昨日、東近江市蛭谷町の筒井御陵で開かれた、惟喬親王祭に行って来ました。
会場は、筒井峠の手前の森の中。
全国から沢山の人が集まり、参加者は300人を越えたそうです。
第一部は、神楽の奉納に始まり、祭礼、祝辞。
そして木地山まみさんの語りで、語り芝居「惟喬親王物語」が上演されました。
第二部は、会場を近くの「木地師やまの子の家」に移して行われました。
はじめに、琵琶湖博物館の藤岡康弘氏より、琵琶湖固有の魚である、ビワマスと琵琶湖を取り巻く森との関係について紹介がありました。
琵琶湖に流れ込む川を被う森があるからビワマスが生息できたという話は、自然や環境を考える上でとても興味深かったです。
実は彼は、私の妻の弟、つまり私の義理の弟なのです。
昼食を挟んで、午後は、「奧会津の木地師」という映画を見ました。
この映画は、昭和初期まで奧会津で移動性の活動をしていた木地師の家族による、当時の生活と技術を再現した記録映画です。
なんの予備知識もなく見たのですが、その内容は驚きと感動の連続でした。
まさに、山から山へ移動して椀などを作った木地師の生活がそのまま再現されていたのです。
山に入り、木地屋敷を建て、谷から水を引き仕事と生活の場を作ることから始まりました。
木を切り、柱を立て、梁や棟を木の蔓や柔らかい枝でくくり、笹で屋根や壁を葺きます。
水路は地面を掘り、丸木を縦に掘って樋にして水を引きます。
そして椀作り。
ブナの木を倒しそれを輪切りにでもするのかと思いきや、斧で直接椀の荒型を掘りだして持って帰るのです。
これは驚きでした。
それを木地屋敷へ運び、
外側を削って成形し、内側を刳って椀の荒型にするのは女性の仕事なのです。
一つ間違えれば、足の指が飛ぶ危険で重労働の作業です。
さらにさらに、その荒型を挽くのは、手引きろくろ。
もちろん、このろくろも芯だけは持ち歩くものの、台は現地での製作。鉋もそこで作ります。
実際に手引きろくろで挽いている映像を見るのははじめてです。
この技術が、千年の時を越えて脈々と受け継がれてきたのです。
続いての記念講演会では、「木と生きる、木を生かす」と題して木工芸の人間国宝の川北良造氏の講演がありました。
ご自身の経験談を交えながらのお話しは、木工の携わる私にとっても大変勉強になる内容でした。
最後に先ほどの映画「奧会津の木地師」の監督である姫田忠義氏、猛禽類の研究と保護活動を進める山崎亨氏と司会の小椋正清氏の対談を聞きました。
「木地師文化が教えるもの」というテーマでしたが、話の中で姫田先生が「志、つまり心を指すと言う言葉が好きで、今日技術の継承という点では、その技術を受け継いでいこうという志を持った人を一人育てることからはじめよう。」と言っておられたことが心に残りました。
閉会の挨拶をされた蛭谷の自治会長さんの話を聞き、またショック。
この蛭谷には家は何軒もありますが、そこに住んでいるのはわずか2世帯とのこと。自治会長さん自身も蛭谷から出ておられるとのこと。
過疎化の流れと言ってしまえばそれまでなのですが、昨今の世の中の出来事をみるに付け、国の政治がどこを向いてなされてきたのかということと深く関わっているという思いが心の底にわき出してくるのです。
木地師の里で木地師文化に触れ、自然やその中での人間の営みと歴史、そして木工やもの作りについて・・・いろいろ学び、大いに考えさせられた一日でした。
最後に惟喬親王祭からのメッセージを掲載させていただきます。
会場は、筒井峠の手前の森の中。
全国から沢山の人が集まり、参加者は300人を越えたそうです。
第一部は、神楽の奉納に始まり、祭礼、祝辞。
そして木地山まみさんの語りで、語り芝居「惟喬親王物語」が上演されました。
第二部は、会場を近くの「木地師やまの子の家」に移して行われました。
はじめに、琵琶湖博物館の藤岡康弘氏より、琵琶湖固有の魚である、ビワマスと琵琶湖を取り巻く森との関係について紹介がありました。
琵琶湖に流れ込む川を被う森があるからビワマスが生息できたという話は、自然や環境を考える上でとても興味深かったです。
実は彼は、私の妻の弟、つまり私の義理の弟なのです。
昼食を挟んで、午後は、「奧会津の木地師」という映画を見ました。
この映画は、昭和初期まで奧会津で移動性の活動をしていた木地師の家族による、当時の生活と技術を再現した記録映画です。
なんの予備知識もなく見たのですが、その内容は驚きと感動の連続でした。
まさに、山から山へ移動して椀などを作った木地師の生活がそのまま再現されていたのです。
山に入り、木地屋敷を建て、谷から水を引き仕事と生活の場を作ることから始まりました。
木を切り、柱を立て、梁や棟を木の蔓や柔らかい枝でくくり、笹で屋根や壁を葺きます。
水路は地面を掘り、丸木を縦に掘って樋にして水を引きます。
そして椀作り。
ブナの木を倒しそれを輪切りにでもするのかと思いきや、斧で直接椀の荒型を掘りだして持って帰るのです。
これは驚きでした。
それを木地屋敷へ運び、
外側を削って成形し、内側を刳って椀の荒型にするのは女性の仕事なのです。
一つ間違えれば、足の指が飛ぶ危険で重労働の作業です。
さらにさらに、その荒型を挽くのは、手引きろくろ。
もちろん、このろくろも芯だけは持ち歩くものの、台は現地での製作。鉋もそこで作ります。
実際に手引きろくろで挽いている映像を見るのははじめてです。
この技術が、千年の時を越えて脈々と受け継がれてきたのです。
続いての記念講演会では、「木と生きる、木を生かす」と題して木工芸の人間国宝の川北良造氏の講演がありました。
ご自身の経験談を交えながらのお話しは、木工の携わる私にとっても大変勉強になる内容でした。
最後に先ほどの映画「奧会津の木地師」の監督である姫田忠義氏、猛禽類の研究と保護活動を進める山崎亨氏と司会の小椋正清氏の対談を聞きました。
「木地師文化が教えるもの」というテーマでしたが、話の中で姫田先生が「志、つまり心を指すと言う言葉が好きで、今日技術の継承という点では、その技術を受け継いでいこうという志を持った人を一人育てることからはじめよう。」と言っておられたことが心に残りました。
閉会の挨拶をされた蛭谷の自治会長さんの話を聞き、またショック。
この蛭谷には家は何軒もありますが、そこに住んでいるのはわずか2世帯とのこと。自治会長さん自身も蛭谷から出ておられるとのこと。
過疎化の流れと言ってしまえばそれまでなのですが、昨今の世の中の出来事をみるに付け、国の政治がどこを向いてなされてきたのかということと深く関わっているという思いが心の底にわき出してくるのです。
木地師の里で木地師文化に触れ、自然やその中での人間の営みと歴史、そして木工やもの作りについて・・・いろいろ学び、大いに考えさせられた一日でした。
最後に惟喬親王祭からのメッセージを掲載させていただきます。