昨日とはうって変わって、穏やかな一日でした。目まいは相変わらずですが、ネットで眩暈を軽減するツボを検索し、頭のてっぺんやら耳の後ろやら手の平の真ん中やらを押したりモンだりしているうちにいくらかマシになってきて、なんとか無事一日過ごすことが出来ました。もっとも、今度は前々から少し気になっていた目のしょぼしょぼ感が一段と強くなってきて、じっと目を開けているのが非常に辛くなり、意識して普段の倍位瞬きするなどしてどうにかこうにか一日やり過ごしました。花粉症の一症状なのか、はたまたドライアイにでもなっているのか、判断に苦しみますが、あんまり続くようなら、日常生活にも支障をきたすので医者に行こうかと思っています。現に今ブログを打ち込んでいるのも目をつむってブラインドタッチであらかた打ち込んでは目を開いて誤変換を修正する、なんて事をしていますし。
その一方で、連載小説も途切れないように、と、時間を工面して毎日少しずつ書き溜めています。せいぜい四〇〇字書いているかどうか、位なのですが、以前コミケを控え小説を書いていた時も、しょっぱなはそんな調子で慣れてきたところでぐんとスピードアップしましたし、今回も、多分そんな調子になるんじゃなかろうか、と期待しています。ただ、物語の先行きが自分でも全くまだつかめていないので、果たしてこんな調子で書き続けることができるのか、甚だ不安にもなります。
そんなおり、森博嗣と土屋賢二の対談エッセイ「人間は考えるFになる」を読んでいるのですが、その中に、森博嗣がプロットも余り考えず、ワープロで文章を打ちながら考える、という書き方をしている、と書いてあって、自分には到底出来そうにないな、と思いました。森博嗣は一冊の本を1,2週間で書き上げてしまう健筆家ですが、この本によると一時間に文字だけで六千字打ち込むのだそうです。私ですと、このブログ約千字書くのに、早い時で20分弱、時間のかかる時で30分少しくらいですから、森博嗣は小説で私の2倍から3倍くらい早い訳です。小説でもざっと12万字のやつを一ヶ月で書いたのが一番早かった時ですが、書いている時間は平日と休日を平均したら大体1日2時間くらいになるんじゃないか、と思いますので、時間平均2千字ということになります。まあプロの作家とスピード競争しても何の意味も無いのでこれはこれで良しとして、どうしてそんな私からしたら行き当たりばったりとしか見えない書き方であんなにキッチり文章を書けるのか、それが一番不思議で理解できるものなら理解して自分もできるようになりたい、と思うところです。それについて森博嗣曰く、行き詰まったら場面転換、会話主体でどんどん進める、という事なのだそうです。そう簡単に応用できるものではない、と思いつつも、なんとなく、ああ、なるほどな、と納得する部分もまたありました。今書いているやつがもし行き詰まるような事になりそうだったら、この森博嗣の言葉を思い出し、一度試してみようと思っています。まあ、そんな状況に陥るのが怖いから、プロットを練ってお話しの設計図を描くのに血道を上げているんですけどね。
その一方で、連載小説も途切れないように、と、時間を工面して毎日少しずつ書き溜めています。せいぜい四〇〇字書いているかどうか、位なのですが、以前コミケを控え小説を書いていた時も、しょっぱなはそんな調子で慣れてきたところでぐんとスピードアップしましたし、今回も、多分そんな調子になるんじゃなかろうか、と期待しています。ただ、物語の先行きが自分でも全くまだつかめていないので、果たしてこんな調子で書き続けることができるのか、甚だ不安にもなります。
そんなおり、森博嗣と土屋賢二の対談エッセイ「人間は考えるFになる」を読んでいるのですが、その中に、森博嗣がプロットも余り考えず、ワープロで文章を打ちながら考える、という書き方をしている、と書いてあって、自分には到底出来そうにないな、と思いました。森博嗣は一冊の本を1,2週間で書き上げてしまう健筆家ですが、この本によると一時間に文字だけで六千字打ち込むのだそうです。私ですと、このブログ約千字書くのに、早い時で20分弱、時間のかかる時で30分少しくらいですから、森博嗣は小説で私の2倍から3倍くらい早い訳です。小説でもざっと12万字のやつを一ヶ月で書いたのが一番早かった時ですが、書いている時間は平日と休日を平均したら大体1日2時間くらいになるんじゃないか、と思いますので、時間平均2千字ということになります。まあプロの作家とスピード競争しても何の意味も無いのでこれはこれで良しとして、どうしてそんな私からしたら行き当たりばったりとしか見えない書き方であんなにキッチり文章を書けるのか、それが一番不思議で理解できるものなら理解して自分もできるようになりたい、と思うところです。それについて森博嗣曰く、行き詰まったら場面転換、会話主体でどんどん進める、という事なのだそうです。そう簡単に応用できるものではない、と思いつつも、なんとなく、ああ、なるほどな、と納得する部分もまたありました。今書いているやつがもし行き詰まるような事になりそうだったら、この森博嗣の言葉を思い出し、一度試してみようと思っています。まあ、そんな状況に陥るのが怖いから、プロットを練ってお話しの設計図を描くのに血道を上げているんですけどね。
