お世話になっている先生が記事にしていたことを見て考えた。
伝え方や聞き取り方って本当に大切だなって。
脛骨欠損症の治療方針の話でもそう。切断離断術の話でもそう。
患者や患者家族の本当の胸の内、本当の想いがどこにあるのか。
実はそれが一番難しい。
その想いにつながるビジョンや可能性を提示できていなければ、そもそも想いすら持てないかもしれない。痛みに耐えられないのは自分ががまんがたりないのか義足の適合が悪いのかは患者にはわからない。
患者や患者家族の訴えに対しての聞く姿勢。
ただそれだけのことが、すべての信頼関係のはじまりだと私は思う。
患者の訴えは、ときにわがままで自己中心的に聞こえるかもしれない。でも根気強く聞いていけば、必ず真実が隠されている。
大きな誤解だったり、知識不足だったり、説明不足だったり、聞いていなかっただけだったり。
単純に体質の問題だったり、ケアや手入れの仕方の問題だったり、成長の問題だったり、身体や断端そのものの変化だったり。
重力拮抗筋がそもそも衰えていて、いきなりのリハビリが無理なだけだったり。
いろんなケースがあると思う。でもたぶん患者はそれをそれが原因だとは気づけない。
そのことにより誤解が生じる。
整形外科医もリハビリ医も、理学療法士も義肢装具士も、もちろんメーカーさんも。患者を助けるためにという気持ちは一緒のはず。
なのにこうしたことが起きてしまう。
私は患者や患者家族の立場に立って、長期的な治療をコーディネートする役割が足りない感じがしている。チーム医療の核となるそうした存在が。
経験の浅い患者の想いを噛み砕いて専門家に伝えるための橋渡し。たぶんそこが一番難しい。
たぶん誰にでも出来るし、誰の役割とも決まっていない。だからこそ譲り合い誰にもなされない。そんな役割。
なんというか、そんなことを考えさせられた。
私が知る限り、医師と理学療法士、義肢装具士がチームを組んでいる理想的な環境においてさえ、先ほどような誤解が生まれている。
結果、ある患者さんにとってはそのチームは鬼門となる。そして他には頼れずに選択肢をなくしていく。
そうした事例を偶然ではあるが何例も目にした。たまたま、そうした相談が舞い込む方が娘の担当の大先生だったから。
そこまでこじれていると、解きほぐすのも至難で、私まで一生懸命に誤解を解こうと力説したこともなんどもある。
その度におもうのだ。
何とかならないものかなと。
その度におもうのだ。
私のこの想いを、どうにか業界で問題視してくれないものかなと。
ふと書いてみた。
この記事の内容自体がややこしい。
伝わらなかったらごめんなさい。
まだまだ修行が足りません。はい。
幸いにもわが娘は幸せもの。
本当に周りの皆様方に支えられている。だからこその疑問。だからこその想い。
何かの形で恩返しできないかなとよく考えます。はい。
伝え方や聞き取り方って本当に大切だなって。
脛骨欠損症の治療方針の話でもそう。切断離断術の話でもそう。
患者や患者家族の本当の胸の内、本当の想いがどこにあるのか。
実はそれが一番難しい。
その想いにつながるビジョンや可能性を提示できていなければ、そもそも想いすら持てないかもしれない。痛みに耐えられないのは自分ががまんがたりないのか義足の適合が悪いのかは患者にはわからない。
患者や患者家族の訴えに対しての聞く姿勢。
ただそれだけのことが、すべての信頼関係のはじまりだと私は思う。
患者の訴えは、ときにわがままで自己中心的に聞こえるかもしれない。でも根気強く聞いていけば、必ず真実が隠されている。
大きな誤解だったり、知識不足だったり、説明不足だったり、聞いていなかっただけだったり。
単純に体質の問題だったり、ケアや手入れの仕方の問題だったり、成長の問題だったり、身体や断端そのものの変化だったり。
重力拮抗筋がそもそも衰えていて、いきなりのリハビリが無理なだけだったり。
いろんなケースがあると思う。でもたぶん患者はそれをそれが原因だとは気づけない。
そのことにより誤解が生じる。
整形外科医もリハビリ医も、理学療法士も義肢装具士も、もちろんメーカーさんも。患者を助けるためにという気持ちは一緒のはず。
なのにこうしたことが起きてしまう。
私は患者や患者家族の立場に立って、長期的な治療をコーディネートする役割が足りない感じがしている。チーム医療の核となるそうした存在が。
経験の浅い患者の想いを噛み砕いて専門家に伝えるための橋渡し。たぶんそこが一番難しい。
たぶん誰にでも出来るし、誰の役割とも決まっていない。だからこそ譲り合い誰にもなされない。そんな役割。
なんというか、そんなことを考えさせられた。
私が知る限り、医師と理学療法士、義肢装具士がチームを組んでいる理想的な環境においてさえ、先ほどような誤解が生まれている。
結果、ある患者さんにとってはそのチームは鬼門となる。そして他には頼れずに選択肢をなくしていく。
そうした事例を偶然ではあるが何例も目にした。たまたま、そうした相談が舞い込む方が娘の担当の大先生だったから。
そこまでこじれていると、解きほぐすのも至難で、私まで一生懸命に誤解を解こうと力説したこともなんどもある。
その度におもうのだ。
何とかならないものかなと。
その度におもうのだ。
私のこの想いを、どうにか業界で問題視してくれないものかなと。
ふと書いてみた。
この記事の内容自体がややこしい。
伝わらなかったらごめんなさい。
まだまだ修行が足りません。はい。
幸いにもわが娘は幸せもの。
本当に周りの皆様方に支えられている。だからこその疑問。だからこその想い。
何かの形で恩返しできないかなとよく考えます。はい。