠れ家的に大事にされてきたところがあるようです。

約1時間、麻布十番商店街を中心に、歩いて時間を過ごしました。
半日くらい時間を割いて、歩いてみたら、いろんな発見がありそうな気がします。

ここも次回、時間を取って来たいなぁ。

後ろ髪を引かれる思いで、六本木へ。
やがて六本木けやき坂通り、テレビ朝日本社が見えてきます。

写真:麻布十番の「きみちゃん像」

危険なのです

2015-09-18 05:53:23 | スポーツ
ちょっと東京の話題から寄り道します。

少し前のことですが、ヨーロッパでラリーの事故がありました。

9月7日のオートスポーツwebの記事より。

<ラ・コルーニャラリーのクラッシュで6人亡くなる>
スペインの北西部に位置するガリシア州ラ・コルーニャで行われたラ・コルーニャ・ラリーで5日、クラッシュに巻き込まれ6人の観客が亡くなり10人以上が怪我をするアクシデントがあった。
プジョー206をドライブしていたセルジオ・タベアージョ・サンデは、左に曲がる高速コーナーでコントロールを失い、アウト側に居た観衆に飛び込んでしまった。
この事故で6人の観客が亡くなり、10人以上が負傷しラコルーニャの病院に搬送されたと報告されている。
ラコルーニャ・ラリーはこの事故で中止されている。
スペインの首相を務めるマリアーノ・ラホイ・ブレイは「亡くなった人々に心から哀悼の意を表すと共に、怪我をされた方の迅速で完全な回復を願っている」と声明を発表している。<了>

ラリーを現地で観戦するようになってしばらく経ちますが、基本的にモータースポーツの観戦は危険なものです。
日本の場合、あらかじめ危険の可能性を少なくするため、コースから離れた場所にギャラリーエリアを設定します。
ファンとしては自己責任でいいので、もっと近くで観戦したいのですが…

かつてメディアクルーとして、ラリーの取材に携わったことが何度かありますが、その際には「誓約書」に署名・捺印が求められます。
一般の観戦者とは異なり、クローズされたコースの脇での取材になりますので「何かがあった時の保証は自らでお願いしますよ!」というもの。
実際、コース脇で取材していて、ラリーカーがまき散らした砂利をモロに被ったことは何度となく経験しています。
おそらく、走行中の競技車両から1m弱の距離だったはずです。
親しくしているラリードライバーにも「○○にいたでしょ」といわれるくらい至近距離ということです。
また取材申請の許可が出たメディアに発行されるメディアパス(裏面)にも「モータースポーツは危険です!」と英語で大きく記されています。

やはりラリーは、危険なものだと認識して観戦するべきなのです。
今夜から十勝では国内最大級のラリー(ラリー北海道)が開催されます。

観戦される皆さんは、くれぐれも細心の注意を払って、楽しいラリー観戦にしてください!

ps、今回は期間中に仕事が入り、2年連続で行けないことに…。とても残念です。


読めますか?

2015-09-16 09:54:58 | 旅行
六本木交差点へ。
ここへ来るのも数年ぶり。

交差点にあるアマンドの建物が建て直されていました。
かつての雰囲気とは少し違っていました。
正直なところ、かつての雰囲気が良かったかなぁ。

外苑東通りを飯倉方面へ。
東京タワーが眼前に見えてきます。

昔から著名人が集うことで知られる「キャンティ」の前、その後飯倉片町交差点も通過。

麻布郵便局前へ。
この郵便局の建物は1930年に竣工した旧逓信省貯金局庁舎で、風格のある建物です。

信号を渡ると「狸穴坂」という表示が。
「狸穴坂」って読めますか?

この「狸穴坂」を下り、東麻布の方へ向かいます。
古風な木造住居があったり、瀟洒な高級マンションがあったり、独特な雰囲気を持ったエリアです。

このあたりのアップダウンはかなりのもの。
今回は下っていきましたが、上りなら嫌になってしまうかも。
段差好きのタモリには、ヨダレモノの場所かもしれませんね。

「狸穴坂」のWikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%B8%E7%A9%B4%E5%9D%82

金髪美女

2015-09-15 09:21:53 | 旅行
檜町公園から隣の東京ミッドタウンへ。

ここへ来るのは初めてです。
場所柄、外国人がとても多い場所です。

いろんな(魅力的な)お店が入っている建物をぐるぐる回り、スターバックスでカフェしました。
その時に撮影したのが、掲載の写真。
金髪の美女が立ちながら電話しています。
モデルのような出で立ちに見惚れてしまいました。

バックに映る光景と金髪の美女。
一瞬NYにいるかような錯覚に陥ります。

写真の右端にチラリと映っている若いカップル(高校生)が、微笑みらしかったのが印象に残っています。
夏休みの最終盤に、一緒に宿題を片付けているようでした。
でも、お互いに見つめあいながら語っている時間が多く感じましたが、その方が自然でしょうね。

この場所はplazaとかsquareとか言うらしいのですが、妙に居心地がいいところでした。
今度東京に来る際にも行こうと思っているほどです。

この後、約3時間のフリータイムがあり、雨も上がっている(曇天な)ので、この界隈を歩くことに。
まずは六本木交差点方面へ向かいます。

檜町公園

2015-09-14 09:17:17 | 旅行
今日から先月行ってきた東京の話題を小刻みに…

まず写真の場所は、東京都港区赤坂にある檜町公園です。
六本木の東京ミッドタウンに隣接する公園です。

かつてこの場所は江戸時代は長州藩・松平大膳大夫(毛利家)の下屋敷があったところで庭園は「清水園」と呼ばれ、江戸にある大名屋敷の中でも名園のひとつとして知られていました。
また周りに檜の木が多かったことから毛利家の屋敷は「檜屋敷」とも呼ばれ、後の「檜町」という地名の由来にもなっています。

明治時代になり毛利家の屋敷一帯は国の管轄に移り、第1師団歩兵第1連隊の駐屯地となります。
太平洋戦争後の一時期に米軍の接収を受け、その後敷地の大部分に防衛庁が設置されます。
残りの部分が檜町公園として整備され、1963年に都立公園として開園。1968年に港区に管轄が移されます。

この公園は池を中心に遊具などが整った公園でしたが、2000年に隣接する防衛庁(現:防衛省)が市谷に転出し、その跡地に2007年に東京ミッドタウンが開発されたのを受け、当公園も再整備され景観が大きく変わりました。
隣のミッドタウン・ガーデン(東京ミッドタウンに付属している芝生広場)との調和が取れた開放的な造りとなりました。

余談ですが、今から6年ほど前に、SMAPのT.Kさんが泥酔状態(全裸)で深夜に大騒ぎし、近隣の住民から通報を受け、逮捕されたのもこの公園です。

かつて大名屋敷だった場所は、東京都内にはたくさんあります。
各国の大使館になっている場所も、かつて大名屋敷だったところが多く、中には立派な日本庭園があるところもあるようです。

やはり幕府が置かれていた街ならではの姿が、今でもくっきりと残っているのです。

トリプルスリー

2015-09-13 05:34:37 | スポーツ
今季のプロ野球では2人のトリプルスリーが誕生しそうだ。

トリプルスリーとは打率3割・30本塁打・30盗塁を上回る(選手の)ことをいう。
打って、走って、加えて長打力も求められる。

東京ヤクルトの山田選手と福岡ソフトバンクの柳田選手は、どちらも若くて早くから有望視されていた選手だが、一気に才能が開花した感がある。

でもこういう記録が両リーグから同じ年に誕生するというのも興味深い。
何か相乗効果みたいなものがあるのだろうか?

2人ともアメリカ(MLB)からも注目される存在になりつつあるが、まだまだ日本(NPB)でやることはあるはず。
今後も地に足をつけて真摯に野球と向き合ってほしいものだ。

怪我など無く、順調にいけば、数年後には日本を代表する野手になるに違いない。
楽しみな選手が頭角を表した2015年は記録にも記憶にも残りそうだ。

記録的大雨②

2015-09-12 04:58:34 | 社会
やがて営業所の人たちが戻ってきます。
誰もが、べちょべちょに濡れながら…。

東京(千代田区)にある支社からの電話を受けたら、1階は冠水していて、どうにもならないとのこと。
そして、仕事を切り上げて早く帰れ!との指示。

しかし、電車(公共交通)もすでに麻痺していて、運休する路線も増えていました。
これじゃ、どうしようもないよなぁ。
最悪、営業所で泊まることも考え始めました。

私を含め、他の人たちも若かったので、それはそれで面白そうな感じもありました。
でも、この日は金曜日。
やはり花金は帰りたいという気持ちにさせるようで、やがてどうやって帰ろうかと思案することに路線変更。
その前にコンビニ弁当で腹ごしらえをし、作戦を練ります。
インターネットもない時代ですから、記憶と紙の情報が頼りです。
夜8時を過ぎても、交通機関の混乱は収まりません。
最後は会社(所長)の許可を得て、営業車3台に乗り合わせて帰ることに。

埼玉県東部と千葉県北西部、千葉県東部の3班(台)に分かれます。
当時、越谷の社員寮が住まいだったので、埼玉県東部のクルマです。

ライトバンに5名乗車。
夜9時、船橋市内の営業所を出発。
普通に走れば40~45分くらいの距離ですが、この時ばかりはそう易々といきません。

途中、乗り合わせていた上司を降ろし、越谷の独身寮に到着したのは深夜1時すぎ。
その頃には雨も弱まっていました。

自分の部屋に入り、着替えて、間もなく睡魔が…。
深夜2時前に寝ました。

雨の記憶が色濃く残る、長い1日が終わりました。

改めて被害に遭った関東および東北の皆様、心よりお見舞い申し上げます。

記録的大雨

2015-09-11 05:03:46 | 社会
関東地方の大雨による被害はホントに酷いですね。
被害に遭った皆様、心よりお見舞い申し上げます。

あのニュースを見て、22年前の関東での大雨を思い出しました。

時は1993年8月下旬。
台風の影響による大雨で関東地方で多大な被害が出ました。
東京都心では皇居内堀の水が溢れ、千代田区などで浸水。
地下鉄もいくつかの路線で浸水し、運休する事態に。
復旧に2日くらいかかったと記憶しています。

その日は応援で船橋での仕事だったのですが、朝から強い雨が地面を叩いていました。
何度か応援で来ていた営業所で勝手も分かっていたので、まぁどうにかなるかと思い、朝10時前に営業車で外出します。
この日は浦安市内での納品と集金が主な仕事。
月末間近の金曜日だったので、早めに済ませたい気持ちがありました。

まだ携帯電話も普及しておらず、ポケベルが少しずつ普及してきた頃。
一旦、営業所を出ると連絡の取りようが公衆電話しかなかった時代です。

午前中はまだどうにかなっていたのですが、昼過ぎからかなり強烈な雨になり、やがて低い場所や道路は冠水するところも出てくる始末。
営業車での移動でしたが、ワイパーを最速にしてもあまり効果がなく、かといって停まるとヤバそうでした。
エンジンルーム(電気系)に水が侵入すると「ジ・エンド」の状態。

さすがに仕事どころではなくなり、やむを得ず営業所へ戻ることに。
しかし、冠水している道は通行止めになり、おかげで迂回路は大渋滞。
エンジンを止めないように吹かし気味にしながら、少しずつ営業所へ戻ります。

営業車のフロアからはジャバジャバと川のような水を掻き分ける音がします。
まるでボートです。

なんだかんだで夕方4時前に船橋の営業所に帰還。
他の人(営業マン)たちはまだ帰れない様子。
濡れた頭をタオルで拭いながら、大雨を報じるニュースをテレビで見ていました。

続きは明日。

建て替えか?保存か?

2015-09-10 06:10:54 | 文化
Yahooニュースより。

○後世に残すべき芸術か、それとも住人を脅かす「爆弾」か。

東京・銀座にある“奇妙なデザイン”のビルを巡って、論争が起きている。
議論の的は「中銀カプセルタワービル」。
手がけたのは日本を代表する建築家・黒川紀章だ。
世界で初めて実用化されたカプセル型の集合住宅だという昭和47年竣工のビルは、積み木のような斬新なデザインで内外の建築ファンを魅了し続けている。

だが今や築43年。
深刻な老朽化を前に、建て替えを望む声が上がる。
壊れた給湯設備に剥げ落ちた外壁、建築材にはアスベストが使用されている。
中には「爆弾」だと表現するオーナーさえいる。

建て替えか、保存か。昭和の名建築の命運が揺れている。

○黒川紀章が提唱「メタボリズム」の代表作

140もの四角いカプセルが積み木のように積み上げられた、おもちゃのような建物。
設計者の黒川紀章(1934-2007)は1959年に建築運動「メタボリズム」を提唱したことで知られる。
メタボリズムとは新陳代謝を意味し、有機的に建物が更新される思想だ。
タワーにらせん状に取り付けられたカプセルは交換可能に設計された。

「日本が未来を築いていた1960~70年代高度成長期、人口増と人の移動の増加に合わせて建物が更新される構想や、カプセルごと人が移動できる発想などは、世界でも最新の試みだった」と、都市建築が専門の五十嵐太郎・東北大学工学研究科教授は言う。
「そのシンボル的な中銀カプセルタワーが東京の中心部に存在する意義は非常に大きい」と強調する。
世界的に評価が高く、このカプセルを見るためだけに日本へ足を運ぶ熱烈なファンもいる。
映画監督のフランシス・コッポラや俳優のキアヌ・リーブスも来日時に訪れた。

○解決策はあるのか

平行線をたどる両者の主張だが、手をこまねいているだけではいたずらに老朽化が進むだけだ。
何か解決策はあるのだろうか。
五十嵐太郎教授は「名建築とはいえ、分譲マンションという形態をとっていることに、取り壊し問題を難しくする背景がある」と言う。

「現実的に国などの公的機関に保存の依頼を頼むことも難しい。建築の使用方法は、時代とともに変化するのが常。中銀カプセルタワーも、長期保存していくことを視野に入れるならば、居住スペースとして残すことにこだわらなくてもいいかもしれない。使用用途を変え、多くの人が楽しめるように、残していく道なども考えられないか」と話した。<了>

こういう独特の建築物は老朽化の問題に直面した時に、建て替えか保存かで議論されることが多い。
個人的には、建て直すことがベターだと考える。
やはり安全性もそうだし、歴史的な建築物ならまだしも、この建物はかなり芸術的な要素も含まれているモダニズム建築だ。
だったら生き物の命と同様に、寿命が尽きれば取り壊され、また新しいモダニズムを体現すべきだと思うのだが…。

五里霧中

2015-09-08 08:55:32 | スポーツ
鳴り物入りでF1に復帰したホンダが全く振るわず後半戦に突入した。

ついにはパートナーのマクラーレン(のチーム代表)から「ホンダの責任者を更迭せよ!」という書面をホンダの社長に送付したとの報道も出てきた。

ここまでの不振は正直、想定していなかった。
2人の年間王者経験者を擁しながら、下位に低迷したまま、シーズン後半を迎えてしまった。
見所らしい部分がほとんどなく、テールエンドを走るマクラーレンは見たくなかった。

決してホンダだけの責任でもないと思うが、パワーユニットが信頼性などの面で安定しないと、車体(シャシー)サイドの開発が進まないのはレーシングカーの定石。
それだけパワーユニット(エンジン)の重要度は高い。

ホンダも想定していた以上に、現代F1の技術的な難しさを嫌というほど痛感しただろう。
ユニットが生じる熱の問題、ハイブリッドのエネルギー効率の悪さ、総合的なパワー不足、そして燃費の悪さ。
いずれも標準レベルを下回り、中段で戦うことすら儘ならない状況で5か月が経過した。

シーズン途中で少しずつ改善を図っているが、他チームとの比較においては全く進歩してないように見える。
これが、今のF1のパワーユニット(エンジン+モーターのハイブリッドシステム)のマネジメントの難しさでもある。
トップチームのレベルの高さを痛感させられた1年だっただろう。

今季はどうにもならないのはほぼ確実で、2人の経験豊富なドライバーからも来季を見据えたコメントが目立つようになり、直近のモチベーション低下が気にかかる。
とくに直近のベルギーGP(スパ)、イタリアGP(モンツァ)のパワーが求められる伝統のサーキットでの惨敗は、ある程度想定されていたが、やはり衝撃的なダメっぷりだった。

ホンダとしては来季に向けた準備にシフトしていくのだろうが、今のままならチーム(コンストラクターズ)ランキングが9位になり、FOM(フォーミュラ・ワン・マネジメント)からの分配金も大幅に減り、チーム(=マクラーレン)の財政にも大きな影響を及ぼすだろう。

パートナーを組んだマクラーレンは「これは失敗したなぁ」と思っているに違いない。
来季もこのポジションならば、このパートナーシップは瓦解してしまうだろう。

この世界は結果のみ評価される。
結果が出なければ、去りゆくのみ。

ホンダが決断と指針を明確にしないと、より泥沼にハマっていくような気がしています。
来季はホントに瀬戸際での戦いになります。

ps、個人的には、ホンダの責任者交代は賛成です。現責任者は優れたエンジニアだと思いますが、マネジメント面に関しては懐疑的な印象を持っています。あくまでも傍目の印象ですけど…。