かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

原爆の日に原発を語るのはどうも『ズレ』を覚えるのですが、首相が強調するなら何か書いておかないと。

2011-08-06 22:06:48 | Weblog
 原爆記念日の今日、などと白々しく書くのはこれが初めてか、と思って過去のブログを繰っておりましたら、2007年に一度だけその話題を書き付けておりました。もっとも、内容的にはどちらかというと15日か、9月2日にふさわしいような話でしたが、一度も触れずじまいということはなかった、ということで、ある意味ほっとしてもおります。それにしても、それ以前は大変大変を繰り返す夏コミ進行の修羅場、それ以後はのんびりした全く違う話題、という風に2007年を境にしてきれいに分かれるのもまた面白いもので、ここ数年の私の8月の過ごし方の変化がこの日のブログに見事に現れているようです。
 
 で、今日は久々に原爆の事を、と思っていたのですが、広島原爆の日平和記念式典で、総理大臣殿がわざわざ脱原発を強調する挨拶をされたとの報道を見て、少々ズレが生じてしまいました。今さらこの内閣の閣内不一致ぶりをあげつらうのもなんだか無駄に字数を費やすばかりなような気がして気がひけるのですが、総理大臣が少し脱線気味に今日もまた「脱原発」を強調し、それも総理個人の意見ではなく、政権の総意であるという風にのたまっておいでなのに、ベトナムとの原発輸出契約については反故にせず進める、という話を閣議決定している、という不思議な状況を見ておりますと、一言書き付けておかねば、将来このブログを読み返す未来の私に申し訳が立たない気がするのです。
 政府はこの矛盾について、枝野官房長官殿は、「矛盾してない」と強弁してましたが、これが矛盾ではない、というのをどう聞けば理解できるのか、私にはどうも理解できそうにありません。更に、『原発の安全性確保は一義的には各国が自国の責任で判断するもの』『外交交渉の積み重ねや、国家間の信頼を損なわないよう留意し、進めていく』、という、製造者責任を放棄したかのごとき答弁を国会でしていたようですが、安全かどうか、使うかどうかは使うやつが決めればいい、でも俺は使わないよ。だって危ないから、というような話をする輩を、一体誰が信用するというのでしょうか? 中国新幹線のように、向こうが『うちの独自技術だ』と強弁し、じゃあ何かあっても知らないからね、と念書もとっているような状況ならそれもまた一つの便法かも知れないとは思いますが、原発輸出はそういう技術供与だけの話なのでしょうか?
 第一、あれほどことさらに脱原発を訴えるのなら、ドイツのようにいついつまでに原発は全廃すると明確に宣言して、そのための補完の電気はこうこうこういう方法で手当てする、というような具体的な話をしてくれればいいのに、一向に出てくる気配がない。そもそも福島原発があのような事態に陥った原因の解析はどこまで進んでいるのでしょう? スペースシャトル・チャレンジャーの事故調査では、固体燃料補助ロケット接合部の密閉用Oリングの不具合という機械的な原因だけでなく、背後にある機械的なミスを故意に見逃したり、劣悪な気象条件でも無理に打ち上げようとする政治的な思惑が根本的な原因であるというところまで解析しました。JR福知山線の事故でもJR西日本の日常的なやり方に問題がある、というような事故調査が出されていたと思いますが、福島原発もそこまでちゃんと踏み込んで事故原因をあらゆる角度から網羅的に調査してもらわねばならないと思うのですが、それが今どうなっているのか見えないというのは、不安ばかりが蓄積するばかりの気がします。

コメント
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