かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

02.悪夢の後継者 その1

2010-03-06 10:50:34 | 麗夢小説『夢の匣』
 『む、無念……。麗夢……ど……の……』
 ガタン! と突然の大音響に、麗夢は飛び上がらんばかりに顔を上げた。
 いつの間にか居眠りをしてしまっていたらしい。
 振り向くと、壁に立てかけていた錫杖が倒れ、床に転がっている。あの、夢の剣でさえ歯が立たなかった斑鳩日登美のパワードプロテクターを一撃で粉砕した、円光渾身の業物である。
 麗夢は椅子から立ち上がり、錫杖を拾い上げて立て直した。
 さっき、円光の声が聞こえたような気がして、改めて耳を済ましてみる。しかし、麗夢の耳に入るのは、遠くの梢でさえずる小鳥の歌のように、初夏の微風に乗って窓越しにささやいてくる、学園のそこここで奏でられる明るい歓声ばかりであった。
 麗夢は、気のせいだったか、と小さく欠伸をしながら、さっきまで座っていた椅子に座り直した。
 ほんの数日前まで、学園でも1,2を争ったに違いないにぎやかさを誇った部室は、ただ空ろな空気に支配されていた。明るい光と明るい声、それに涼やかで暖かな初夏の空気が外からふんだんに流れ込んできているのに、その全てのエネルギーがそのままどこか別の次元に吸い出されているかのようだ。
 麗夢は、軽く汗ばむほどの気温とは裏腹に、むき出しの腕へ鳥肌を立てた。そっと自分をかい抱くように、胸の前で腕を交差する。
 死んだわけではない、とは判っていても、彼女たちの現実世界への帰還は、絶望的なまでにありえない。
 荒神谷弥生、纏向静香、眞脇由香里、斑鳩日登美。
 麗夢の同級生にして原日本人の4人の巫女達は、学園地下の洞窟で、彼女らが信奉する闇の皇帝とともにいずくとも知れぬ異次元へ封じ込められた。
 ついこの間のことだったのに、既に記憶ははるか昔の事だったかのようにさえ感じられる。いや、ひょっとしたら、と麗夢は思い直した。ずっとずっと以前、まだ原日本人が大勢いて、夢守の民も一緒に暮らしていた遥かな古代。その時にも、今回の事件と同じようなことがあったのかもしれない。麗夢の前世と彼女らの前世で、同じような邂逅と別れを経験していたのかもしれない……。
 しかし、結局は判り合い、助け合うことはできなかった。
 いかなる理由があろうとも、麗夢には、原日本人の恨みと願いを断ち切れなかった彼女らの暴走を許す訳にはいかなかったのだ。たとえ今、耐え難いほどの喪失感に苛まれていても、夢守の民の末裔として、麗しき夢を守る使命を帯びた自分には、他に採りうる選択肢は無い。
 頭では理解できるそのことが、理解できるがゆえに虚しく、うそ臭くさえ感じられる。
 こうして人気の無い古代史研究部=古代民族体系保存会=ESP研究会=戦略兵器研究会、の部室に一人たたずんでいると、ひょっとして、間違っていたのは自分の方だったのではないか、という錯覚すら起こしそうで、麗夢は思わず頭を振った。
 いつまでも落ち込んでいてもしょうがない。地下洞窟に何か気になることがある、と言った円光、そしてそれについていった鬼童、榊の一行が戻ってくれば、麗夢もこの学園での潜入捜査を終了する。青山42番地のぼろアパートに戻り、偽りの学生生活から、いつもの探偵稼業へ帰ることになるのだ。アルファ、ベータも待っているし、一刻も早く帰りたいと思う反面、なんとなく名残惜しさも覚えて、結局は部室でまた椅子に座り、頬杖を突く麗夢であった。
 しかし、実のところ、こうして改めて部室をなにげに見回してみても、4人の痕跡は全く残っていない。
 女子高生4人が忽然と消えたりしたらそれこそ大騒ぎになっても不思議ではなかったはずなのに、闇の皇帝を呑み込んだ結界のためか、はたまたあの4人が何らかの手を打っていたのか、学園には、麗夢をのぞいて、4人の存在を知るものは一人も残っていなかった。麗夢自身当ってみたわけではないが、鬼童によると学校の名簿を初めとする公式な記録にも、「あっぱれ4人組」の事は何一つ残っていないというのである。
 そもそも麗夢がいるこの部室自体、麗々しく入り口に掲げられていた古代史研究部=以下略、の看板が無くなっている。部屋は以前から物置場でした、と言われたら疑いも無く頷いてしまいそうなほどに、雑然と埃を被った机と椅子があるだけで、他はがらんとしている。
 麗夢を戦慄させ眞脇由香里を苦しめた「古代民族体型保存ギブス」や、闇の皇帝の脅威を解析し記録していた松尾亨のパソコン、斑鳩日登美が吹き飛ばしたアブナイ実験室のドアまでもが、きれいさっぱり跡形も無く消え、ただの空き室になっていたのだ。まるで、この間の喧騒と恐怖が文字通りの夢であったかのように、その足跡はどこにも残っていない。でも、たとえ覚えているのが自分だけだったとしても、私だけは絶対忘れないでいよう、と麗夢は思った。それは、彼女らの夢と未来を封印した自分の義務であり、今を生きる夢守の民としての責務なのだ。麗夢は軽く目を瞑った。今でもまるですぐ側にいるかのように、明るく元気良い彼女達の声が脳裏に浮かぶ。そう、まるで聞こえているかのように……?
「麗夢ちゃん!」
「どうしたの? こんなところで一人たたずんで」
「ひょっとして、『いいヒト』でも思い出していたのな?」
「ま、なんてふしだらな!」
「あーん、あたしのこと思い浮かべてくれなくちゃいやぁん」
「あ、あなた達、一体どうして……」
 振り返った麗夢が絶句するうちに、南麻布女学園の緑の制服を身にまとった4人の少女達が、入り口にたたずんでいる。
 満面の笑みで手を振る眞脇由香里。
 じっと裏を探るかのように見つめる斑鳩日登美。
 眉をひそめてずれた眼鏡を直す荒神谷弥生。
 そして、いたずらっぽく唇を突き出す纏向静香……。
 背中に冷たい汗が流れ、麗夢は思わず身震いした。
 ありえない。
 彼女達が現世に蘇るなど、どう考えてもありえない。
 鬼童が持参した「思念波砲」で構築したあの結界は、麗夢と円光の二人の死力を振り絞って作り出した白の想念の結晶だ。原日本人の末裔として、現日本人への復讐に燃える黒の想念に囚われた彼女達に破れる代物ではない。もし、万が一にも彼女達がその奇跡を実現して蘇ったのだとしたら、闇の皇帝だって黙って封印されたままではすまないだろう。だが、彼女たち4人は、そんな麗夢の懸念などまるで眼中に無いかのように、朗らかに部屋に入ってきた。
「何がどうして? なの?」
「まるで幽霊でも見たみたいだけど」
「しっかりなさい。麗夢さん」
「寒いんなら暖めてあげちゃおうかな?」
 手を広げて今にも抱きついてきそうな纏向静香に、麗夢は思わず立ち上がった。
「だ、だってあなた達は……?」
 動転していた麗夢の胸に、何か言い知れぬ違和感がよぎった。
 何かおかしい。
 麗夢は、部屋の奥に後ずさりながらその違和感の正体を探り、ようやくその正体に気がついた。
 夢の気配だ。
 衝撃的なその姿に翻弄され、直ちに気づくことができなかったが、落ち着いて意識を集中すれば、肌に慣れた独特の感じが濃厚に当りを支配しているのが判る。
 麗夢は油断無く4人をにらみ据えると、鋭く一言、言い放った。
「あなた達、誰なの?!」
「誰って、麗夢ちゃん大丈夫ぅ?」
「おいおい、ほんのちょっといなかっただけで忘れるなんて、私達ってそんなに印象薄い?」
「しっかりしてよ麗夢ちゃん」
「違うわ!」
 口々に呼びかけてくる4人の少女の口を、麗夢の叫びが縫いとめた。先頭を切って近づこうとした纏向静香が、突然凍りついたかのようにその場に立ち止まり、荒神谷弥生以下の3名も、それぞれ笑顔を凍りつかせて麗夢を凝視する。
「さあ、正体を明かしなさい! こんな無神経ないたずらをするのは誰なの?!」
 すると、固まっていた4人の体がぶるぶると震え出し、やがて、こらえきれぬとばかりにおなかを抱え、背中を丸めて、絞り出すように笑い始めた。
「さ、さすが夢守の民の末裔さんね、初めの驚いた顔はすっごく面白かったけど、やっぱり引っかかんなかったか」
 ひぃひぃ笑い声を引きつらせながら、荒神谷弥生がようやく体を伸ばし、麗夢を見た。それに習うように他の3人も顔を上げた。
「じゃあ、自己紹介しましょう」
 荒神谷弥生が、軽く会釈した。
 いつの間に手にしたのか、裁縫箱のような錦の模様もあでやかな箱を抱えている。どうやら、濃厚な夢の気配はその箱から漏れ出ているようだ。
「何なのその箱は?」
 麗夢がそのことを問いかけようとしたその時だった。荒神谷弥生が箱に手をかけ、ずらすように上ふたを外した。とたんに舞台演出用のドライアイスのように、真っ白な煙がもうもうと箱から流れ出し、4人の姿を覆い隠した。ほのかに梅か桃の花のような甘い香りが鼻を突く。とっさに口元を覆った麗夢は、次の瞬間には、あっと驚いて立ち尽くした。あれほど濃厚に辺りに充満した白い煙が、瞬きする間もなく一瞬で消え去ったからである。そして、荒神谷弥生達が立っていた場所には、見慣れぬ4人の小さな女の子が、ほぼ同じ姿勢のまま立っていた。まるで高校生の4人をそのまま縮小コピーしたようなその姿に、麗夢は唖然として見つめるばかりだった。
「初めまして、麗夢ちゃん。私は、荒神谷皐月。弥生お姉ちゃんの妹にして、原日本人4人の巫女の後継者だよ」
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