中庭の中央には大きな花壇があり、荒神谷皐月がその花壇を回りこんだ。その前方に、大きなガラスが上下にはまった観音開きの扉が今は全開に開かれており、その奥に、小さな扉がたくさんついた下駄箱が林立するのが麗夢にも見えた。どうやら校舎の玄関口らしい。
「待てーっ!」
麗夢が花壇を巡りはじめた時には、既に皐月のツインテールがその玄関口から校舎に飛び込んでいた。皐月の足は案外に速い。高等部での追いかけっこでも、麗夢が全力で駈けているのに、一向に追いつく様子がないくらいである。彼女の姉たちが、運動神経という点ではごく平均的な女子高生の域を出なかっかったのに対し、皐月の足は間違いなく次元が違う。ひょっとしたら、一種の超能力だろうか? と麗夢は思った。荒神谷弥生達原日本人の巫女達は、古代史研究部別名ESP研究会を主宰する超能力者達でもあった。もし小気味良く先を走り続ける自称後継者が本当に彼女らの妹であるならば、何らかの異能の力を宿していたとしても、全く不思議ではない。
とはいえ、今更警戒していてもどうしようもない。今も現実を侵食するこの異様な学校。そして見た目のあどけなさからは伺いしれない未知の能力。どれをとっても躊躇するには十分すぎる材料が揃っている。それに、まるで誘うように一定の距離を保って逃げるツインテールの様子を見ても、罠の存在は疑いないだろう。だが、と遅れて玄関口に飛び込みながら麗夢は思った。虎穴に入らずんば虎子を得ず。この状況を何とかするためには、罠だろうが何だろうが、飛び込むしか無いのだ。
こんな時こそ円光さんがいてくれたら、とふと思う麗夢だったが、そう言えば、と胸のうちに、ある疑問が沸き起こった。
円光さんは何をしているのだろう?
円光は麗夢のように夢に入る力はないが、気の流れを読み、悪鬼邪霊の瘴気を感じとる能力は麗夢をもしのぐものがある。今、この現象の中に身を置いているならば気づいていないはずが無く、その焦点と目されるあの少女の持つ箱の存在を、絶対に外すことなく突き止めているはずだ。その足も、足場によっては下手な乗用車よりも速い。それ程の男が、何故か今だに何の気配も無い。ひょっとしてなにかあったのだろうか……。
玄関口から、左右に立ち並ぶ下駄箱や、今は空っぽな傘立ての列の中を抜け、麗夢は廊下に躍り出た。円光や鬼童、榊のことも気になるが、今はそのことを確かめる術も時間もない。
麗夢が左右を素早く見回すと、背後から、あの天真爛漫な声が届いた。
「何してるの? 早く来ないと、置いてっちゃうよ?」
振り返ってみると、10mも行かないところの右側の壁から、少女のツインテールがひょっこりと顔を出していた。
「早く早く! こっちだよ!」
少女が満面の笑みを引っ込めた途端、タンタンタン! と小気味よく階段を駆ける音が廊下に木霊した。上か! と麗夢も大急ぎで廊下を横切り、現れた階段を駆け上がる。手すり越しにすぐ手の届きそうな所で揺れるツインテールの一端が見え、たまにチラッと少女が目線を寄越してきては、すぐにかっと笑って消えるというのが繰り返される。誘われているのはもはや疑いない。
古代史研究部の部室を出て以来姿の見えない残り3人の娘(うち一人は男の子?)の行方も気にかかる。囮役の少女が逃げるこの校舎の上のどこかで、待ち構えて罠を張っているのだろうか。だが、特に遠回りもせず全速力でここまで来た少女と麗夢を抜いて、先にたどり着いている、というのも考えにくいことではある。それでも、何があってもおかしくない、というつもりでいないと足元を掬われるに違いない。既に、弥生達の妹、というだけで、十分驚かされているのだから。
2階を過ぎ、3階を通り越して、麗夢は、最上階の4階までたどり着いた。改めて左右を見やると、左の先にある教室の一つに、今にも飛び込む少女の姿が一瞬だけ見えた。追い詰めた、いや、追い詰められた? どちらにしても、鬼ごっこはこれで終わりだ!
「もう逃がさないわよ!」
麗夢は飛び掛るように少女が消えた教室前まで躍り出ると、今はわずかに隙間を空けて閉じている扉に手をかけ、一気に引きあけようと力を込めた。
!
殺気ではない。だが、非常にそれに近いものが、力を入れかけた麗夢の右手を押しとどめた。
期待、押し隠した喜び、笑いの前兆。
そんな無邪気で鋭い気の動きを察知した麗夢は、自分の腕に、白い粉が一つまみ、付着していることに気づいた。恐る恐る引き戸にかけた手を引き、粉が落ちてきたとおぼしき上を見ると、上の桟のあたりに、扉に挟まれた黒板消しの姿が目に入った。本来は黒に近い紺色のイレーサー部分が、たっぷりのチョークの粉をまとって真っ白になっているのが見える。
なんとまあベタで子供らしいいたずらなの。でも、そんな幼稚な手には、引っかからないわ!
麗夢は改めて扉に手をかけると、一気に引きあけると同時に、思い切り後ろに飛んだ。支えを失った黒板消しが、チョークの粉をこぼしながら正確に落ちてくる。麗夢は勝利を確信して力強く床に着地した、その瞬間。
「あっ?!」
硬いリノリウムの床を踏んだはずの右足の上靴底が、何か小さい粒々を踏んだ感触を麗夢に伝えた瞬間、つるんっと滑った。ぐらりと上体がバランスを失い倒れこむ中、とっさに出た左足も、それは見事に床を捉え損ない、跳ね上げた右足の後を追った。麗夢の両手が虚しく宙を掻き、怖気をふるう落下の感触を一瞬残して、麗夢のお尻がこれでもかとばかりに床に叩きつけられた。
「っ!」
余りの痛さに声も出ない。麗夢はうつむいて痛みをこらえ、床に着いた手の平のおかしな感触に、涙あふれる目を辛うじて開いた。その視線に、直径1センチほどの銀色のボールが、床一面に転がっているのが見える。パチンコ玉だ。敵は、麗夢が黒板消しの存在に気づき、後ろに飛び跳ねることまで計算して、罠を張っていたのだ。
「きゃーはははははっ! ま、まさかこんなに綺麗に引っかかるなんて! 麗夢ちゃん、なんていいキャラなの? あぁもうお腹痛いぃっ!」
開け放たれた扉の向こうで、お腹を抱えてげらげら笑い暴れるツインテールの少女が見えた。麗夢は、自分がまんまと小学生の罠にはまったことに、猛烈な怒りを覚えて叫んだ。
「ど、どういう積もりよこんないたずらして! もう、もう絶対、絶対許さないんだから!」
「子供の可愛らしいいたずらにいちいち怒ってたら、しわが増えちゃうよ? 第一、あたしがしたんじゃないしぃ」
「あなたじゃなけりゃ、誰の仕業よ!」
「我々、原日本人親衛隊の仕事だ!」
荒神谷皐月の背後から、わらわらと3人の少年が姿を現した。一人は少し恰幅のよい体格をしているが、残る二人は痩せて小柄な子供子供した体形である。3人とも、まるで南麻布女学園の制服を男子用にアレンジしたような制服を着ている。一目異なる点は、少年達がスカートではなく、半ズボンをはいていることだろう。細かく見れば、リボンの代わりにネクタイを絞めていたり、色々デザインの違いはあるが、まだ、南麻布は女学園だという『真の』記憶が残る麗夢には、非常に違和感を覚える姿だった。
「うむ、ご苦労! 親衛隊の諸君!」
皐月が少しだけまじめな顔を作って、敬礼する少年達に答礼を返した。少年達がうれしそうにはにかんで見せる姿が初々しい。
「その子達は一体なに?!」
「だから親衛隊……」
「そうじゃなくて! こんな子達まで巻き込んで、あなた一体何を狙っているの?! 弥生さんたちと同じ、原日本人の復讐? 支配の復活? そんな夢物語、できるわけ……」
「違うわよ。今更そんなこと、必要ないもの」
「待てーっ!」
麗夢が花壇を巡りはじめた時には、既に皐月のツインテールがその玄関口から校舎に飛び込んでいた。皐月の足は案外に速い。高等部での追いかけっこでも、麗夢が全力で駈けているのに、一向に追いつく様子がないくらいである。彼女の姉たちが、運動神経という点ではごく平均的な女子高生の域を出なかっかったのに対し、皐月の足は間違いなく次元が違う。ひょっとしたら、一種の超能力だろうか? と麗夢は思った。荒神谷弥生達原日本人の巫女達は、古代史研究部別名ESP研究会を主宰する超能力者達でもあった。もし小気味良く先を走り続ける自称後継者が本当に彼女らの妹であるならば、何らかの異能の力を宿していたとしても、全く不思議ではない。
とはいえ、今更警戒していてもどうしようもない。今も現実を侵食するこの異様な学校。そして見た目のあどけなさからは伺いしれない未知の能力。どれをとっても躊躇するには十分すぎる材料が揃っている。それに、まるで誘うように一定の距離を保って逃げるツインテールの様子を見ても、罠の存在は疑いないだろう。だが、と遅れて玄関口に飛び込みながら麗夢は思った。虎穴に入らずんば虎子を得ず。この状況を何とかするためには、罠だろうが何だろうが、飛び込むしか無いのだ。
こんな時こそ円光さんがいてくれたら、とふと思う麗夢だったが、そう言えば、と胸のうちに、ある疑問が沸き起こった。
円光さんは何をしているのだろう?
円光は麗夢のように夢に入る力はないが、気の流れを読み、悪鬼邪霊の瘴気を感じとる能力は麗夢をもしのぐものがある。今、この現象の中に身を置いているならば気づいていないはずが無く、その焦点と目されるあの少女の持つ箱の存在を、絶対に外すことなく突き止めているはずだ。その足も、足場によっては下手な乗用車よりも速い。それ程の男が、何故か今だに何の気配も無い。ひょっとしてなにかあったのだろうか……。
玄関口から、左右に立ち並ぶ下駄箱や、今は空っぽな傘立ての列の中を抜け、麗夢は廊下に躍り出た。円光や鬼童、榊のことも気になるが、今はそのことを確かめる術も時間もない。
麗夢が左右を素早く見回すと、背後から、あの天真爛漫な声が届いた。
「何してるの? 早く来ないと、置いてっちゃうよ?」
振り返ってみると、10mも行かないところの右側の壁から、少女のツインテールがひょっこりと顔を出していた。
「早く早く! こっちだよ!」
少女が満面の笑みを引っ込めた途端、タンタンタン! と小気味よく階段を駆ける音が廊下に木霊した。上か! と麗夢も大急ぎで廊下を横切り、現れた階段を駆け上がる。手すり越しにすぐ手の届きそうな所で揺れるツインテールの一端が見え、たまにチラッと少女が目線を寄越してきては、すぐにかっと笑って消えるというのが繰り返される。誘われているのはもはや疑いない。
古代史研究部の部室を出て以来姿の見えない残り3人の娘(うち一人は男の子?)の行方も気にかかる。囮役の少女が逃げるこの校舎の上のどこかで、待ち構えて罠を張っているのだろうか。だが、特に遠回りもせず全速力でここまで来た少女と麗夢を抜いて、先にたどり着いている、というのも考えにくいことではある。それでも、何があってもおかしくない、というつもりでいないと足元を掬われるに違いない。既に、弥生達の妹、というだけで、十分驚かされているのだから。
2階を過ぎ、3階を通り越して、麗夢は、最上階の4階までたどり着いた。改めて左右を見やると、左の先にある教室の一つに、今にも飛び込む少女の姿が一瞬だけ見えた。追い詰めた、いや、追い詰められた? どちらにしても、鬼ごっこはこれで終わりだ!
「もう逃がさないわよ!」
麗夢は飛び掛るように少女が消えた教室前まで躍り出ると、今はわずかに隙間を空けて閉じている扉に手をかけ、一気に引きあけようと力を込めた。
!
殺気ではない。だが、非常にそれに近いものが、力を入れかけた麗夢の右手を押しとどめた。
期待、押し隠した喜び、笑いの前兆。
そんな無邪気で鋭い気の動きを察知した麗夢は、自分の腕に、白い粉が一つまみ、付着していることに気づいた。恐る恐る引き戸にかけた手を引き、粉が落ちてきたとおぼしき上を見ると、上の桟のあたりに、扉に挟まれた黒板消しの姿が目に入った。本来は黒に近い紺色のイレーサー部分が、たっぷりのチョークの粉をまとって真っ白になっているのが見える。
なんとまあベタで子供らしいいたずらなの。でも、そんな幼稚な手には、引っかからないわ!
麗夢は改めて扉に手をかけると、一気に引きあけると同時に、思い切り後ろに飛んだ。支えを失った黒板消しが、チョークの粉をこぼしながら正確に落ちてくる。麗夢は勝利を確信して力強く床に着地した、その瞬間。
「あっ?!」
硬いリノリウムの床を踏んだはずの右足の上靴底が、何か小さい粒々を踏んだ感触を麗夢に伝えた瞬間、つるんっと滑った。ぐらりと上体がバランスを失い倒れこむ中、とっさに出た左足も、それは見事に床を捉え損ない、跳ね上げた右足の後を追った。麗夢の両手が虚しく宙を掻き、怖気をふるう落下の感触を一瞬残して、麗夢のお尻がこれでもかとばかりに床に叩きつけられた。
「っ!」
余りの痛さに声も出ない。麗夢はうつむいて痛みをこらえ、床に着いた手の平のおかしな感触に、涙あふれる目を辛うじて開いた。その視線に、直径1センチほどの銀色のボールが、床一面に転がっているのが見える。パチンコ玉だ。敵は、麗夢が黒板消しの存在に気づき、後ろに飛び跳ねることまで計算して、罠を張っていたのだ。
「きゃーはははははっ! ま、まさかこんなに綺麗に引っかかるなんて! 麗夢ちゃん、なんていいキャラなの? あぁもうお腹痛いぃっ!」
開け放たれた扉の向こうで、お腹を抱えてげらげら笑い暴れるツインテールの少女が見えた。麗夢は、自分がまんまと小学生の罠にはまったことに、猛烈な怒りを覚えて叫んだ。
「ど、どういう積もりよこんないたずらして! もう、もう絶対、絶対許さないんだから!」
「子供の可愛らしいいたずらにいちいち怒ってたら、しわが増えちゃうよ? 第一、あたしがしたんじゃないしぃ」
「あなたじゃなけりゃ、誰の仕業よ!」
「我々、原日本人親衛隊の仕事だ!」
荒神谷皐月の背後から、わらわらと3人の少年が姿を現した。一人は少し恰幅のよい体格をしているが、残る二人は痩せて小柄な子供子供した体形である。3人とも、まるで南麻布女学園の制服を男子用にアレンジしたような制服を着ている。一目異なる点は、少年達がスカートではなく、半ズボンをはいていることだろう。細かく見れば、リボンの代わりにネクタイを絞めていたり、色々デザインの違いはあるが、まだ、南麻布は女学園だという『真の』記憶が残る麗夢には、非常に違和感を覚える姿だった。
「うむ、ご苦労! 親衛隊の諸君!」
皐月が少しだけまじめな顔を作って、敬礼する少年達に答礼を返した。少年達がうれしそうにはにかんで見せる姿が初々しい。
「その子達は一体なに?!」
「だから親衛隊……」
「そうじゃなくて! こんな子達まで巻き込んで、あなた一体何を狙っているの?! 弥生さんたちと同じ、原日本人の復讐? 支配の復活? そんな夢物語、できるわけ……」
「違うわよ。今更そんなこと、必要ないもの」